手が綺麗、とよく言われる。
photo by Masaru Tsuruoka
脚が綺麗、も、よく言われる。
最近、私がぼーっとした写り方をしていると、
「美世さん、もうちょっとこうしてこう立って」
と、小技を教えてくれる。
ありがとう。マジで助かっております。
私、女性の身体がもつ、曲線、やわらかさ、質感、
その身体の周りに醸し出される雰囲気は、
どんな人のであっても、
そのままで文句なく美しい
と思っている。
結構真剣にそう思っている。
そういう前提で、いつも目の前の人を見ている。
photo by Maki
太っています、やせています。
胸がありません、胸がありすぎて嫌です。
脚が太い、脚がガリガリ。
お尻が大きい、身体がぺったんこすぎる。
あれこれ、いろいろ、
身体に関するコンプレックスは尽きない。
〇〇だから、私は綺麗じゃない。
〇〇だから、私は美しくない。
みんな、山ほど〇〇の理由を説明できる(苦笑)
そのときは、みんな饒舌になる。
うーーーーーん。
全てとは言わないけれど、
男性から見たら、なんでそんなこと気にしてるの?っていうのもある。
その、やわらかさ。
その、曲線。
その、丸み。
その、雰囲気。
女性であるだけで、
女であるだけで、
すでに美しいんだけどなぁ。
もうそのままで、美しいんだけどなぁ。
photo by Maki
男性からは、そう見えているんだけどなぁ。
女性の美しさを、知っている、センスのある男性からは。
(残念ながら、センスのない男性もいる)
自分の「そもそもの美しさ」を感じながら、日々を送るのと、
自分には、そんな美しさはないと決めて、日々を送るのとでは、
もう、心の状態が、全然違うと思う。
人に、「やせろ」「太れ」と言われても、あんまり気にならない(笑)
そもそも、ひどいことを言う男性を、周りに置かなくなるかもしれない。
自分には、そんな美しさはないと決めている人は、
写真に写るのが嫌いだし、怖いし、撮られたくない。
撮られたものを、見たくない。
自分の「そもそもの美しさ」に気づいている人は、
それが見えるように、撮られることができるし、
写った自分の中から、いくつもその美しさを探し出せる。
撮られるからわかる、自分の身体の美しさがあります。
それは、誰に言われたから、誰に褒められたから、ではなく、
自分自身で気づいてあげてほしい。