近藤誠氏への批判③がん治療の専門化が近藤理論に利する理由 | がん治療の虚実

近藤誠氏への批判③がん治療の専門化が近藤理論に利する理由

今の日本の医療はどの領域も専門化が著しい。
がん領域も例外ではなく、医学の進歩が速すぎる様にも思える。
こと抗がん剤に関しては、動物実験など基礎研究は盛んでも、実際の人体への適応ではなかなか実用化されなかった時期が長かった。
インターフェロンや抗体に抗がん剤をくっつけたミサイル療法などメディアにはよく紹介されていたが、続報では副作用が強すぎたり、全く効果が無かったりと不遇の時代が続いていた。

例えば大腸がんで言えば5FUが登場したのが1957年。その次に開発された抗がん剤イリノテカンは1995年で随分離れているが、その後は立て続けて発売されている(日本での認可年度を記載)

2005年オキサリプラチン(商品名エルプラット)
2007年ベバシズマブ(商品名アバスチン)
2008年セツキシマブ(商品名アービタックス)
2010年パニツムマブ(商品名ベクティビックス)
2013年レゴラフェニブ(商品名スチバーガ)

これらはそれぞれどんな組み合わせで、あるいはどういう順番で逐次治療したら最も生存期間が延びるのか、数多くの臨床試験をもとにけんけんがくがくの議論がなされている。

患者さんから見ればもっと一発でなおる画期的特効薬は出ないのかと思うかもしれないが、現実には生存期間中央値(半分の患者さんが亡くなる時期)を数ヶ月ずつ延ばしていくのが精一杯だ。

それでも長年の新薬開発と臨床試験の積み重ねで大腸がんステージIVでは緩和ケアのみの生存期間中央値約8ヶ月から、上記4~5系統の抗がん剤全てを使い切ることで25ヶ月以上と3倍延長できている(これはあくまで半分の患者さんが亡くなる期間つまり中央値であり、3~4年以上の長期生存例はかなり増えている)。

問題は薬剤費が100倍以上になった事、絶妙な副作用コントロールとその患者さんのがんの特性に合わせた治療戦略が必須である事だ。
そういった意味では誰もが最新のがん治療を追求している専門家に治療して欲しいだろう。
確かに副作用など大きな問題がなく抗がん剤治療ができれば良いのだが、日常生活に支障がない程度の副作用を承知の上で治療効果を狙うというのが現在の抗がん剤治療なのだ。

それでもそんな副作用ではあまり苦しみたくないと言う要望があれば、それに応える事は出来る。
少し抗がん剤の量を減らしてもらえば良いわけだ。
その場合通常よりやや生存期間が短くなることは受け入れてもらう必要があるが、早期緩和ケア導入した場合、抗がん剤治療回数が少ない患者さんの方が生存期間が逆に長くなったように、ぎりぎりの無理な治療はあまり良くないのも事実だろう。

問題は抗がん剤治療が無効となったときだ。
抗がん剤治療が有効な時期を過ぎると患者さんは担当医から地元の病院や緩和ケアに移るよう通告されることが多い。
これは抗がん剤の専門医のマンパワーの問題で病院を移ってもらう必要があるからだ。
抗がん剤の専門家は腫瘍内科医であろうと外科医であろうと、新しい治療法を開発する研究者でもあるため、どうしても治療データを築き上げる使命がある。

しかし患者さん側としては自分のことを良く理解してくれ、信頼関係もできている医師から見捨てられるように感じてしまう。
また担当医も「もう治療法が無いから」「もう何もできないから」という配慮に欠いた言葉を使ってしまうケースがあるようだ。

医療側は抗がん剤を投与しないのであれば、自分の病院に通院してもしょうがないと考えがちだ。
しかし患者さん側から見れば、定期的に受診して血液検査を受けるだけでも診てもらっているという安心感を得られる。
ここにお互いの認識のギャップがある。


さて前置きが長くなったが、近藤誠氏は週刊文春2011年1月27日号記事で近藤誠氏は以下のような主張をしていた。
-----引用-----
がん治療に関心があるという医学生に進路相談に際し「腫瘍内科医になるのだけは止めなさい」、「理由は、転移性固形がんは治らない上、抗がん剤の毒性で患者を苦しめる。それを一生の仕事にすると、患者の苦悶に対して涙する感性を失いかねない。治らない患者を診るなら、患者・家族に感謝されるホスピス医の方が数等ベター」と伝えています。
-----------------ここまで
参考: 近藤誠氏への反論III③腫瘍内科医になると患者さんの苦悶に鈍感になる?
http://ameblo.jp/miyazakigkkb/entry-10791013158.html

こう言う意見が出るのは治療データを出すことを至上命題としていて、副作用を抑える支持療法、緩和ケアの手法を十分活用できていない専門医が少なくないからだろう。
抗がん剤の専門医は治療効果だけを追求するだけではなく緩和療法にも精通している必要がある。

ただし今はがん対策基本法に基づくがん対策推進基本計画において、「すべてのがん診療に携わる医師が研修等により、緩和ケアについての基本的な知識を習得する」目標が掲げられている。
そして厚生労働省と日本緩和医療学会により、がん治療の初期段階から緩和ケアが提供されることを目的に、これら医師に対する緩和ケアの基本的な知識等を習得するための研修会「PEACE プロジェクト」が実施されているので状況は良くなってきていると信じたい。

参考: PEACEプロジェクトについて
http://www.jspm-peace.jp/about/index.html

そもそも固形がんに対する化学療法は別名緩和的化学療法とも表現され、延命至上主義ではなく、「間接的鎮痛剤」としての役目も期待するわけだから、抗がん剤の副作用を真っ先に緩和しないと意味がないし、治療効果も上がるはずがない。
参考: 早期緩和ケア導入が生存期間を延長する①
http://ameblo.jp/miyazakigkkb/entry-11519597602.html

やや話が分散してわかりにくくなったかもしれないので、別の表現でまとめてみよう。

・抗がん剤治療の専門化が進むことは治療発展に不可欠。実際に臨床試験を積極的にやっている所ほど抗がん剤の使い方がうまくなるのは事実。

・医師は治療データが向上することを目標としているが、一方患者さんにとっては一時的な治療効果だけではなく、治療が無効となった後も含めた、最期までの治療人生全体が大問題。そこに無頓着な医療者がいるのは残念。

・本来抗がん剤担当医も緩和ケアに精通しておくべきだ。
しかし緩和ケアは緩和ケア医、緩和ケア病棟でという極端な専門化が、患者さんを結果的に失望させ、近藤誠氏の主張に利する結果となる。

なおここまでの記事を見ると近藤誠氏の主張もあっているではないかと言う意見もあるでしょう。
当方としては氏の主張が全て間違っているというつもりはなく、同意できる部分も少なからずあります。ただ問題は9割のまともな科学的根拠を持ってきておいて残りの1割で、あまりに我田引水的な結論に誘導する手法をとっているため、専門家でないと見抜けない危険性を憂慮しています。

次回は少しおまけの番外編として「一般医も緩和ケアを習熟すべきだ」を予定しています。