子供のことは大好きだし、子供のために生きているけれども、言動のすべてが「子供のために」な人を見ると引く。
私は子供のために働くし、子供のために働くために仕事を超頑張っています。その結果仕事が楽しくて、子供のことばかりになれない私もいるけれど、でも楽しく仕事をして子供を養い、何のために生きているかと聞かれたら「子供を育てるため」だと今ははっきり言い切れる。
私の友人は真面目な人というか、几帳面な人というか、子供を(多分)心から愛している人が多いため、なんかもう全身全霊わたしの全ては子供のためです!!!みたいなのが多い(笑)
とはいえまだ乳幼児ママばかり。だからその実、習い事だ~幼稚園どこ受験する~食べさせるのはオーガニックだ無農薬だ、なんでも手作りしまっせ~、情操教育のために休みの日は使います~などなど。そんな友人たちとのおつきあいも、子供が生まれて1年半。正直疲れた。
私って性格悪いのかな?と思ってしまう瞬間なんだけど、乳幼児期の育児ってもはや自己満足。というか、こんな子になって欲しい、という親の欲求を子供に求めるのって(まあ乳幼児期は自己主張できないし難しいんだけど)、ホント親のエゴだよなーと思う。そして、それが完全なる善意から出発しているからたちが悪い。育児の目標として掲げるのはいいと思うんだけどね。

私は、多分それなりに親から愛情注がれて、期待されて育ってきたのだけど、親の「こういう人間になって欲しい」というイメージがとてつもなく嫌だった。そして、子供を育てることのみに集中している親がうっとうしくてたまらなかったし、つまらない人間に思えていた(今はちゃんと仲良し尊敬してる)。

子供は「親の背中を見て育つ」んでしょ?だったら、子供のことばっか考えてるんじゃなくて、仕事も、友達付き合いも、心の底から楽しんで、一生懸命取り組んで、苦労して、とそういう姿勢を見せてあげたいと私は思います。そして、子供の選択を自分の価値観で否定するような親にだけはならないように気をつけたい。
環境を整えてあげたい気持ちももちろんわかる。色々経験させてあげたい気持ちもじゅーーーーぶん理解できる。でも、整った環境の中で幸せに育つのもいいけど、私はどんな環境でもたくましく生きていく力こそ必要な気がしてならない。しつけと生活習慣はもちろん身につけさせるのが親の義務だけどね。何もこっちからあーだこーだしなくても、子供は勝手に好きなもの見つけてくるし、日常の中でいろいろ経験してんじゃないのかな?

なんでこんなことを考えたのかというと、すごくいい子だった友人のお嬢さんが、幼稚園受験を経てなんだか意地悪するようになったからでした(笑)子育てってむずかしー!

特に、学校に通い始めると、学校には「指導目標」というものがあり、「こういう人間を育てます」という理念の元で日々教育を受けるわけで、さらに家庭でも同じようなことされたら混乱しかねないし、「じゃあ私の理想はどうなるの?」ってなっちゃわないかなと。考え過ぎなのかなー。とりあえず、ママ友とのおつきあいが苦痛でなりません!
家計簿とクックパッドしか使っていないのに毎月8000円も払うのが馬鹿らしくなり、iPhone捨てました。
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軽ーい!サラリーマンのオッサンぽくていい!
その実、亡くなった祖父が使っていたものです。とはいえ、買って数ヶ月でギブアップしたらしいが。
万歩計ついてます。カメラはオモチャみたいです。でも何も困りません。
なんてったって、データ通信もほとんどせず、電話も毎月平均100円ぐらいだったし。ポケベル世代だから、フリック入力よりベル打ち入力の方が断然早い。(忘れてないのがすごい)
ただ、電話帳が移行できなかった。かなり痛い。でも、使ってるの50件ぐらいだし、あとはまぁ追い追いでいいや。
さあこれで私の生産性は如何程向上するのでしょうか。
猫が飼いたい。2ヶ月前に愛犬が鬼籍に入り、動物の死って本当に嫌だと思った矢先だけれども、猫が飼いたい。ロシアンブルーかセルカークレックスかアメショーがいい。
先週、娘と2人でロシアンブルーを見に行ったところ、娘も目をキラキラさせて『可愛い❤️』とナデナデしまくっていた。これなら一緒に生活できる!イケる!と思ったが、猫って思いの外高い…そして子供の世話だけでヒーヒー言ってんのに、猫の世話ができるのか…?と思いとどまっています。でも、猫が欲しい。そして猫の世話をしてくれる人(彼氏)も欲しい。
バツイチ子持ちの私と付き合って、なおかつ猫の世話までしてくれたらその人は本物だと思う。あー猫が欲しい。

閑話休題

今週は、ようやく『火花』を読んだ。吐きそうに忙しかったけど、よい息抜きになった。
又吉の風貌も発言も好きだから、贔屓もあるのかもしれないけれど、予想を大幅に上回るおもしろさだった。
淡々とした物語と、たまに悪ふざけのように挿入されるシュールな振る舞い。別段何が起こるわけでもない日常がちゃんとドラマになっているのは、又吉のかなり繊細であろう感受性と観察眼の賜物なんだろうな。特に観察眼マジすごい。そしてそれをちゃんと言葉で表現できるのも。
太宰ファンとのことでかなり暗く厭世的な話なのかと思いきや、主人公の徳永は驚くほどポジティブだった。暗いけどポジティブ。どことなく又吉のイメージと重なってしまうのは、芸人だからなのか、自分の体験に基づいているのかはわからないけど、漫才師以外の話を是非書いてみてほしい。物語のリズムや言葉遣いがとてもよかった。
評価にかなり懐疑的だったけど、納得できた。
芥川賞のかたわれ、スクラップアンドビルドも読んでみようかと思ってはいるのだけれど(火花も文藝春秋で読んだ)、タイトルが全部カタカナで面白い小説に巡り合ったことがないので二の足踏んでます。

毎週野菜を届けてくれる近所の友人がもうすぐ引っ越してしまう…悲しすぎる。美味しい野菜と完璧すぎる子守を失って私は生きていけるのか??まぁ引っ越すといっても電車で30分のとこだけど。
昨日は夏野菜最終便。オクラ、万願寺とうがらし、ひもとうがらし、紫唐辛子、茄子、冬瓜、間引き菜でベジタリアンディナーを振舞ってもらいました(野菜もらって子守させてご飯も作らせる私最悪)。あ、自家製青トマトのピクルスも激ウマだった。
彼のおかげで私も娘もオクラ丸かじり癖がついて、美味しいオクラなしでは生きていけない体になってしまったので、夏野菜が終わった今、完全に途方に暮れている。嘘。オイシックスに美味しい沖縄産のオクラが売っている。ただ、めちゃ高い。
残った間引き菜を今日はふりかけにした。
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子供が生まれてからというもの、夜の外出がほとんど出来ないから料理ぐらいしかすることなくて、メキメキ腕が上がりまくっている。30分で1汁3菜、海のものも山のものも交えて作れるようになった。あと5年ぐらい修行して、小学生のための料理教室兼学童ひらくのが目下の目標。

そして今夜は、寒い季節の必需品トロトロ鶏ガラスープを仕込みました。
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手羽はじ300gで150円ぐらいなのにマジで嘘みたいに美味しいスープが取れるのかなりアツい。
アスパラポタージュをこのスープで伸ばすと、さながら高級中華料理のようになる。ショウガとネギも煮込むから風邪も一発で治る(ような気もする)。

ということで夏が終わりました。
ついでに山崎豊子祭り第一弾、沈まぬ太陽も読了。読んでいる間はまじエキサイトだったけど、最後悶絶した。行天が特捜に呼ばれた後のことも書いて欲しかった…。大企業のトップとか政治家とかマスコミって今でもこんなこと考えてんのかな、だとしたらホント世の中って救いようないよなーとくらーーーーい気持ちになったけど、何はともあれ面白かった。
そして昨日は子供を寝かしつけた後、大地の子の再放送。これまた救いようがなく暗い。戦争モノは基本的に大嫌いなのたけれど、最近、この嫌な感じを乗り越えていくらか見たら大事な価値観が見えてくる気がしているので頑張る。
それにしても今の日本は平和だ。平和すぎて幸せだ。不幸と比べて今の自分を確認するのは好きではないけど、でも今は幸せな時代だ。だからもっといろんなこと勉強して強くなんなきゃな。
今日は雨だったし、最近遊びまくってて家が散らかりつつあったので、1日家にいよう!と思っていたのに、我が家のモンスターがずーっと玄関で独り言言いながら私を誘うのでお出かけしました。
バギーバギー、おしょと、くっく、くっく、あ、落っこっちゃった!ママー!ママー!おしょと~!
みたいな。
とりあえず新聞を取りに行くのでごまかそうとしたら、エレベーター降りた瞬間にだまされた!と言わんばかりの抗議のあらし。なのでしぶしぶお出かけしました。
雨の日の子連れは本当に面倒くさい。
バギーにレインカバーだと、子供は濡れないけど片手でバギー片手で傘って超難しいから私ずぶ濡れ。抱っこしてレインコートがベストだけど、重すぎるし最近は抱っこ紐を見るだけで泣くぐらい嫌がるので、いつも合羽着せて歩く羽目に。

今日も最寄り駅まで40分ぐらいかけて、しかも滑って転んで頭打ったり座り込んだりするのでびしょ濡れになりながら歩きました。
バギーを持たない日は、借りれる施設にしか行かないので、今日は六本木のミッドタウンへ。空いてるし、広いし、わりと近いし、平日は六本木率高い✨今日のお目当は、21-21デザインサイトの企画展、『動きのカガク展』でした。
Eテレのピタゴラスイッチを監修している、慶應大の佐藤教授&ユーフラテスも参加している、サイエンスアートのようなもの。
27日までだったので滑り込みセーフ!電気を乗せた電車が暗い部屋の中を走って、色んなものの影を映していくのが綺麗だったなぁ。
娘は浮かんでる白い玉みたいなものに魅了されて段差を転げ落ち、口の中切ったみたいで口から血を流して泣いていた…一瞬焦った…。
美術館や博物館やギャラリーは、人もそんなに多くないし、見るものがあるので子供も飽きず、子連れスポットとしてかなり重宝しています。ホント片っ端から行ってる。実は直島にも行った。
でも、私物理が全くわからずちんぷんかんぷんだったので、次回こういう企画展の時は同僚の理科の先生を連れて行こうと心に決めたのでした。




仕事が始まったので、毎日めちゃハッピーです。朝の支度は相変わらずどたばたではありますが、毎日朝ご飯とお弁当をこしらえて、朝のうちに掃除洗濯を住ませて家を出る、規律ありまくる生活がやっぱり好きです。
来週から、なんと教え子がシッターに来てくれることに。ありがたいし感慨深い。

諸行無常の世の中なので、あらゆることは変化し続けていますが、最近私にも変化が訪れました。それは、「日本史デビュー」を果たしたことです。
日本の歴史に全く興味がなかったし、どんな話を聞いてもいくら勉強をしても、微塵も面白いと思ったことがなかった私が!歴史上の人物といえば聖徳太子ぐらいしか知らなかった私が!
今年は同期の社会科教員と席が隣なので、「悔しかったら私を歴史好きにさせてみな!」というようなことを1学期に言ったらしく(覚えてない)、以来ことあるごとに日本史の話を織り交ぜてくるし、最近は夜中に突然メールが来たりする始末。。。が、信長の台頭~武田家との駆け引き&武田家の滅亡、そして本能寺~清洲会議のあたりの話をしていたら、え、なにこれ、超面白いじゃん!私、信長みたいになりたい!!と、まんまと引き込まれてしまいました。

何が私の心に火をつけたのかというと、「天下を取りたい!」という野望をもって一心不乱に邁進する信長&秀吉の姿。そして「武士は食わねど高楊枝」ってマジだったんだ!ということ。さらに、乱世を生きた人たちの、その時代とは裏腹の不動の意志やプライドを守って生きる姿勢がほんとーーーにかっこいーーーーと思ってしまいました。

「天下を取りたい!」っつー偉大な野望を抱くのももちろんかっこいいんだけど、ちゃんとその目標に向かって、緻密な計画をたてて一歩一歩進んでいくのがいい!頭いい!!しかも、「天下を取る」という野望を前にすると、他のどんな野望もかすんで見える。もちろん時代も違うし歴史に名を残した人物なんだから、すごいのは当たり前なのだけど、自己啓発本出してるどっかの社長とか、グーグルの偉い人とか、そんな現代でもてはやされている人たちがたいしたことないような気がしてくる。比べるもんでもないけど。
今の政治家なんかを頭のすみっこで思い浮かべながら歴史の話を聞いていると、爪の垢でも煎じて飲んどけ!って言いたくなる。
今日、安部首相が無投票で続投決定したらしいけど、その水面下の働きを想像すると、ため息しか出ないけど、彼はもしかして信長とか秀吉みたいなこと考えてるのかなー。だったらすごいけど、でもかっこいいとは思えない。それはなんでかというと、やっぱり時代が違うからに他ならないのだな。信長や秀吉がすごいと思うのは、あの時代だったからなんだろうな。

にしてもやっぱり学校の先生って、それなりに専門分野のこと体系的に頭に入ってるから面白い人多い。私もがんばろー。
夏休みに入って2週間。
2年ぶりに自分の時間がまとまってとれて(といっても1日6時間で家事もしなきゃだからたいしてない。)、ジム行ったり、ゆっくり仕事したり、会いたい人に会ったり、自由を満喫。
そんな夏休みの始まりに気がついたのだけど、自由=幸せじゃなかった。

身体を鍛えるのは生き甲斐だし、邪魔されずに仕事ができるのも快適だし、大人同士のおしゃべりも至福だけど、私にとっての幸せは、夕飯の支度をしながらグズグズの娘が足にまとわりついてきて、お鍋ひっくり返すんじゃないかとヒヤヒヤしながら気もそぞろで料理をしたり、自分の食事が冷めていく横でご飯を食べさせたり、同じ絵本を毎日50回ずつ読まされたり、目をつぶってシャンプーをすることが許されなかったり、夜中に突如頭突きされたり、徒歩15分の保育園に1時間かけて歩いて行ったりすることの中にあった。

幸せってこういうことだったのか!と、目からウロコが落ちる思いです。この価値観維持すれば、次の結婚は失敗しないと思う(笑)
でも世の中の100%はバカ男だから、というか男すなわちバカだから、そんなバカなことに時間を使うより娘の教育に力を入れたり、自分のために勉強したほうが余程楽しいし充実する。

もちろん、バカの中にも2%ぐらい感じのいいバカがいるけど、でもその感じのいいバカの80%はプレイボーイで男女の関係になったら修羅場になるのは火を見るよりも明らかなケースが多いので、やっぱり私は仕事して勉強して筋トレして強く逞しく勇ましく面白くなって、娘と一緒に生きて行かれればそれでいいや。

今年の夏は勉強するぞー!!
将来の目標のために何をすべきか、というテーマで作文を書かせたら、え、まじそんなこと書いちゃっていいの?という超プライベートな内容てんこ盛りで、はああああああ、人の人生まさしく十人十色だなと痛感。
安寧な人生なぞあり得ない!ということが分かってよかった。
もはや、人と比べて自分の幸せを確認するとかそういうレベルではなく、色んな人生がありすぎて多様性を認めざるを得ない。17歳でこれなんだから、大人の人生マジやばい。

ただ、ひとつ分かったのは、きちんと努力ができる人間かどうかが、かなりその人の人生を左右するなということ。
私ももちろん頑張るけれど、娘には努力のできる人間になって欲しい。見習いたいと思える背中でいなければ。

最近、近所の友人が農業をはじめて(通い農業)、毎週採れたて野菜を届けてくれる。生産者の顔見えまくりの野菜で、しかも無農薬無肥料の自然農法なのでかなり、草っぽい味わい。人参なんて毎回葉っぱボーボーだし。
買い物行く暇ないからただでさえありがたいのに、親しい人からもらった食べ物だと大事にありがたく料理するし、ちゃんと向き合って食べるので、ここのところ食がかなり充実している。
もちろん私の仕事は女子高生のお世話だから、そんなに料理にのめり込まないけど、料理は人生の基本だし、味覚と性格は通ずるものがあると思う。
食材だけならず、同じように人に作ってもらった料理はありがたいし、作ってもらえると幸せな気持ちになる。
定期的にうちに遊びに来て、毎回カレーを作ってくれる友人がいる。どんなに酔っ払っても、涙を浮かべながらタマネギを刻み、うちの包丁の切れ味を褒める。
子供と2人の生活は大変だけど、その分他人の優しさでこの上なく幸せ感じられるから、私は幸せだな♡
今日、娘の前に試しにお水のはいったコップを放置してみたら、ひとりで上手に持ち上げて、ゴクゴク飲んでた。
最近、自転車の前かごに泣かずに乗れるようになった。
相変わらずの甘えん坊だけど、公園で少し離れたところから見守ると、雄叫びをあげながらひとりで立ち上がるようになった。
小さい物をつまんでも、お口に入れなくなってきた。
夜寝るとき、自分で電気を消せるようになった(リモコンで)。

あっという間に色々なことができるようになって、どんどん色んなことを卒業していく。もうすぐハイハイする姿も見れなくなっちゃうのかな。泣き顔だって、そんなにしょっちゅうは見れなくなっちゃう。あれ可愛いのに。

私はどうだろう。

最近何ができるようになったかな。
毎日ちゃんと早起きしてお弁当を作るようになった。
夕飯の支度が30分でできるようになった。
授業準備がそんなに大変じゃなくなった。
子供と上手に遊べるようになってきた。
生徒にキレなくなった。

あれ、できるようになったというか、しなくなったことばっかだ。
お酒も飲まなくなったし、タバコも吸わなくなったし、夜遊びもしなくなった。できなくなっただけだけど。
スキルアップしたいなー。もちろん、授業のスキルはアップしているつもりだけれども。でもなかなか転職は難しい。自分の売りもよくわからないし、そもそも職業人としてみたら私はエリートでもなんでもないのに、野心と目標ばかり高い。でも下げたくない。

でも、もう人生急がない宣言したので、地道に毎日を頑張るのみ。努力あるのみ。

職場復帰後2ヶ月が経とうとしているけど、疲れがそこそこたまってきたので、心の安定している男性に癒されたい。何も言わずにそっと、、、、皿を洗って欲しい!!!!!そして、、、、肩をもんで欲しい。ついでにちょっと手の込んだ美味しいご飯を作って欲しい。そして私に癒されて欲しい。子供だけじゃなくて、大人のことも笑わせたい。なんだか私、ピュアになったな♪

さ、仕事しよ。
何年も何年も私の頭を悩ませ続けた、ある事に対する嫌悪感。
ずーっと心のどこかでやだなーやだなーと思いながら、でもどうしていいかわからなくてそのままにしていた。だから、定期的にやだなーやだなーと思うことがあって、なかなか心の平安を保てずにいた。

が、ようやくすっきりした!

単に、私からしてみると悪趣味だったというだけ。悪趣味なうえに、その趣味にとりかかる心意気も悪趣味で、つまりは悪趣味on悪趣味で(私にとって)救いようがなかったのだ。

だから、そんな悪趣味なものは私は見ないし、関わらない!と決めたら心が軽くなった。

にしても、どんなことでも取り組む『姿勢』って大事だよなぁ。
斎藤孝がなんかの本で言っていた。『感じが良いことは、かなり重大なビジネススキルだし、社会人たるもの必須だ』だと。

ホントそうだよ。陰鬱だったり自虐的だったり、うじうじしてるのってホント感じ悪い。
もちろん、私の上司みたいに意地が悪かったり、気分に波ありまくり、気に入らないと無視!みたいなのももちろんだけど、自過剰だったり影で文句ばっかだったり、どうせ僕なんかって言ったりっつーのも、たぶんに感じ悪い。

今までは、感じ悪いのやだなーでも付き合っていかなきゃならないんだもんなー、とか思っていたけれど、なぜか今日、あーもうどうでもいいや。私はそういう人とは無関係の人生を歩みたいんだということに、はたと気がついた。

大人になっても、こういう内面的な急展開ってあるんだなぁ。