そもそもエクアドルに僕らが興味を持ったきっかけは、東ティモールの報告会に来てくれた宮浦歩美さんとの出会いがきっかけでした。彼女は学生時代にエクアドルに渡り、現地のNGOでボランティアをされていました。その経験が大きく彼女の生き方に影響を与え、100周年の記念年に合わせてエクアドルと日本をつなぐ活動をしたいという強い気持ちをもったそうです。

 

 彼女が考えたのは、エクアドルに日本の花火を打ち上げること。

 

 なんと彼女は帰国後、都内にある花火会社に就職してこの壮大なプロジェクトの準備を始めました。実際に花火職人を日本からエクアドルに連れて行き、現地でワークショップを行ったり、エクアドルまで花火を運ぶために自衛隊にまで交渉をしたりして、粘り強く実現に向けて動いていたのですが、やはり危険物である火薬を外国に運ぶという問題がどうしても立ちはだかり、現地で花火を上げることは叶いませんでした。しかし100周年の記念年に、エクアドルとゆかりのある福島県のいなわしろにて、エクアドルと日本をつなぐ花火を打ち上げることに成功。現地でその報告も行うことが出来ました。

 

 

日本と国交100周年のエクアドルの空に日本の花火を打ち上げたい

http://echanabi100.com/

 

 

 

いなわしろこ花火大会で打ち上げられた花火

 

 僕たちが声をかけられたきっかけは、現地であげられた花火は一瞬で消えてしまうけど、それを壁画で描くことで長くエクアドルと日本のつながりを残せるのではないか、という所からでした。残念ながら現地で花火をあげられないことから「花火の絵を描く」というプランは断念したのですが、その代わり歩美さんがボランティアをしていた場所に壁画を描くというプランはそのまま残りました。彼女がボランティアしていた場所はなんと、女性刑務所だったのです。

 

 

 歩美さんが働いていたのはキト市にある女性刑務所で、そこは受刑者の子供たちも一緒に暮らしていました。エクアドルにおいては受刑者の母親が刑務所に入ってしまうと、その子供は行き場を失い、ストリートチルドレンになってしまうケースが多いそうです。彼女はその託児所で6ヶ月間働いていたのですが、いまでも現地とつながりがあり、僕たちはその刑務所のスタッフとつないでいただくことになりました。

 

 

 最初に考えたのは、南米の刑務所ということで、とんでもなく怖い!!っという印象でした。とにかくそんな場所で僕らを受け入れてもらえるのか、可能性はかなり薄いのではないか?と思いながらも、まずはとにかく交渉をはじめてみました。難民の子供たちと絵を描くということもかなりすごいことだったけど、刑務所の中で受刑者と一緒に絵を描くことは、それ以上にぶっ飛んでいてもはやクレイジーなことだと思いました。ただ本当にそれが実現できれば、僕らが目指す「世界のどんな人たちとでも一緒に絵を描くことで心がつながれる」という理想に最も近づける活動になると思いました。

 

 とにもかくにも「女性刑務所に受刑者たちと壁画を描く」という途方もない活動をスタートさせることになりました。とにかく全く想像がつかないけれど、どきどきワクワクが止まらない!!新しい挑戦の始まりでした。

 

エクアドルの風景