日本相撲界を通して見えた、優れた外国人に対する日本人の対応 | 宮沢たかひと Powered by Ameba

私は特に相撲の熱烈なファンというわけではなく、千秋楽をときどきテレビで観る程度です。この度の貴ノ岩暴行事件についてもニュース等から自然に耳に入る情報の範囲でしか知りません。ただ、この問題の根底には、「日本で活躍する優秀で実力ある外国人をどのように扱い、日本人がどのように受容して行くのか?」という問題点を内包するという意味で、重要な事件と思います。

 

日本は他国と海で隔離された島国であり、江戸時代に長い間鎖国していたこともあり、外国人が地続きで入れる大陸の国と比べると、歴史的に外国人への対応の仕方が異なります。日本人は一般的に外国人に対して寛容で親切です。外国人が観光客として日本を訪れ、おカネを落とすことに異論のある日本人はいないでしょう。各観光地での外国人のマナーが話題になることもありますが、日本人も他国の観光地では批判の対象になっているかもしれませんので、これはお互い様です。

 

一方、日本の各業界で日本人と一緒に働く、あるいは相撲のように日本人と闘ってその業界での地位を築く外国人については、日本人の中でコンセンサスは無いように思います。統一したコンセンサスは無くてもいいのかもしれませんが、少なくとも外国人を念頭に置いた緻密な組織ガバナンスを考慮する必要があります。

 

相撲業界に話を限ると、伝統あるモンゴル相撲で体を鍛えたモンゴルの若者たちが、実力さえあれば横綱まで到達でき、おカネも入る日本の相撲界に興味を示すのでは当然です。一方、日本相撲協会の親方にとっては、元々素質があり、番付上位に上がれる資質のある若者がいれば、どこの国の出身であろうと自分の相撲部屋に入れ、鍛え上げて横綱にしたいと思うのも自然です。

 

しかし、モンゴル人たちと対等以上に闘える日本人力士が大勢いた時代はよかったのですが、昨今のように三役を多くのモンゴル人力士が占め、優勝するのがいつもモンゴル出身力士では、相撲という競技に対する日本人の興味が薄れていくのは必定で、相撲の存続も危ぶまれます。また、モンゴル出身の力士が親方を務めるようになり、日本相撲協会の中で発言力を持つようになれば、いずれ相撲協会理事がモンゴル出身力士たちに占められる状況になるのは時間の問題ではないかと思います。さらに、現役

日本人力士にモンゴル人力士を凌駕する実力があれば、日本相撲協会がこれほどメディアのターゲットにはならなかったかもしれません。

 

日本相撲協会は過去2030年の間に、身体能力の高い外国人の若者を積極的に各部屋に招き部屋同士で競ってきましたが、外国人の扱いについて秩序があったようには見えません。外国人ですから日本の慣習に馴染めないあるいは批判的になることもあるでしょうが、日本人の中で日本社会のしきたりにのっとって仕事をしている限り、日本人に対して意見や不満を語ることはほとんどないでしょう。しかし、各国に日本人コミュニティが存在するのと同様に、日本にいるモンゴル人力士だけのコミュニティの中で親交を深めながら日本相撲協会に対する不満をぶちまけストレスを発散する機会にしているのも理解できます。今回の貴ノ岩暴行事件も、そのような場で起きました。

 

相撲は伝統ある国技ですので、日本人よりも身体能力に勝る外国人を迎え入れるならば、今後実力ある外国人力士をどのように扱い、日本人の相撲に対する思いとの間にどのような整合性をとるのか熟考する時期であると思います。外国人に対して、日本人と全く同じ感覚で日本の格式ある伝統を引き継ぎ、守っていくように強制するのは無理があるように思います。それは、世界で活躍する日本人がそれぞれの国の伝統やしきたりに表面上は従っていても、現地の国民から見ればあくまで表面的適応に過ぎないのと同じことです。

 

日本の格式と伝統の中で、日本人だけで競技する国技を「相撲」と定義し、一定の規律の中で外国人が自由に参加できる国際的格闘技としての「SUMO大会」「世界相撲選手権大会」を別途設けるのも一案です。

 

少子高齢化により日本人の人口減少が確実である将来、在日外国人が増えるのは必定ですが、日本語が堪能で優れた実力ある外国人が各業界の中で活躍し指導者となって行くにあたり、日本人がどのようなガバナンスと心情で、どのように対応して行くのか、そろそろ日本人各自と各組織が真剣に考えなければいけない時期と思います。

 

日本相撲協会の事件は、他山の石 ではないのです。