仁(31)仲弓、仁を問う
仲弓、仁を問う、子曰わく、門を出でては大賓(たいひん)を見るが如くし、民を使うには大祭を事(つか)えまつるが如くす。
己の欲せざる所は人に施すこと勿れ。
邦(くに)に在りても怨(うらみ)無く、家に在りても怨無し。
仲弓曰わく、雍不敏なりと謂(いえど)も請う、斯の語を事とせん。
顔淵第十二 仮名論語162頁5行目です。
伊與田覺先生の解釈です。
仲弓が仁の真義について尋ねた。先師が答えられた。
「家を出て社会と交わるときには、大事なお客に会うかのようにし、人民を使うときには、大事なお祭を行うかのようにする。
自分が嫌だと思うことは、人に無理強いをしない。
そうすれば、国においても怨まれることがなく、家においても怨まれることがない」
仲弓は言った。「私はまことに至らぬ者でございますが、今教えて下さいましたお言葉を一生かけて実行して行きたいと存じます」
先日は顔淵が「仁」について質問していましたが、この章は、弟子の仲弓が「仁」について質問しています。
「仲弓、仁を問う」・・・門人の仲弓が「仁」について質問しています。子曰は、「門を出でては大賓(たいひん)を見るが如くし、民を使うには大祭を事えまつるが如くす」・・・家を出て社会と交わるときには、大事なお客に会うかのようにし、人民を使うときには、大事なお祭を行うかのようにする。と答えています。
そして孔子は、「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」と続けています。自分が望まないような事は人にも仕向けるな、自分が嫌だと思う事は、人に無理強いをしない。それが「仁」の実践だと言っているのです。
「邦(くに)に在りても怨(うらみ)無く、家に在りても怨無し」・・・そうすれば、国においても怨まれることがなく、家においても怨まれることがない。ということです。
「仲弓曰わく、雍不敏なりと謂(いえど)も請う、斯の語を事とせん」・・・つづけて仲弓は、私はまことに至らぬ者でございますが、今教えて下さいましたお言葉を一生かけて実行して行きたいと存じます。と返答しています。
「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」、相手の立場に立って考える事が大事という事ですね。
これこそ、自分で他人の身になって・相手の身になってみて、他人の・相手の心情をおしはかった結果です。
孔子はそれを「恕」とよびました。「思いやりの徳」ということです。
この場合、その思いやりが勝手な個人的判断によるものであってはならないということは、言うまでもありません。
「恕」という文字は「如(にょ)」と「心」とからできています。「心の如(ごと)し」「心のままに」と解釈できます。
その「心」とは普遍的・全てに当てはまるような真心を意味しています。
「恕」という言葉が「忠」と連なって「忠恕」として言われているのはその為でしょう。
子曰わく、参や、吾が道は一以って之を貫く。
曽子曰わく、唯。子出ず。門人問うて曰わく、何の謂いぞや。
曽子曰わく、夫子の道は忠恕のみ。
里仁第四 仮名論語43頁2行目です。
伊與田覺先生の解釈です。
先師が言われた。「参よ私の道は一つの原理を貫いているよ」
曽先生が「はい」と歯切れよく答えられた。先師は満足げに出て行かれた。他の門人が「どういう意味ですか」と問うた。
曽先生が答えられた。「先生の道は、忠(まこと)と恕(おもいやり)だと思うよ」
「吾が道は一以って之を貫く」「夫子の道は忠恕のみ」あまりにも有名な章句の一つです。
孔子が「私の道は一つのことで貫かれている」と言ったのを受けて、門人の曽子はその道を「忠恕」ととらえたのです。
その忠とは、私たちが「忠君愛国」と言った言葉を想像する狭い意味ではなくて、広く真心をあらわす言葉です。内的な真心とそれにもとづく温かい思いやりこそ、孔子が自ら実践し、また人にすすめた道だというのが、曽子の理解したところです。
*忠君愛国・・君主に忠義をつくすこと。君主のために身命を惜しまないこと。
曽子のこの理解は、孔子によって特に認可・承認されたものではありませんが、その言葉通り孔子は忠恕や忠信をたびたび強調しています。
つづく
宮 武 清 寛
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