写真なんか嫌いだ。
撮られるのは抵抗がある。
写真に写った自分を見るのは嫌だった。
自分の容姿に自信がなかった。
特に中学校に入ってからは、ずっとこう思っていた。
大人になって、
結婚して、
子どもを産んで、
心屋塾のマスターコースに通い、
カウンセラーとしての活動を始めた。
まりりんの影響で、カメラを向けられるのには慣れ、
マスターを卒業後、初めてやったセミナーは、
フォトグラファーふぅとの共催。
写真に対する抵抗は、だいぶ消えた。
撮られるのも嫌じゃなくなった。
写真に写る自分を見るのが嫌って気持ちもほとんどなくなった。
周りにはいつの間にか、写真に精通しているプロが増えて、
私の感覚もだいぶ変わっていった。
でも。
でもね。
よーーくよーーーーーく、
自分の心の中を見ていくと、
まだ、あった。
撮られることに対する、いろいろ。
「私がすごいと思っている人」に、1対1で、カメラを向けられたとき、
こんな気持ちが出てきたことがある。
「あなたの期待通りできなくてごめんなさい」
「表情がかたくて、ごめんなさい」
「あなたの撮りたいように撮れなくてごめんなさい」
「なんの表現力もない私でごめんなさい」
表現するって、楽しいはずなのに。
「自分」を撮ってもらっているはずなのに、
相手に全部合わせてしまう、相手の基準で動いてしまう、
そんな自分が顔を出した。
昨年、みやびちゃんにプロフィール写真を撮ってもらった。
申し込むまでに、実はすごく時間がかかった。
上に書いたような気持ちがあったから。
でも、みやびちゃんとは気心知れた間柄。
私の気持ちはとても和んで、撮影はとっても楽しかった。
こんな写真を撮ってもらいました。
1対1で撮られるとき、
広い舞台に、ひとりで置き去りにされるような気分になる。
脇役でいたほうが楽なのに、
目立たない場所にいるのが楽なのに、
一番光の当たるところに、自分を置かれる感覚。
ここは私がいていい場所じゃないんですって、言いたくなる。
私を中心に置かないでくださいって、言いたくなる。
私なんか、こういう場所にはふさわしくないんですって、言いたくなる。
自分が、自分の世界の主人公でいるのに、
何か遠慮している。
そんなことに、最近気がついた。
自分を、自分の世界の真ん中に置くことに、
どこかまだ遠慮がある。
する必要のまったくない遠慮を、ずっとしている。
私はいったい何を遠慮しているのだろう。
私はいったい誰に遠慮しているのだろう。
もう、この遠慮、やめたいな。
私が自分らしく生きていくときに
自分を出していくときに
こんな遠慮は、持ってる必要がない。
そう思ったときに、
今年は「撮られる」側でいよう。
そんな言葉が降りてきた。
「中心に置かれる」側でいよう。
「光をあてられる」側でいよう。
遠慮なく、自分の世界の中心にいよう。
年が明けてすぐこう思ったものの、もうすぐ2月が終わる(苦笑)この記事はずっと下書き状態だった。
そんなわけで、今年は、いろいろな人に、撮られに行こうと思います。
まずは、来月。
秋月ギャラリーで。
HANANINGENしてきます。
……娘と^^
娘に、「頭の上でお花が咲くんだけど、行く?」って言ったら、
「行くーーー^^」
と言っておりました♪
遠慮なく、自分を見せよう。