タイムズスクエアのスケッチ

 

 ※23歳の時に、憧れのアーティスト篠原有司男さんに会うために単身渡米しました。絵描きになるにはどうすればいいのか?自分の中で答えを探す旅でした。当時のスケッチブックの絵と日記を元に振り返ります。

 

2002年3月1日 

 

 今日は昨日遅かったために朝が辛かった。とりあえず駅を目指して歩いたが迷い、失敗。マックに入って作戦を練った。とりあえず自由の女神などを見たくて駅を探すもDown Townの駅が見つからず、ミッドタウンのタイムズスクエアを歩くことにした。タイムズスクエア周辺は確かに都会だったけどそれほどの感動はなかった。有司男さんとの約束の5時までは時間があったのでウォール街のほうに行ってみることにした。

 ウォール街の街並みは大変なものだった。教会もあり、ヨーロッパを思わせる作りは感動的だった。歩いていると何やら花や写真がたくさん飾ってあり、なんだろうと思ってよく見てみると、それはまさに貿易ビルの跡地だった。本当にこんなところに飛行機が突っ込んだのかと思うと、強烈な印象を受けた。帰りに1ドル25セントで買ったホットドックはめちゃくちゃ旨かった!

 

 

 せっかくだから自由の女神を拝みに港を目指したが、どうやら彼女が見えるのは公園かららしく歩いていると、黒人がスーツケースに入ったサングラスを売りつけにきた。こんなの買うやつなんていないでしょ!と思って逃げるように立ち去ったが、ホテルに帰ると友達になったユウスケが「買っちゃったー」といってサングラスを見せびらかしていた。自由の女神はやはり遠く、ぼんやりとしか見えなかったけどやっぱり実感と感動はあった。

 

 

 9.11のグランド・ゼロに行ったのは偶然でした。高層ビルが立ちならぶエリアを歩いていたら突然花束が並んでいるのを見て、ようやくそこがアメリカ同時多発テロの現場であることに気がつきました。まだ事件から半年ほどしか経っておらず、物々しい雰囲気で、よく考えると街中に星条旗が溢れていたのもこの影響だったと思います。ニューヨークで会う人は皆その話で持ちきりで、これからどうなっていくのか不安を感じていました。僕が行った2002年はそんなちょっと不穏な雰囲気のニューヨークだったのです。

 

 

 そろそろ時間だと地下鉄に乗り込み、ブルックリンを目指した。これが大変で地下鉄を行ったり来たりの繰り返し。ようやくたどり着いたものの、ベルを押すのがためらわれる。昨日のことが現実だったのか疑わしく思えてきてしばらくまごまごしてたけど、エイクソとベルを鳴らすと有司男さんが出てくれた。今日は息子のアレックスが来るということで、彼を待ちながらまたもやご飯をご馳走になった。程なくしてアレックスがやってきた。彼はとても気さくでフレンドリーなアーティストだった、すぐに意気投合してお互いの作品を見せ合い仲良くなった。

 

ロブスターの実際の写真

 

 

 すっごいロブスターを解体して尻尾を刺身、ハサミと胴体を茹でて食べさせてもらったが、マジで旨かった。かなり酔っ払ってきたところに、一緒にいたコロンビア人のアーティストのアトリエで飲み直そうということになり移動。コロンビア人のアーティスト、アレックス、アレックスの彼女の4人で飲んでいると、突然ラップやらなんやらが始まった。お前も何かやれと言われたので、侍の真似をして剣道ポーズを取ったら、日本人のアレックスの彼女も参戦。二人で剣道の打ち合いのようなことをしてふざけていたら突然アレックスがブチ切れだし、訳のわからない英語を連呼しながら飛びかかってきた。みんなに止められ、オレは返される羽目に。それぐらいみんなベロベロに酔っ払ったクレイジーな夜。今日も帰ったのは1時ごろ、ニューヨークの夜はぶっ飛んでる。

 

 

 

 有司男さんの息子、アレキサンダー空海君とはその後何度か会うことになりますが、僕は英語が苦手で、彼は日本語が苦手。交流は作品を見せ合うことでした。彼はヒップホップの文化もグラフィティの文化もネイティブに吸収していて、そのアートセンスもアティテュードもとてもぶっ飛んでいました。僕にとって初めて出会った同世代のニューヨーク・アーティストの姿は刺激的でした。ちなみに日本から持ってくたとらやの羊羹はこの時有司男さんにお渡ししたのですが、この羊羹がなければ豪華なホームパーティーで僕の居場所はなかったかもしれません。場違いな雰囲気をとらやの羊羹が救ってくれたのです