【丸山眞男先生の文章に触れ、新人議員の役割が見えてきた】 | 宮沢たかひと Powered by Ameba
久しぶりに丸山眞男先生の文章に触れ、新人議員の役割が見えてきました。

以下に、懐かしい、「『である』ことと、『する』こと」 (丸山眞男先生著、岩波新書)の中の一節を紹介します。

 【民主主義とはもともと政治を特定身分の独占から広く市民にまで開放する運動として発達したものなのです。そして、民主主義をになう市民の大部分は日常生活では政治以外の職業に従事しているわけです。とすれば、民主主義はやや逆説的な表現になりますが、非政治的な市民の政治的関心によって、また『政界』以外の領域からの政治的発言と行動によってはじめて支えられるといっても過言ではないのです。】

【政治と文化とをいわば空間的=領域的に区別する論理こそまぎれもなく、政治は政治家の領分だという『である』政治観であります。それが打破されない限りは、いったん政治の世界にはいったものは行住座臥すべての活動と考え方が「政治的」になり、反対にその世界の外にある者は政治に全く縁無き衆生ーという「あれかこれか」の態度が個人についても国民の歴史についてもつきまとい、あるいは極端な「政治主義」から急激に政治的問題に背を向ける、われ関せずの態度に変り、それからまたオール政治主義になるというふうに両者が交互に反覆していくことを避けられないのです。】

当選回数の多い政治のプロも重要ですが、当選回数の少ない新人議員も同程度に重要な役割を持つということです。今、私の脳の半分くらいは『政治化』されたかもしれませんが、残りを占める『国民の感覚』は大事にしたいと思います。