5-18 とっこべとら子 | 宮沢賢治論

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宮沢賢治の作家論、作品論

宮沢賢治全集〈5〉貝の火・よだかの星・カイロ団長ほか (ちくま文庫)/宮沢 賢治

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■「とっこべとら子」に関する感想
狐が人をだますことを作者は、話を進めるにつれ徐々に嘘であることを読者に諭しているようである。「実に始末におえないものだったそうです」から、「こんな話は一体ほんとうでしょうか。どうせ昔のことですから誰もよくわかりませんが多分嘘ではないでしょうか」、「私はその偽の方の話をも一つちゃんと知ってるんです。それはあんまりちかごろ起ったことでもうそれがうそなことは疑いもなにもありません」。

そもそも狐にだまされている者とは、欲が深い上に酒に酔っていた六平じいさん、そして祝宴に参加し酒に酔っていた客である。このことから、狐が人間をだましているのではなく、人間の愚かさが人間に狐が人をだますという幻を見せているのである。

風刺とユーモアが調和している。後の「雪渡り」に通じるような、すばらしい作品である。事実、残された草稿を見ても、「四百字詰原稿用紙十二枚にブルーブラックインクで清書、手入れは1 同じインク、2 細いペン・青っぽいインク、3 太いペン・青っぽいインクの順」となっており、再度に渡り賢治が本作に手を加えていたことが分かる。そして欠損した原稿もないことから、作者自身作品の出来に関して納得した模様が伺える。

本作は、柳田国男と早川孝太郎が著した「炉辺叢書 第二編」にある「おとら狐の話」と、盛岡地方に伝わる「斗米(とつこべ)とら子」の伝承を結びつけたものである。


■「とっこべとら子」あらすじ
とっこべとら子という狐が人をだまし、悪さをするのはほんとうに手に負えないものであった。

第一話
ある晩、欲の深い六平じいさんがひどく酔っぱらって帰宅する途中、立派な侍に会う。これから遠くの国に向かっている途中である侍は、金貸しをしている六平じいさんにお金を預かってくれないかと頼む。もし自分に万が一のことがあったらそのお金はそのまま「そちに遣わす」という言葉とともに、千両箱をじいさんに渡した。欲深いじいさんは「ほくほくするのを無理にかくし」、千両箱を受け取るが、そのあまりの重さに返事さえできない。夢中で千両箱を担ぎ、よろよろしながら帰宅すると、じいさんを見た娘が、
「あれまあ、父さん。そったに砂利しょて何しただす」と叫ぶ。

第二話
村会議員になった平右衛門は自宅で祝いの席を催す。多くの人が駆けつけ、盛り上がる中、小吉という意地悪な百姓だけはこの酒宴がつまらないものだから、先に一人帰ろうとする。平右衛門のとめるのも聞かず、宴席を後にする。田の畔にあった疫病除けの張り紙である「源の大将」が自分をにらんでいると思った小吉は、それを路のまん中に立て直し、そのまま帰ってしまう。酒盛りが済んだので、酒宴に集まった人たちも帰宅しようとするが、さっき小吉が立て直した「源の大将」を「とっこべとら子」と見間違えて、全員がおびえてしまう。