三 九頭竜神と歯の神様と梨 | 信州戸隠の宿坊 宮澤旅館のブログ

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三 九頭竜神と歯の神様と梨


   九頭竜神と歯の神様および梨を考察する場合、三者を一体としてではなく、分けて考えることが必要である。
 
   まず、九頭竜神と歯の神様の関連について考察してみたい。各地に祀られている歯の神様は、数多く例をみることができる。それらの中で特に注目されるのは、白山信仰との結び付きが多いことである。歯の神様として祀られている中から、白山信仰に関連をもつ例をあげてみよう。
 
 ① 更埴市五里田のおはくさん
 ② 南佐久郡小海町松原のはくさん様
 ③ 下高井郡野沢温泉村平林北ノ久保の白山さま
 ④ 長野市篠ノ井御幣川のはくさんさん
 ⑤ 佐久市塚原赤岩の白山様
 ⑥ 北佐久郡御代田町小田井の智恵団子
 ⑦ 長野市松代西条の梅の観音
 ⑧ 上水内郡戸隠村の九頭竜神社

(転載者註 現在では地名の変わった場所があるが、原文のままとした。)

   この中で、⑥は白山妙理観音、⑦は白山権現との結び付きを確認できるから、ともに白山信仰との関連が認められる。また、⑧については後述する。これらの歯の神様の他にも、『よわい草』(註17 ライオン歯磨小林商店が昭和初期に発行したもので、「歯に関する趣味の展覧会」を記念して出版された。)  によれば、全国の白山神社が歯の神様としてあげられているという。

   では、歯の神様と白山信仰とは、どのような関連をもつのであろうか。この点については、すでに神津氏が指摘されているように、
 a 昔の歯の病気は歯周病(歯槽膿漏)が主であり、
 b 歯周病でできた歯瘡を「はくさ」という。また、
 c 歯周病の「歯臭い」という感覚的表現や、
 d 「白山」の音読「ハクサン」との関連などから、民俗的に歯の神様と白山信仰が結び付いたといわれている。(註18 註1・六二頁)

   以上、神津氏が指摘された歯の神様と白山信仰の結び付きについて記したが、それでは、歯の神様と戸隠の九頭竜神との結び付きはどうであろうか。

   『善光寺道名所図絵』巻四には、四月と七月におこなわれていた戸隠の二季祭について記されている。その記述によれば、中院は七月八日、宝光院は十日、奥院は十五日に、神主が参勤して読経をし、火祭りがおこなわれていた。『善光寺道名所図絵』には火祭りの次第についても記されているが、注目すべきは火祭りの中心となる三本の柱松である。この柱松については、

 A 三院とも広前に立てること
 B 奥院の柱松を中心に据え、その両脇に飯綱権現と白山権現を隔年で交互に据えること
 C 中院の柱松は三本とも竹で作ること
 D 宝光院の柱松は三本とも木で作ること
 E その理由は、宝光院門前の七〇軒は木を、中院門前八〇軒は竹を伐出することを生業として、官家より許可されていたこと
 F 奥院の柱松は中院および宝光院の門前の人々によって立てられるため、一本半は竹で、一本半は木で作ること
 G 三本の柱松はそれぞれ奥院権現、飯綱権現、白山権現の神名をもつこと
 H この神名のいわれについては、古くからの言い伝えのため、不明であること
  I 柱松の高さは六尺(約二三〇cm)、下巾は三尺(約一一五cm)であったこと
 J 柱松の焼け方によって、年の豊凶を占ったこと

などが確認できる。また、四月の祭りには、信越両国の戸隠流の修験者三〇余人も参集している点も看過できない。

   現在の戸隠ではおこなわれていない火祭りについて、たいへん興味深い記述であるが、本稿において注目されるのは、B・GおよびHの三点である。この火祭りにおいて、戸隠の白山の結び付きを確認することができる。戸隠および飯綱、白山信仰は、ともに修験道において結び付いていた。戸隠と飯綱信仰の関連については、『顕光寺流記』が記すように、学問行者はまず飯綱に登山し、そこから戸隠へと入山している。その後の歴史においても、両者の結び付きが極めて深いことは周知のとおりである。また、戸隠と白山信仰の結び付きも修験道によることは明らかであり、両信仰の接触はかなり深い時点にさかのぼると思われる。
(転載者註 戸隠神社では文中の火祭りを「柱松神事」として平成15年に復活させ、三年に一度斎行されている。)



   白山の開山伝承によれば、奈良時代の養老元(七一七)年、古志(越)の小大徳と後世いわれた泰澄によって開山されたといわれる。『泰澄和尚伝』によれば、泰澄が白山の山麓で祈禱していると、かつてはイザナミノミコト、今は妙理大菩薩という神女が現われ、その導きで泰澄は山頂に登拝したと伝えられる。そこで祈禱をしていると、九頭竜王が現われ、本地の姿を現わすようにいうと、たちまちのうちに十一面観音の姿を現わしたという。以来、現在の白山比咩神社および平泉寺を中心として、全国でも有数の修験霊場となった。(註19 註10・四一頁)

   白山といえばその山麓には、九頭竜川が流れている。命名については不明だが、この九頭竜川と戸隠の九頭竜神との両者にも、修験道を通した結び付きがあったと推察され、また、白山の主峰をなす大汝峰山頂下には、青石といわれる巨岩があり、天上界と地上界の境に立ち、両者を結ぶ宇宙軸のような役割を果たしているという。(註20 久保田展弘『山岳霊場巡礼』(新潮選書)一八九頁) 青色は道教における聖色であり、龍とも深い関連性をもち、道教思想と戸隠が結び付きをもつと考えられることから、ここでも白山と戸隠の関連がみられる。さらに、白山では山麓の川を境として、山を彼岸の浄土とし、川のこちら側を此岸の娑婆と考え、往生儀礼をおこなっていた。これは逆修という儀礼に相当するもので、生きている間にいったん死んだことにして葬式供養をし、それから再生すれば、一切の罪穢は消滅して、健康で長生きするばかりでなく、死後は必ず往生するという信仰であるという。(註21 五来重『日本人の地獄と極楽』(人文書院)五三・九七頁) この事例も、戸隠奥社前を流れるサカサ川との関連で注目される。これらの事例の他にも、『顕光寺流記』にみられる火御子と白山の火の御子峰、両山の地主神である九頭竜神が『法華経』の呪力によって他所へ移される伝承など、白山と戸隠の関連は極めて深いと思われ、今後の重要な課題である。

   本稿のテーマにもどるが、前掲した『善光寺道名所図絵』にみられる柱松により、戸隠の九頭竜神と歯の神様の関連については、ほぼ説明できるものと考える。すなわち、歯の神様の信仰および民俗習慣には、白山信仰が重要な意義をもっていた。この両者には、歯周病でできた歯瘡を「はくさ」ということ、歯周病の「歯臭い」という感覚的表現、また、「白山」の音読「ハクサン」との関連などから、民俗的に歯の神様のと白山信仰が結び付いたといわれる。また、戸隠信仰には修験道を通して、白山信仰との結び付きがみられ、戸隠神社奥社に祀られる九頭竜神とも結びつく結果となったのであろう。このように、修験道を通して白山信仰との九頭竜信仰が結び付いた結果、歯の神様として九頭竜信仰が生じたものと考える。

   次に、梨と九頭竜神の関連について考察してみたい。両者の関連が認められる歯の神様を、神津氏の指摘によって『よわい草』の中から抽出してみよう。
 
 ⑨ 九頭竜権現 (東京)
 ⑩ 戸隠大明神 (大阪)
 ⑪ 戸隠明神 (岩手)
 ⑫ 白山様 (千葉)
 ⑬ 戸隠明神 (山梨)
 ⑭ 手力雄神社 (奈良)

   現在の所在が不明なものが多いが、梨と九頭竜神との結び付きは全国各地で確認されている。⑫は梨と白山信仰が結び付いた例であるが、両者の媒介をなしたのは九頭竜神であろう。では、梨と九頭竜神には、どのような関連がみられるのであろうか。

   ここで重要なことは、九頭竜神の本来の信仰が水神としての竜神であったことである。この竜神について著者は、『日本書紀』持統天皇五年八月の条文に記載された「水内神」であったと考察をした。(註22 註8・四九頁) 白鳳期には持統天皇より奉祭され、水内神(戸隠神社)に牙笏の奉納がおこなわれたと考える。しかし、牙笏は後に犀角笏と誤認され続けた長い歴史があり、犀角笏にかかわる伝承から、この誤認は道教思想との関連によると指摘した。

   ここで、道教の中心思想である神仙思想に注目したい。『水経』では「崑崙の壚は西北にあり、嵩高を去ること五万里、地の中なり。其の高きこと万一千、河水は其の東北隅に出ず」とあり、黄河の水源地としての崑崙山を記している。崑崙山について『山海経』「西山経」に、「是れ実に帝の下都なり」とあり、天上の帝都に対し、地中の中央に位置する山と記されている。この崑崙山は天帝の都に通ずる山であり、神仙思想における想像上の憧れの地であった。しかし、崑崙山の周囲は羽毛をも浮かばせることができない弱水という川が流れており、弱水は何人も渡れぬ溺れ川と考えられていた。

   「西山経」によれば、この弱水を渡り切れる方法が二つ記されている。一つは龍であり、一つは沙棠といわれる木の実であった。沙棠は「西山経」に「木有り。その状は棠の如く、黄華赤実、其の味は李の如くして核無し。名づけて沙棠と日う。以て水を籞ぐ可く、之を食えば人をして溺れざらしむ。」とあり、その注に「棠は梨なり」とある。(註23 平凡社版『山海経』四六四頁では、「棠」を「やまなし」と解釈している。) 梨の原産地は中国であり、古代中国における梨の認識は、水を司る仙薬としての木の実であった。

   すなわち、龍はすべての水を司る神、つまり、最高の水神であり、また、梨を食べることは、龍と同じく最高の水神に同化するというわけである。このように、龍と梨は神仙思想において一致する。最高の水神である竜神に捧げる品として、梨は最高の神供なのである。してみれば、梨を捧げられる戸隠の九頭龍神は、竜神中の竜神であり、まさに竜王の最高神であるといえるのではなかろうか。

   以上、神仙思想によって龍と梨が関連をもつと推察したが、戸隠と神仙思想が結び付いたのはいつのことであろうか。

   『山海経』は『日本国見在書目録』に書名がみられるから、奈良時代には人々に読まれていたことが確認できる。そして、神仙思想は道教および修験道の根本思想であるから、両者の結び付きは次の三時点にしぼられる。

 ア 水内神として奉祭された時点
 イ 竜神と修験道が接触した時点
 ウ 阿智祝が戸隠へ入山した時点

   国土の中央である信濃国に祀られる須波神および水内神を奉祭する背景には、道教思想が存在したであろうし、水神としての竜神と結び付いた修験道にも、神仙思想が深く関連をもつ。また、境界祭祀にかかわりをもつ渡来系の阿智祝が思兼命・表春命を戸隠に遷祀した背景にも、道教思想との関連があったと思われ、それぞれの時点で戸隠と神仙思想の結び付きをうかがうことができる。(註24 下伊那郡阿智神社前の西には、梨子野山から流れる梨子野川があり、東山道の阿智駅から育良駅への通過点には梨洞という地名が残っており、阿智祝と梨の関連をうかがわせる。(長野私立松代中学校教諭))

   この中から、両者の結び付きの時点を特定することは容易ではない。しかし、戸隠と神仙思想が結び付くことにより、九頭龍神と梨が関連をもった可能性は極めて高いと思われる。加えて、前述した戸隠と白山信仰の結び付きを通して、九頭龍神と歯の神様および梨が一体化したと推察する。その後は『善光寺道名図絵』の記述のごとく、「三本の柱松に神名を号する事古伝にて其いわれ、知りがたし」として、後世の信仰および習俗の中に伝えられたのではないかと考える。


おわりに


   戸隠の信仰は長い年月に渡り、さまざまな宗教思想が重層的に結び付き、相互に影響し合いながら、現在の姿を形成することになった。そのため、現在では不明となった伝承や物事が数多くみられる。しかし、不明なできごとではあっても、戸隠と関連をもつ以上、戸隠の歴史の中に究明の手がかりとなる思想・行事・伝承などが必ずや存在しているはずである。それらの中から現在の姿を明らかにすることは容易ではないが、逆に、その困難さに戸隠の神秘と魅力があるように思う。

   冒頭にも記したが、本稿は神津文雄氏の研究に導かれることが多く、ここに記して深く感謝申し上げたい。

   なお、お読みいただいた多くの方より、ご示唆いただければ幸いである。

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