ケニアから帰ってからというもの、僕は次の国をどこにすべきがずっと考えていました。2006年に初めてケニアで壁画を描いたときも、2010年に二度目の壁画を描いたときも、その後次の国に行こうとしたところで日本でやるべきことができてしまい、断念しました。今度こそは次の国に行くと不退転の気持ちで気合いを入れていたのですが、次の国のイメージがさっぱりありません。知り合いづてにいろんな情報をもらうものの、そこに壁画を描く必然性がなく、「ここだ!!」っという決定的な国に出会うことが出来ません。

 

久々に集まったケニアのプロジェクトメンバー

 

 そんな中、ケニアのプロジェクトを共したメンバーで集まりました。既に絆が生まれていて、一度きりのプロジェクトではなく継続的に活動していこう!っという話になっていました。そこで団体名を決めることにしますが、実は僕にはぼんやりとプランがありました。それはマゴソスクールで壁画を描いていたある日、山田さんがポツリと僕に言った言葉でした。

 

 

「ミヤケンはいつも壁にぶつかっていくよね。そしてそれを何とか越えようともがいている。壁画を描きながら、ある意味もう一つの壁も越えているような気がする。」

 

そういえばいつも壁と向き合っていた気がします

 

 そういえばこれまでの僕の人生もずっとそうでした。もっと器用に生きることは出来たと思うけど、かならず何かしらの問題にぶちあたり、それを乗り越えることで成長してきた気がします。「壁を越える」ことこそが僕の人生のテーマ、だからこの活動を「Over the Wall」と名付けよう!!みな異論はなく、こうして僕たちの活動名はOver the Wallとなりました。

 

「国際環境100人会議」でのワークショップ

 

 

 しかし次に行く国がなかなか決まりません。そんな中、福岡県の宗像市で「国際環境100人会議」というものに参加する機会がありました。僕は会場に来た人たちと一緒に絵を描くという仕事をしたのですが、そこには世界中から著名な方々がたくさん来ていました。後に本の挿絵を描かせていただく奥田政行シェフや後にOver the Wallのスポンサーになっていただく石坂産業さんにお会いしたのもこの会議でした。そしてここで僕の人生を変える出会いがありました。それがノーベル平和賞受賞者であるジョゼ・ラモス=ホルタ元東ティモール大統領との出会いでした。彼は僕が行っている活動を見て、

 

 

「このような活動が私の国で行われたらきっと素晴らしい!」

 

 

と言ってくださいました。

 

「国際環境100人会議」でのスピーチ

 

 

今思えばリップサービスだったのかもしれませんが、その時の僕には運命的に聞こえました。一国のトップに「来て欲しい」と言われたことで、僕の中の迷いは一気に吹き飛びました。来年必ず東ティモールに行く!これはもう僕の中で決定事項になっていました。

 

 

 ただ、これまでは僕を迎えてくれる受け皿があったからこそ現地での活動が出来ました。初めて知った国で自分を受け入れてくれる人を探すことは、想像を絶する大変さがありました。。。早くも僕は最初の壁に打ち当たったのでした。

 

国際会議には多くの著名人が集まっており、その後に繋がる出会いがたくさんありました