少し前から思っていること。
「もう、しなくてもいいんじゃない?」
と思うことが増えてきた。
あ、夫婦間のセッ.クスのお話です。
「セックスレスという言葉に、もうとらわれるのをやめてもいいんじゃない?」
「セックスは卒業しました、でいいんじゃない?」
「している=幸せ、していない=問題、と思わなくていいんじゃない?」
セミナーだったり、
スクールだったり、
カウンセリングでやりとりするみんなと接していて、そう思うことがある。
自分の悩みももともとそうだったし、このブログでは「セックスレス」についていろいろ書いていますが、
私は基本的に、
夫婦やカップルの両方が、
「もう、しなくてもいいよね、私たち」
「しなくても、お互いを大事にしていて愛情感じられるよね」
ってなっていれば、セッ.クスなくたって、全然問題じゃないと思っています。
他人が、「それおかしいんじゃない?」と言おうが、
「セックスレス特集」が週刊誌で組まれていようが、
いろんなブログで、「求められてこそ愛されている」とか書かれていようが。
日本の夫婦間のセックスの回数が、世界の他の国に比べて少なかろうが。
そんなことはどうでもいい。
お互いが、本当にそう思っていたら、それは問題でもなんでもありません。
基本、そう思っています。
でも、どちらかが、その状態では不満だったり、
表面上はお互い納得しているけど、実は片方がそうではなかった、
となったりすると、それは深い悩みになりやすい。
だから、そのことをいろいろ書いています。
で、書いておきながら、かもしれないけれど、
「セックスレス」
という単語自体が、悩みをより強める言葉なのね。
「ない」に目を向けさせる。
「ない」ことに罪悪感を抱かせる。
「ない」自分はおかしいのかな?と思わせる。
これを問題だと思わないといけないんだ、と思わせる。
そういう言葉。
この単語で検索して、私のブログに来てくださる方もいるけれど、
「この単語で検索する」
こと自体が、悩みをどんどん強めている行為なんだよね。
で、実際にこれまで、カウンセリングをしてきて思う。
本当に、「セッ.クスがないことで困っている人」は、3割くらい。
そういう方は、「性のことは、性でしか解決できない」と思う。極論。
でも、後の7割の方はじゃあ何かというと、
実は、性欲もそんなになかったりする
だけど、レスという言葉にとらわれている
「ない」を常に気にして、気にしているうちにそこから抜けられなくなってしまった
「セックスレス」を使って、欠けている(と思っている)自分を責めたい
…そんな方も多い。
(でもその辛い気持ちは切実。)
悩み方もさまざまで、
パートナーから何も言われてないのに、
不満だとも、改善してとも、何も言われていないのに、
自分がそういう気持ちにならないことを責めている方もいる。
そして、パートナーに対して、実はそんなにくっつきたいわけでも、
性欲があるわけでもないのに、
レスであることはダメだーーーっ!って思っている方もいる。
そんな方たちに、少し前からこう思うようになってきた。
「もう、しようとしなくてもいいんじゃない?」
「もう、『満たされて幸せな夫婦です、私たち』で、いいんじゃない?」
「もう、セックスレスという言葉を気にして生きる日常をやめてもいいんじゃない?」
「もう、その言葉がない世界に行ってもいいんじゃない?」
それがないからと言って、
お互いを愛していない
お互いを大事にしていない
お互いを尊重していない
ではない。
そんなことを、先月のセクシュアリティスクール最終回のときに、講師テーブルで話しておりました。
アッコさんが以前、スキンシップのある夫婦とない夫婦はなんか違うと思うっていう記事を書いていて、それも私は響くものがあった。
アッコさん撮影。
私視点。みんなかわいい。
でもね
現状が変わっていないのに
心が満たされて幸せなんです。
お家で夫とぼーっと過ごすことが
何よりも至福の時間だと気づいた。
とってもキラキラと輝いて見える自分に
なりたくて!変わりたくて!
もがき続けていた自分を、認めて許した。
そしたら
このまんまの何もない自分が
愛おしくなった。
夫に感謝ができた。
何よりも
ずーっと変わらず私を愛し続けていてくれる
夫の存在に気づけたの!
なんども言いますが
我が夫婦は、結婚が決まってからセックスレスですよ。
それでも
お互いに深く愛し合っている。
お互いを深く尊重しあっている。
お互いで幸せを感じている。
セックスレスをいう事実を「問題視」することで
自分を責め続けたかったんだな。。。
と気づいちゃった。
こづちゃんは、ホント幸せそうな顔をしてた。
お願い、そのまま、満たされた幸せをたくさん感じていてほしい。
そして、「幸せだね♪」って夫婦でたくさん言ってほしいし、
欠けたところに目をやらない、まぁるい幸福感が二人の間に存在する
それは別に、悩む必要のないことだった。
こづちゃんは、来年、初めてのお話会をするみたいです。
この記事を読んで、なんか気持ちが楽になる人は、
もう悩まなくていい人なのかもしれない。
この記事を読んで、苦しくなる人は、楽になれない自分を感じる人は、
たぶん、「レスの悩みは辛いんだよ」っていう発信で救われたところがある人。
まだ、自分の中に、解き明かしたい何かがある人。
自分を見つめる道はつづく。
ダイジェスト版ができました!
「負けるが花」セミナー@東京