神社に行ってお参りするとき確かめて見て下さい。
一番奥には鏡があるのを発見するでしょう。
わざわざ遠くに出向き、お賽銭を払い、自分の顔を拝むことになります。
どういうことなのでしょう?
答えは分かりますか?
「自分を信じなさい」
ということです。
鏡に映っている自分自身に手を合わせ願う事は、自分の意識に願うことなのです。
ここである神社での面白話をします。
知人何人かを連れて、地元の神社を案内した時のことです。
駐車場について車を停め入り口に向かおうと歩いていると、何かに呼ばれたように車下の落ち葉下が気になり車を少し移動し足元の落ち葉をめくってみました。
下から現れたのは柄の入った1枚のカード。
ゆっくりめくってみると
面白いことに綺麗なキリストのカードでした。
それから神社の階段を登りながら進み、途中で振り返ると、不思議な錯覚をおこしました。
見ると階段は上に登って見えるのです。
神社は、全て計算されたデザインと演出がある事も周知の事実です。
知人達と何度も登って降りて確認しましたが、皆同じように見えると言ってました。
その時一瞬でメーセージが降りて来ました。
「上も下もない」
人間は神が上だとか仏が上だとか思いがちですが、そうではないということです。
異教のイエスまで落ち葉の下に埋もれながら、それを体現してくれました。
まとめると、
上の神様に会いに行くため登ったけれど、振り返ると階段はまるで下っているように見え、足下にイエスのカードが落ちていたという現象を使い、私達に上も下も、おまけに宗教の違いもないと教えてくれたのだと確信しました。
神社の鏡も同じことを伝えているのではないでしょうか?
参拝中の面白体験が他にもたくさんあるのですが、機会があればお話したいと思います。
前にも申し上げたように、私個人は宗教に全く関心がありません。
案内を頼まれたので、参拝しました。
もう7年ほど前のことです。
あれからほとんど神社には行っていません。
美しい場所ですから、行けば気分が良いことは理解しています。
ですがパワースポット的な考えや、御利益を望んで行くことはありませんし、おすすめもしません。
聖なるものの存在を感じることはままありますが、聖なるものがいることろに邪がいないわけではないからです。
以前怖ろしいものに出くわすこともありました。
あまりフワフワと軽い気持ちで近づかないほうが良いところもあるのです。
誰かがパワースポットだと言うからと、御利益目当てに行っても、逆にパワーを吸い取られる危険もあることを十分ご理解下さい。
私の場合、鏡なら毎朝顔を洗う時に見ることが出来ます。
ですから神様に何も頼むことはありません。