記憶の日付は
少し曖昧










おくまんさまこと熊野神社の
プールのおたまじゃくしを見に行ったら
誰もいなくて
みんな
おくまんさまっ子カエルになったのだなぁと
感慨深かった日の午後だったような…









あいかわらず

樹々と花と空が美しかった


穏やかなひかりに

あたり一面が包まれている

愛すべき

いつもの田舎の山里の風景
















実家に戻ると
2階にあがり
この風景を見ていれば
いつの間にか呼吸が深くなる

呼吸が深くなれば
いつのまにか
瞑想状態で
さらに静けさが続けば
平安な世界におりていく




突然
「スサノオじゃ」
と、心のなかに
ことばがおりてきた

「そなたにギフトがある」

「剣(つるぎ)を渡す」


はて?
……
……

続いて感じたことばは
「そなたの心を
その剣で切りひらくがいい」?
そのような意味だったと感じた




東京に戻ってきた翌日
ベッドの上に胡座をかいて
深呼吸をしていると
またことばが置かれるのを感じた



「そなたたちは神を自覚する時がきた」?
「ひかり すべてはひかりじゃ
切りひらいた心から
ひかりだけが溢れてくるだろう」


はっきり覚えているのは
神とひかりということばで
あとの脈絡は曖昧


今思えば
スサノオのエネルギーは
穏やかで
けれど素っ気なく
土着な感じがした



そして
これって
オチ?

その日の夕方
ん?もしかして?と思い
おくまんさま熊野神社で検索すると
bingo♡
スサノオは熊野神社を守護する神さまだった

半世紀以上も前
おくまんさまは
わたしたち子どものホームだった
少し乱暴な狼藉者の子どもたちは
氏神さまスサノオの腕に包まれて
遊び呆けていたのだったか

夕飯まで外で遊んでこいと親から言われた時代
今は老朽化のため取り壊された
二階建ての神楽殿で遊んだ
紙芝居・かくれんぼ…
幸せな時間


スサノオは
それきり姿をあらわさない

スサノオからもらった剣(つるぎ)を
わたしはどう活かせばいいんだろう
なんてことを考えてみることも
ある

だいたい
スサノオって呼び捨てでいいのか?


わたしはすでに
会陰が感じるエネルギーを
ずっと体感しているので

ミラクルには
さして驚かないと思っていたけれど…

世界は
ますます
センスオブワンダーを顕現するのだろう

見えない世界と見える世界が接点を増やしてくる

新しい世界へと融合していく

すべてが美しく調和した統合の世界で
ありますように

生きとし生きものすべてに平和な世界で
ありますように

美しい地球でありますように