産経ニュース で私のサイトを紹介してもらった。

なづけがオープン。

たくさんの人に手軽にいい名づけをしてもらえたらいいなとシステムをつくった。

このサイトは、キラキラネームを求めている人向きではない。

だれもが間違えないで、読めて、書けるのが大前提。

最高の音、最高画数で、みんなから可愛がられて将来社会で活躍していく名前を選んである。

また、改名もこちらでは対応している。

自分の名前の画数がよくない人など、セカンドネームを持ちたい人にぜひ利用してほしい。



テレビ面白くないーーー。

動画特集といって、〝Youtubeで話題になったもの"とという動画をそのまま流している。

それも、ネットでは何週間か前に流れているものを。

他人が、それも素人が作ったものを流して、放映時間をつなごうとする。

テレビマンにプライドはないのか。

BBCがつくるようなドキュメンタリー、NHKはつくらないの?


今の日本人、ほかの国をコピー大国などと笑えない。

エンブレム、スタップ細胞もそうだけれど、ちょっとした労力を惜しんで、コピペとか楽をしようとする風潮。

彼らにとっては、それが悪いものではなくて、むしろ効率的でいいこと。

どうしてそんなことで騒がれないといけないのかと、本人たちびっくり。


医師の友達と話していた時、友達が当時勤務していた大学病院で、患者さんのためにこんなことをしたらいいのではないかと提案したところ、同僚から、余計なことをして自分たちの仕事を増やしてくれるな、と、大ブーイングを受けたという。彼女は、都会の人は、受験勉強する過程で、できるだけ最小限にして最大の効果を上げようとする習慣がついている。仕事もその延長のような気がする。と話していたことを思い出した。

天職で命を預かるお医者さんがそんなことではたいへんだ。


結局、なんでも無駄がないようにということらしいけれど、無駄の部分、って、そちらのほうが自己形成をするのには大事な気がする。

友達とのたわいもないおしゃべり、余計な買い物、多すぎる睡眠、資格もとれないような趣味。

無駄っていう中に、豊さがうまれたり、面白さが生まれたり。

感動する出来事が起こったりする。


そう考えると、子供のやることは無駄のかたまり。

なにも考えずに目の前にある興味を持ったことを無心に繰り返し繰り返しやっている。

まさに時間と労力の無駄。

でも本当はそれが一番贅沢で、人が生きていくうえで大切なことかもしれない。