駅名(地名)の由来について投稿します。
今回もテーマはJR東日本水郡線①です。
水郡線(すいぐんせん)は、茨城県水戸市の水戸駅から福島県郡山市の安積永盛駅(あさかながもりえき)までと、茨城県那珂市の上菅谷駅で分岐して同県常陸太田市の常陸太田駅までを結ぶJR東日本が所有する鉄道路線です。
水郡線については茨城県内にある本線と支線、福島県内にある各駅を3回に分けて紹介します。
今回:水戸駅〜下野宮駅
次回:上菅谷駅〜常陸太田駅(常陸太田支線)
後日:矢祭山駅〜安積永盛駅
宜しかったらこのまま読み進めて下さい。
JR東日本水郡線① 水戸駅~下野宮駅
水戸 みと
常陸青柳 ひたちあおやぎ
住所は茨城県ひたちなか市大字枝川ですが、駅名となった「青柳」は那珂川の対岸(南側)にある水戸市の地名(水戸市青柳町)です。
「青柳」は、鎌倉時代から続く自然地名で、那珂川の河川敷やその周辺に青々と茂っていた「柳(枝垂柳)」に由来しています。
1927年(昭和2年)に路線が国有化された際、すでに他路線(中央本線)に同名の「青柳駅(長野県)」が存在していたため、旧国名の「常陸」を冠して「常陸青柳駅」に改称されました。
常陸津田 ひたちつだ
駅名は開業当初の那珂郡川田村大字津田に位置していたことから名付けられました。この地域は那珂川の北側に面しており、古くから舟での輸送(舟運、しゅううん)や水辺の生活に密接に関わっていました。その那珂川沿いの水際(津)に切り拓かれた「田(田んぼ、耕作地)」であることから、古くより津田と呼ばれるようになりました。
当駅の開業当初、片町線(現在の学研都市線)に「津田駅」が存在していました。混同を防ぐために旧国名である「常陸」を頭に付け、「常陸津田駅」となりました。
後台 ごだい
駅名は開業当初の自治体である「五台村」ではなく、旧村名(大字)である「後台」から名付けました。
「台(だい)」は、那珂川の北側に広がる平坦で一段高い土地(那珂台地)を意味します。古くから見て、中心となる主要な高台や集落、あるいは古い官道(街道)から見て「後ろ側に位置する台地(高台)」であったことから、「後台(うしろだい、のちに音読みで『ごだい』)」と呼ばれるようになったと言われています。
下菅谷 しもすがや
駅の所在地である那珂市の古い地名「菅谷(すがや)」と、水戸側から見て手前(下流側・南側)に位置する地理的関係に由来しています。
「菅谷」は室町時代から存在していた地名で、那珂台地と呼ばれる平坦な台地の中に、雨水などで削られた低い土地(谷地)や湿地が入り込んでおり、そこに菅(すげ)が群生していたことから名付けられました。
中菅谷 なかすがや
すでに存在していた「下菅谷駅」と「上菅谷駅」のちょうど中間(真ん中)に新しく作られたことに由来しています。
「菅谷」については下菅谷駅をご参照ください。
上菅谷 かみすがや
常陸鴻巣 ひたちこうのす
鴻巣という地名は鳥の「コウノトリ(鴻)」が巣を作った場所、あるいは「高台の砂地(高の洲)」といった地形から転じたなど諸説あります。
既に高崎線に鴻巣駅が存在したことから「常陸」を冠しました。
瓜連 うりづら
古くから、この地域は久慈川と那珂川に挟まれた丘陵地帯(瓜連丘陵)に位置しています。アイヌ語や古い言葉で「ウリ」は丘を意味し、「丘が連なる場所」ということから「瓜連(うりづら)」という地名が生まれたという説が有力です。また、豊かな水源や湧き水があり、水が潤う平地や台地が連なっている様子(潤い連=うるいづら)から、言葉が変化して「うりづら」になったという地形由来の説もあります。
静 しず
近隣にある歴史的な古社「静神社(しずじんじゃ)」が名前の由来となっています。1918年(大正7年)11月、静神社の秋の例大祭に訪れる多くの参拝客を運ぶために、臨時の停車場(ホーム)を設置したのがこの駅の始まりで、その翌年に正式な駅となりました。
尚、「静」という地名や社名は、「静織(しづおり)」が変化したことに由来しています。
常陸大宮 ひたちおおみや
駅名は、那珂郡大宮町内下町にある甲(かぶと)神社から来ています。
既に東北本線に大宮駅が存在したことから「常陸」を冠しました。

玉川村 たまがわむら
駅名はかつて属していた那珂郡玉川村に由来しています。
「玉川」の地名は、久慈川の支流で、玉のような石を産する川を意味しています。

野上原 のがみはら
駅が所在する場所の地名である「野上」と、かつてこの周辺に広がっていた平坦な土地(原野・台地)を意味する「原」が合わさって名付けられました。
山方宿 やまがたじゅく
駅名の通り、かつてこの地が江戸時代に南郷街道(水戸と棚倉を結ぶ街道)の宿場町「山方宿」として栄えた歴史に由来しています。
山方は山の手のことで、高館山(たかだてやま)へ向かって開けた集落であることを示しています。

中舟生 なかふにゅう
一般的に「ふにゅう(舟生・船生)」という地名は、川の渡船場(渡し場)があった場所や、舟の往来・管理に関わる人々(舟人)が住み着いた場所(=舟が生じる、集まる場所)に由来することが多いとされています。
明治の大合併以前、この場所に位置する地名は「舟生村」でした。1956年(昭和31年)に国鉄の駅として開業した際、すでに舟生地区の中心的な場所(あるいは位置関係)を示す形で「中舟生」と名付けられました。
下小川 しもおがわ
「小川」の地名は、地域を流れる久慈川やその周辺の小さな川・水流にちなんでいます。久慈川の下流側(南側、常陸大宮方面)に位置することに由来しています。
西金 さいがね
西金とは、西方に金鉱を八溝(やみぞ)山地(主峰は1022mの八溝山)を望む土地です。古くから金の採掘が行われていたことが『続日本後紀』にも記されていまます。
上小川 かみおがわ
「小川」の地名は、下小川駅をご参照ください。
久慈川の上流側に位置することに由来しています。
袋田 ふくろだ
常陸大子 ひたちだいご
「大子」の地名の由来には、主に2つの説があります。
①湧き水の味に由来する説
古代、この地から湧き出る水(醍醐水)が濃厚でほんのり甘く、仏教で最高のごちそう・最高級の乳製品とされる「醍醐(だいご)」の味に似ていたことから名付けられました。のちに、現在の「大子」という漢字が当てられるようになったと言われました。
②川が集まる地形に由来する説
久慈川を中心に多くの支流(沢)が合流する様子から、「大きな沢」を意味する「大いなる子(川の意)」、あるいは「大子(おおこ)」と呼ばれていたものが、音変化して「だいご」になったと考えられます。

下野宮 しものみや
「下野宮」はこの地名は、奥州(東北地方)への入り口として古くから信仰を集めてきた「近津神社(ちかつじんじゃ)」に深く関係しています。
かつて久慈川流域の地域一帯には、一宮・二宮・三宮にあたる3つの主要な近津神社(近津三社)が存在していました。
①上の宮(かみのみや):福島県棚倉町馬場
②中の宮(なかのみや):福島県棚倉町八槻
③下の宮(しもののみや):茨城県大子町下野宮
このうち「下の宮」が鎮座する地域であったことから「下之宮」、のちに「下野宮」という漢字が当てられ、村の名前や駅名へと引き継がれました。
いかがだったでしょうか。
次回はJR水郡線の常陸太田支線の各駅の由来を紹介します。
最後まで読んで頂きありがとうございます🙇


