3050.命(3)百里の命を寄す | 論語ブログ

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命(3)百里の命を寄す

 

曽子曰わく、以って六尺(りくせき)の弧(こ)を託すべく、以って百里の命を寄(よ)すべく、

大節に臨(のぞ)んで奪(うば)うべからざるなり。君子人か君子人なり。

   泰伯第八   仮名論語1017行目です。

   伊與田覺先生の解釈です。

曽先生が言われた。「安心して幼い遺児をあずけることができ、また国政を任せることができ、重大事に臨んでも節を曲げることのない人を君子人というのであろうか。いうまでもなく真の君子の人だ」

 

この章では、「百里の命を寄す」と出てきます。「百里之命」とは、諸侯の国の政令の事で転じて国家の命運のことです。「百里」は、百里四方の国の意味で、諸侯の国をいいます。「命」は政令の事です。

この章は、曽子がこういう人こそ君子である。としてあげた典型です。信頼できる人物をたとえる場合、古来、この章から引用して「六尺の弧を託すべし」とこの言葉が使われてきました。

「六尺の弧」とは、みなし児の幼い君主です。六尺は児童の身長を表しています。ちなみに当時の一尺は22.5cmに相当しますから、135cmになりますから、幼い子供ということですね。

「百里の命」とは、諸侯の国の政令です。百里は当時の諸侯の国が百里四方の広さであることを原則としていたからです。当時の中国における一里は約405mですから、百里四方は約40㎞四方ということになります。大阪・京都間の距離ぐらいですね。

「六尺の弧を託すべく、以って百里の命を寄すべく」、危機に立つ幼君の身を預かる事ができ、諸侯の国の政令を任せることのでき、「大節に臨んで奪うべからざるなり」国家の大事にあたってその節操(自分の正しいと信じる主義・意見を堅く守って変えないこと)を揺さぶられるような局面になってもびくともしない、誘惑に負けないで節操を貫ける人物。

「君子人か君子人なり」これこそ君子の人というべきであろうか。確かに君子の人である。堂々たる大人物といってよいでしょう。

「君子人」という言葉を、疑問形と肯定形で重ねているのは、もちろん自問自答の形で肯定を強調しているのです。

君主が幼い子を残して世を去る場合のことを示したものです。後世のこととなりますが、諸葛孔明の人気があるのは、劉備玄徳の遺児を託され、守り育てたこともあるのでしょう。

また、日本では、豊臣秀吉が死んでから、ある時前田利家は幼い秀頼のためにこの章をひいて、人々に君子としての節義(君臣・父子・夫婦の間で守るべき正しい筋道を踏みはずさず、初志を貫くこと)を訴えた話が残っています。

加藤清正が、秀吉の没後、幼弱の秀頼を奉じて、二条城に於ける家康との会見を無事に終えて大阪城に帰ってきた時、皆に向かって言いました。かつて前田利家が儒学に志して、論語を学び、わしや宇喜多秀家や浅野幸長(よしなが)を招いて、この「託孤寄命章」と呼ばれる一章を特に話題として語りあったことがあった。わしは当時、学問をしてなかったから、何の意味だかさっぱりわからなかった。けれども、今になって考えてみると悟る所がある。わしは今日いささか太閤の恩に報ゆることができた、と云って感泣したそうです。

曽子自身もまた、父を失った孔子の孫の孔伋(子思)を教育して魯の儒学を守ったのです。この章の言葉はあるいはその体験と関係があるかも知れませんね。

 

つづく

                                                                                            宮 武 清 寛

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