2022年4月15日

 

 マリウポリで出会った友人から一枚の写真が届きました。戦禍が激しくなるマリウポリを離れる直前に壁画のことを思い出し、わざわざ危険を冒してこの写真を撮りに行ってくれたそうです。彼は日本が大好きで、僕たちが滞在中に何度も足を運び壁画制作を手伝ってくれていました。差し迫った状況下で、この壁画のことを思い出してくれたことを思うと、涙が出そうです。

 残念ながら2017年に描いた壁画は攻撃で破壊されてしまいました。悔しいけれど、この壁画の近くに住んでいた人たち、そして何より一緒に壁画を描いた子供たちの安否が心配でなりません。

 

 

 僕が残してきた壁画には、それぞれにその後の「ストーリー」があります。

 

 

 

 震災後の大船渡に、プレハブで営業を始めた理容室に描いた壁画は復興後別の場所に移設され、復興遺産としていまも存在し続けています。

 

 

 ケニアのスラム街にある小学校に描いた壁画は、生徒数の増加と共に3回描き変えられました。当初100名ほどだった生徒が300人になり、500人になり、その度に校舎が増設され、壁画を描き足されていきました。

 

 

 エクアドルの刑務所に描いた壁画は30mに渡って描かれましたが、地元のアーティストたちによってその続きが描かれているそうです。

 

 

 

 壁画は人々の生活と共にあります。描いた瞬間が終わりではなく、むしろ始まりです。作家であろうともその壁画のその後をコントロールすることは出来ません。現地の人々に託して、あとは彼らのその後をそっと見守ることしかできません。でも僕はそれでいいと思っています。

 

 

 その壁に絵がなかったらただの壁でしかありません。でも絵を描いた壁が壁以上の存在になれば、それはアートの力の証明になります。僕はそんな願いを込めて自分の活動に「Over the Wall」という名を付けました。このウクライナの壁がただの壁ではなく、平和と復興の象徴として生き抜いてくれることを願って止みません。