ハイチ大使館での新年会

 

 一月中旬に行われたハイチ大使館での新年会は、日本在住のハイチ人とハイチに関わる日本人が集まる会でした。大使館という場所ながらとてもアットホームな雰囲気で、Over the Wallから僕と山田さんが参加しました。会場は会議室のような部屋だったのですが、ハイチ料理が並び、誰かがiPhoneでハイチミュージックをかけて、早くもノリノリの状況でした。和やかな雰囲気の中、フランシリエン・ヴィクトリンハイチ臨時大使が登場すると、空気が変わり、ノリノリの音楽も止まります。まるで学校の先生が入ってきたようで少しおかしかったですが、そのまま大使は話を始めました。

 

ハイチ産のラム酒Barbancourt

 

 大使の話はフランス語なので残念ながら僕たちには分かりませんでしたが、おそらくは昨年起こったこと、そして今年起こることを事務報告的にしているようでした。特にビザについての注意事項を細かく行っているようで、日本におけるハイチ人は本当に小さなコミュニティなんだなと思いました。30分ぐらいそのまま話を聞いていると、突如として大使は僕たちの方を指差し、何やら説明を始めました。訳も分からず周りの人に即されて僕ら二人は立ち上がりますが、

 

「正式にハイチ政府としてOver the Wallの活動を応援することを決めました!」

 

という発表を英語でしてくれました。突然のことでビックリしたのですが、こいつ等は誰だ?という雰囲気から、一気に祝福モードに変わり、わけが分からないまま周りのハイチ人達とグラスを合わせました。そこから会は一気にヒートアップして、ハイチ産のラム酒が振る舞われ、若い子たちはダンスに興じます。さすがはカリビアンなお国柄、みな陽気にその場を楽しんでいました。僕らも多くの人と話ができて、とても楽しい一日となりました。

 

突然ダンスパーティーが始まりました

 

 この新年会に行ったことで、多くのハイチ人と知り合うことができました。その後プロジェクトは一時実施が危ぶまれる事態に直面しますが、この時出会った東大医学生のマックス、政府機関で働くオノラ夫妻らが僕らの危機を救ってくれます。本当に一つ一つの出会いがハイチ行きの扉を開いてくれたんだと感謝しています。

 

 その後しばらくしてからMSFの本部から連絡があり、正式にOver the WallをMSFで受け入れるという通達を受けます。日本大使館、ハイチ大使館からの後援を取り付けたことが大きな力となりました。まさか本当に憧れていた国境なき医師団とプロジェクトができるなんて!!夢のような気持ちで代表のJeanと連絡を取り、担当のリチャードを紹介してもらいました。これで一気に話が進む!!っと思ったのもつかの間、事態はそう簡単ではありませんでした。。。

 

ようやく手に入れたハイチ大使館からの後援レター。これをもらうために何度も大使館に足を運ぶことになりました。

 

 まず障害になったのは言葉の問題。これはどの国でもそうなのですが、僕らが使える英語では交渉のスピードが思うように上がりません。担当のリチャードもおそらくあまり英語が得意ではなかったので、なかなか返事をくれません。それに加えてハイチの情勢が思わしくなく、デモの影響で職場に入れない日もあると言っていました。ここに来てようやくハイチの情勢が思ったより深刻で、実施は容易ではないことを知ります。

 とにかく僕たちは、壁画を描く場所、宿泊先、移動手段などを早急に決める必要がありました。すでに2月を過ぎており、実施まであと半年もありません。ようやくにしてリチャードから病院内の壁面の写真を送ってもらい、壁画のプランを考え出しました。

 

リチャードが送ってくれたMSF病院の写真

 

 これまでは現地に協力者がいて、その人を通して色んな交渉ができたのですが、今回はその仲介者がいないことが大きな問題でした。思えばウクライナもエクアドルもある意味現地からの要請があって行ったプロジェクトだったのですが、今回は完全に僕たちから売り込んでやらせてもらう形なので、交渉は難航を極めました。