アントニオ猪木さん、さようなら。 | 宮沢たかひと Powered by Ameba

中学生時代、猪木さんは私にとってスーパーヒーローでした。

 

テレビのプロレス中継で、猪木さんと対決した外国人プロレスラー達、

ザ・デストロイヤー、ドリー・ファンク・ジュニア、ビル・ロビンソン、タイガー・ジェットシン、ブッチャー、アンドレ・ザ・ジャイアント、ミル・マスカラス、フリッツ・フォン・エリック等々、なぜか覚えています。モハメド・アリとの異種格闘技戦は食い入るように見ていました。

学校では、友達とコブラツイスト、卍固め、4の字固め等をかけあって遊んだものです。

 

そして、50歳代半ば、国会議員になったらそのスーパーヒーローが目の前に!

食事まで招待して頂き、完全に舞い上がっていました。さらに、選挙では「俺のダチだから」というだけの理由で長野市まで応援に駆けつけてくれました。

 

その人柄は最高でした。地位、富、名声をうけながらも、ひけらかすわけでもなく、初対面の人と自然体で接し、むしろ嫌な思いをしていないかと気を配り、冗談とダジャレを連発して場を和ませ、サービス精神旺盛でいつも笑顔でした。一方で、真剣に日本の政治を心配し、「興行家として、俺流に政治活動をします!」と述べ、普通の政治家が思いつかないようなアイデアで外交や政治活動を実行していました。

 

先に亡くなられた奥様 田鶴子さんが経営するスナックにも何回かお邪魔しましたが、常に周りには仲間が集い、人望の厚さに驚かされました。田鶴子さんが猪木さんの健康管理とスケジュール管理を一手に担っていたようですが、仲の良いご夫婦でした。

 

石原慎太郎先生同様、猪木さんも私に「男の生き方の見本」を教示してくれました。

 

アントニオ猪木さんとの出会いに心から感謝し、深くご冥福をお祈りいたします。