ベルリンの壁崩壊後30年目の思い | 宮沢たかひと Powered by Ameba

本日は、1989119日にベルリンの壁が崩壊してから30年。

 

流石に感慨深いものがあり、当時を思い起こしながら、今の思いを述べてみたいと思います。

 

当時私は30歳代の半ば。同年の8月から単身で西ドイツのケルン市にあるマックスプランク神経病研究所での研究生活を開始し、やっと研究と生活に慣れ始めたころでした。

 

ゴルバチョフ大統領とブッシュ大統領の政治的誘導により、同年の初旬からヨーロッパでは様々な動きがあり、7月頃からヨーロッパのあちこちで民族大移動のような現象があり「変だな」とは思っていましたが、周囲の西ドイツ人たちと同様、まさかベルリンの壁が崩壊するとは思いもしませんでした。

 

10月のある週末、西ドイツと東ドイツの国境近くにある西ドイツ人友人宅を訪れ、国境の壁の前で記念写真を撮ったばかりでした(写真1)。灰色の壁の向こうには監視台があり、「そこの柵を超えて壁に近づくと、あそこから射殺されるよ」と言われ、さらに別な壁の前には過去の実際に壁を超えようとして射殺された人たちのための白い十字架(写真2)が並んでいたのを見て、背筋が寒くなったものです。

 

119日のベルリンの壁崩壊のニュースは研究所のドイツ人たちと同時に知りましたが、ドイツ人たちは狂喜するだろうと想像していたのですが、なぜか複雑な心境のようで、一部のドイツ人は難しい顔をしていたのを覚えています。そのようなドイツ人たちと政治的な話を英語でするほどの英語力は私になかったので、彼らの心境の詳細を知る由はありませんでした。
 

12月になりクリスマス休暇をもらえたので、かねてから行きたかったベルリンに一人で観光旅行に行きました。1222日に雨の中ベルリン駅に降り立ち、ブランデンブルグ門でも行こうかと思い、バスを探したのですが動いてないことを知り、さらにタクシーを探したのですがやはりつかまえることができず、仕方ないので徒歩でブランデンブルク門に向かうことにしました。

 

すると、私と同じように雨の中を徒歩でブランデンブルク門に向かう多くの西ドイツ人がおり、尋ねてみると、「ゴルバチョフ大統領のクリスマスプレゼントとして、ブランデンブルク門の前の壁を開門してくれる」とのこと。すべての公共交通機関が止まっているので、皆歩いて門に向かっているとのことでした。

 

ブランデンブルク門に近づくと、大勢の西ドイツ人が集まっており、クレーンから吊り下げられたテレビカメラが門の上空にありました(写真3)。2時間ほど待った後、昼、開門の瞬間に大歓声が起こり、壁の一部がもち上げられた瞬間に大勢の東ドイツ人が西側になだれ込んできました。

 

広場にいた私は東ドイツ人の中でもみくちゃになり、ある初老の男性に抱きつかれ、「1マルクコインを交換しよう!」と言われ、歓喜の中で西側の1マルクコインを差し出しました。受け取った東側の1マルクコインは軽く、日本の1円硬貨のようでした。

 

少し離れた壁に行くと、石ノミで壁を破壊し、欠けらを並べて売っている人もいましたが、今思うと買っておけばよかったと後悔しています。

 

 
 
 
 
 
 
 
 

 

年が明け、1990年の春、元東ドイツ人を雇用促進するという政府の方針とかで、真っ黒なあご髭をもつ同世代の男性元東ドイツ人が研究員として赴任してきました。口数が少なく、最初は元西ドイツ人ともあまり話をしていないようでしたので、また私が外国人だから話しやすかったのか、よく話すようになり、かつての東ドイツのことをいろいろと教えてくれました。

 

会話内容の詳細は覚えていませんが、東ドイツ人としての誇りがあるようで、統一ドイツのために頑張りたいと気合が入っていたのを思い出します。

 

一方で、西ドイツ人研究者たちはドイツ統一に対しては概ね肯定的でしたが、東ドイツ支援のために税金が上がったとかで愚痴をこぼしていました。

 

以上、私が覚えている範囲での、ベルリンの壁崩壊にまつわる思い出話でした。

 

 

この経験が、私が政治の世界に入る決断をした理由の一つであることは間違いありません。

 

 

30年ということは、ベルリンの壁崩壊後に生まれたドイツ人は立派に成人し、ドイツを支える世代になっています。今のドイツでは東西の経済格差とか、東西の差別意識とか、難民流入による社会情勢の変化など、様々な問題が山積しているようですが、EUのマネージメントを含め、今後もヨーロッパでの主導的国家として発展していくことは間違いないでしょう。

 

 

そして、経済面でも、安全保障面でも、ドイツとの緊密な連携が日本にとって不可欠であることは言うまでもありません。

 

以上ですが、このような手記を書いていると、再びバックパッカーとして、釣りしながらヨーロッパを旅したくなりました。(^^)