2874.徳(3)之を道くに徳を以ってす | 論語ブログ

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徳(3)之を道くに徳を以ってす

 

子曰わく、之を道くに政を以ってし、之を齎(ととの)うるに刑を以ってすれば、民免れて恥ずること無し。

之を道くに徳を以ってし、之を齎(ととの)うるに禮を以ってすれば、恥ずる有りて且つ格(ただ)し。

 為政第二 仮名論語十一頁六行目です。

 伊與田先生の解釈です。

先師が言われた。「国を治めるのに、政令や法律のみにより、統制するのに刑罰をきびしくすれば、民は要領よく免れて何ら恥じることがなくなる。

一方国を治めるのに道徳を基本とし、統制するのに禮(慣習法的規範)によれば、自ら省みて過ちを恥じ、そうして自ら正していくようになる。」

 

これも孔子の言葉です。この章も道徳による政治を称揚しています。

「之を道くに政を以ってし、之を齎うるに刑を以ってすれば」・・・法律や命令だけの政治で人民を指導し、人民を規制しようとし、これに従わない時は刑罰をもって臨むのならば、「民免れて恥ずること無し」・・・人民はその刑罰を免れさえすればよいとして、悪いことをしても恥ずかしいと思わなくなる。

ところが、「之を道くに徳を以ってし、之を齎うるに禮を以ってすれば」・・・道徳をもって民を導き、礼儀を教えて民を統制していくと、人民は悪いことをすると羞恥心を感ずるようになって、「恥ずる有りて且つ格し」・・・おのずから善に至るものだ。と孔子は言っているのです。

為政第二の第一章の北極星を君子に例えた徳治主義の理想を、具体的に政治の根本は「道徳と礼」にあり、政令や刑罰にはないことを明らかにしたものです。

ここの「政」は法律や命令のことで、「政と刑」による政治とは「力」による政治のことを言います。これに対して徳治政治とは君主の道徳的な「人間性と礼」によるものです。「法」も「礼」も社会秩序の維持という点では同じですが、「法」が権力を背景とするのに対し、「礼」は自発的な約束から出発し、約束を破ることを恥じる心を基本としています。

孔子から二百数十年後の事となりますが、秦の始皇帝が列国を平定し、強力な中央集権国家をつくりあげました。秦は法律を厳しくして恐怖政治を行ったのです。

紀元前221年に史上初めて中国統一を果たしました。統一を遂げた政王は都を咸陽(かんよう)に定め、自ら皇帝(始皇帝)を称するようになりました。国内統治は、郡・県を基本行政単位とし、長官として中央から官僚を派遣する郡県制を適用し、直接統治による強力な中央主権の確立を推進しました。また、宰相李斯(りし)を用いて焚書坑儒などの思想統制を行った他、行政や徴税の円滑化の為に文字、度量衡(長さ、量、重さ)、貨幣、車軌(車軸の長さ)を統一しています。

さらに、異民族である匈奴の浸入を防ぐ為、戦国時代の諸国が建設した長城を強化・延長し、万里の長城を築きました。

始皇帝は自らの威光を全国に知らしめる為に五回に渡る巡回も行っています。

生前では、あえて反抗する者はありませんでしたが、始皇帝が死ぬと天下はたちまち乱れ出し、四年そこそこで滅んでしまいます。

後に天下を取ったのが、漢の高祖・劉邦です。劉邦は秦の都に入城すると、秦のわずらわしい法令を廃止して、わずか三章だけの簡単なものにしました。人々はこれを歓迎して、自然に秩序は保たれました。いつもこんな風に上手くいくとは限りませんが、あまり細かい規制は逆効果になります。孔子は法令の代わりに「徳」による政治を説きました。それは理想に過ぎるにしても、統治や管理が人々の自発性を無視してはあり得ないことは確かです。法律や規則は万能ではないのです。

若き頃から政治家を目指した孔子は、武力で物事が決まる時代にあっても、統治者が徳をもって世を治める事を理想としたのです。

 

つづく

                               宮 武 清 寛

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