2815.礼(35)禮を知らざれば、以って立つこと無きなり | 論語ブログ

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礼(35)禮を知らざれば、以って立つこと無きなり

 

孔子曰わく、命を知らざれば、以って君子たること無きなり。

    禮を知らざれば、以って立つこと無きなり。

    言を知らざれば、以って人を知ること無きなり。

   堯曰第二十   仮名論語313頁2行目です。

   伊與田覺先生の解釈です。  

先師が言われた。「天命を知らなければ、君子たるの資格がない。

    礼を知らなければ、世に立つことができない。

    言葉を知らなければ、人を知ることができない。

 

このシリーズで六項に分類しましたが、やはり全ての「礼」の事を云っているのでしょう。「禮を知らざれば、以って立つこと無きなり」・・・礼を知らなければ、世に処して行くことができない。「礼」の大切さをいっています。

「論語」はこの章で終わっています。冒頭の章と共に首尾一貫していると見る人もいます。「命を知らざれば、以って君子たること無きなり」・・・天命を知らなければ、君子でいることはできない。人間は、神秘的な大いなる世界における、ごくごく小さなものであるから、自分に与えられた天命・運命を覚らない者は、君子・人の上には立てない。「禮を知らざれば、以って立つこと無きなり」・・・礼を知らなければ、世に処して行くことができない。人間は、社会的生活をしているのであるから、社会規範を身につけていない者は、人の世を生きていくことはできない。「言を知らざれば、以って人を知ること無きなり」・・・・言葉を知らなければ、人を理解することができない。人間は言葉を使うのであるから、言葉について理解できない者は、人間を真に理解することはできない。

孔子は、君子の要諦は、「知命」・「知礼」・「知言」の三つであると結論づけています。

孔子教学とは「君子の学」・「リーダーシップの学」と言っていいかと思います。

天命ということをわきまえないようでは、君子とは言えない。

「君子の身を修め世に処する道は「知命」「知礼」「知言」の三重点にある」「天命を知って人事を尽くし、いかなる逆境に在っても天を怨みず、人を咎めず、信じかつ安んじて道を楽しみ得なくては、君子としての価値が保てぬぞ」「礼を知らないと進退度を失い品格備わらず、君子としての立場が守れぬぞ」「言を知らないと、善悪正邪を弁ぜず、義理人情に通ぜず、よく人を知るの君たり得ぬぞ」と孔子が言っているのです。

*  知命:天から与えられた使命を知ること。

*  知礼:社会の秩序・国家の法制・人倫の規範を知ること。

*  知言:人の発言の真意を見抜くこと。

これは「論語」最終章におかれた言葉です。言うまでもなく、「論語」は孔子の没後、編纂されたものですが、この言葉を最終章においたところに、編者の深い意図を感じられます。

開巻第一章の「子曰わく、・・・人知らずして慍みず、亦君子ならずや」を受けて、ここではその君子の条件から始めています。学習をたたえ、努力を勧めた開巻第一章。

そして最終章は、君子の要諦とはこうだ!と堯曰第二十の最終章で結んで、論語全体を締めくくっています。

人間の意志を超越・はるかに越えた天命の存在を挙げています。

一方の極に人間の努力を置き、一方の極に天命を置いたのです。

論語は起承転結が整った読み物にはなっていませんが、論語の編者たちは気を使ってまとめたのでしょう。起と結をきちんと対応させて結んでいます。

孔子は懸命に生きながら、自己の限界を感じた時、しばしば「天命」を口にしました。しかし孔子はそれに祈るのではなく、自力で現実に立ち向かって行っています。

君子は天命を知る、ということです。天命は、禍も福も、順境も逆境も与えてくれますが、孔子の場合は、「人知らずして慍みず、亦君子ならずや」世が自分の真価を認めてくれなくてもということです。

諦(あきら)めではなく、天命に敬虔でありながら、現実世界を精一杯生きる。それが孔子の人生でした。

武者小路実篤は論語私感でこう書いています。

命を知らざれば、以って君子たること無きなり。禮を知らざれば、以って立つこと無きなり。言を知らざれば、以って人を知ること無きなり。

天命を知らないものは、拠りどころがない、何をしていいか、何をしてはいけないかがわからない。君子となるには先ず天命を知らねばならない。拠りどころがないのだ。

しかし天命を知っただけではまだだめだ。同時に礼を知る事が必要である。礼を知ることで、自分の立場がわかる。万人の内にあって、自分が何処に立つべきかを知る。他人と調和する仕方を知らないと、自分の立つ所がわからない。

しかし同時に又、言葉の性質をよく知り、他人を知る事が大事だ。他人に騙されない事が必要だ。信じられないものを信じたり、信ずべきものを信じなかったりすると、結果の面白くないのは事実である。これが論語の最後の言葉になっている。と。

 

つづく

                                                                                            宮 武 清 寛

                                                                                               論語普及会 

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