若い頃サイクルスポーツという雑誌に当時シマノ、日本舗道と2トップチームの選手採用についての条件が書かれているページを何度も読んだ。
は高校生の当時結果も無く、大学への推薦枠を獲得するのも夢のような話しだった。
その後ご縁があり、ヨーロッパに初めて行った時(日本舗道の合宿所)、全てが凄かった。なんて言って良いかわからないけど、ヨーロッパってすげ~って思った。
その合宿で、当時トップライダーの清野氏に言われた心に響いている言葉がある。
ある日体調が良く無く、それでも練習しないとわまりから遅れてしまう・・・そんな気持ちでトレーニングに出かけた。案の定途中で体調が悪くホテルに帰りたいと言った。
その時清野氏が
「お前、体調が悪いならホテルでじっとしておけ。一緒に来て途中で帰りたいなんて、練習をしなければいけない仲間の邪魔をするな。走るなら最後迄やりきれ。走らないなら初めから来るな!」
とても厳しい言葉だった。

翌年単身イタリア渡った時、空港に着いて誰も迎えにこないまま3時間、何もわからない、何も話せない、テレホンカードの買い方もインターネット、携帯なんて無い時代。
全ての困難が悩みでは無く、その中で自分がどう生きていくかを感じる時間だった。
所属したチームはエリート23歳~25歳のエリートチーム。求められる仕事は他の選手と同じ事を求められる。ほどんどのレースが完走すら出来なかった。
滞在していた10ヶ月という時間は今のようにインターネットがある時代でもないし、情報など日本からたまに送ってもらう自転車雑誌だけ、胃潰瘍になるほど長く心身ともに厳しい時間だった。
辛く日本に帰りたい・・帰りたい・・・と思う中でも、清野氏の言葉を思い出し、ココ(イタリア)に来た限り最後迄やり切らなければ!という気持ちで生活した。
そして次の年にまたイタリアに戻ったのは、イタリアから日本に帰った時にココ(日本)私の居る場所ではないと感じたからだ。
当時の自分は寂しさのあまり半泣き状態だったが、この時自転車選手になる覚悟が出来た。

昨日、2013年の最後のヨーロッパのレースを走った。
プロフェッショナルは私の気持ちを押し殺してアシストするのではない。私の力を必要とするチームメイトが私を信じ、私もチームメイトが結果を残す事を信じられるから大きな困難に立ち向かえるのだ。
結果的に最終周回を走らずDNFだったが、初めてイタリアに渡ったあの頃と一緒である。
足が無くなってきたから集団内で我慢して最後迄走り切る事は仕事では無い。
私が出来る事は集団の前でチームの為に最後迄自分の仕事をやり切る事だ。

年をとると人は成長しずらくなる。それは自分のリミットの中でうまく走る事が出来るようになるし、今迄の力を継続させる術を知っているから。
しかし、成長というのは出来ない事に挑戦する所から始まり、チームという力が自分に大きな勇気を与えてくれる。だから私はこの自転車競技、チームメイトが大好きだ。
そしてこれからも私の全てをペダルに伝えていきたい。
そして、先人達が私に伝えてくれた言葉、ヨーロッパを日本からヨーロッパに挑戦する選手に伝えていきたい。