2812.礼(32)禮と云い禮と云うも | 論語ブログ

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礼(32)禮と云い禮と云うも

 

子曰わく、禮と云い禮と云うも、玉帛(ぎょくはく)を云わんや。

楽と云い楽と云うも、鍾鼓(しょうこ)を云わんや。

   陽貨第十七 仮名論語2696行目

   伊與田先生の解釈です。

先師が言われた。「礼だ礼だというても、単に装飾の玉や帛(絹)をいうのであろうか。楽だ楽だというても、単に鐘や太鼓のことをいうのであろうか」

 

このシリーズで六項に分類した項目では一応⑤の人格確立のための「礼」に分類してみましたが、この章は、「礼」には誠実な心がこもっていなければならぬことを主張した点にあると思います。

「禮と云い禮と云うも、玉帛(ぎょくはく)を云わんや」・・・礼だ、礼だ、というが、いかに立派な宝玉や、それを包むみごとな絹の布が用意されていても、心からの敬意がこもっている贈答品でなければ、虚礼・形式だけの礼・うわべだけの礼にすぎない。と言っているのです。

続いて「楽と云い楽と云うも、鍾鼓(しょうこ)を云わんや」・・・儀式に伴う音楽の演奏も、心のこもらぬままに進行しても、それは無意味だということでしょう。

今回は前半の「礼」について考えてみましょう。

渋沢栄一訓言集「処事と接物」にはこうあります。「人に対して敬礼を欠いてはならない。されどただ形式だけの敬礼は、往々相手の感情を害し、かえって礼せざるに劣るものである。」・・・人に敬意を表すことを忘れてはならない。ただし、形だけの礼ではかえって相手は不快になり、挨拶をしないよりもむしろ失礼になるものだ。

礼や挨拶には心を込めよう。ということです。

気持ちは相手に伝わります。心から「ありがとう」を伝えることは、本当に大切なことです。けれど、口先だけでお礼を言ったり、テンプレート通りのお礼状を送ったとしても、そこに心が込もっていないときには、おのずと相手に伝わってしまうものです。そうなれば、相手は気分を害するでしょう。

形より大切なことは、逆に、感謝の気持ちを誠実に伝えるなら、少しくらい礼儀から外れていたり、言葉が間違っていたとしても、そこの心がこもっていれば相手が不快の念を抱くことはないでしょう。

最高の礼儀を尽くすということは、形式的な礼の言葉を長々と連ねることでも、高価な品を送ることでもなく、あなたの誠意を、相手の心に届けることです。礼や挨拶は形だけでなく心を込めるようにする事が大切なのです。

「形式的」と「儀礼的」の違いや意味と使い方をみると、「形式的」は形ばかりで実質を伴わないことで、「形」と言い換えると分かりやすく、「儀礼的」は礼儀はキチンとするが形ばかりで魂が感じられない事で、「表面的」と言い換えると分かりやすい。

これらの言葉は実を伴わないという共通点があります。外見や書式体裁が表面的に整っていれば良いのです。「自由形式」「実質的」などの反対のことです。

「形式的」は形式ばることで、中身がどうであっても体裁が整っていれば良しとする考えです。例えば学校の制服が統一されているのは、「形式的」であるわけですが、個人はすべて個性があるのに画一的に扱っているのですから、制服を廃止することが一番自由な雰囲気になるのです。制服のある集団はすべて同じことが言えます。人間は形式が好きな動物なのかも知れませんが、形式に当てはまれば良しとする風潮があります。しかし、私は制服については賛成派です。あしからず。

「儀礼的」は形式的なことで、型にはまった形式的なことをすることです。例えば国家元首が来るとなれば国賓として迎えることがありますが、それなりの礼儀を尽くすことになり、相手も悪く思わないかも知れません。しかし、国民が歓迎しているかどうかに関係なく、好待遇をする嫌いがあります。「一応国賓なのだから」と言う考えで、全ての国民が歓迎しているわけではありません。特にC国元首に関しては迎える事についても真剣に考えないといけませんね。

「形式的」も「儀礼的」なことも表面的なものになります。表面上整っていれば良いのですから、実質を伴わない様子と言えます。例えば社会的地位が少しでもあると、威張る人がいますが周囲は一応形式的に礼儀を尽くすものの、内心は軽蔑しているのです。名実ともに人望があれば心から尊敬するのですが、威張る人には分からないことです。

「形式的」は実質的の反対の概念で、姿形にこだわることです。例えば書式も統一フォームにすることや制服をつくること・名前だけの肩書など実質が無い事を言います。「儀礼的」も表面的な礼儀の事で、本当はどう考えて接しているのか分かりません。「形式的」や「儀礼的」は「表面的」に体裁が整っていれば良いのです。

「礼」は、最初は人間関係をスムーズに進めるために、自然に生まれてきました、外面的な作法としての社会的慣習でした。心で思う相手への敬意を行動として表わすのが「礼」です。それは所作にも現れます。

日本の行儀作法としての「礼」には「真礼」「行礼」「草礼」があります。座っている時の「真礼」とは、正座して両手を膝前10㎝くらいに進めて、両手の指先を寄せ、その三角形の上部に自分の額がくるようにします。頭は畳からの高さが約15㎝程度でとまるようにお辞儀をします。座っている時の最敬礼です。「行礼」とは、頭が畳から45㎝程度になるくらいのお辞儀です。「草礼」とは、指先だけを畳につけて上体を約15㎝程度倒す会釈です。立っている時の「真礼」とは、背筋を真っ直ぐ伸ばしたまま上体を約45度倒したお辞儀です。「行礼」とは、背筋を真っ直ぐ伸ばしたまま上体を約30度倒したお辞儀です。「草礼」とは、背筋を真っ直ぐ伸ばしたまま上体を約15度倒したお辞儀です。

美しい所作ですね。美しい所作は相手に対する礼儀です。美しい所作の基本は、正しい姿勢や歩き方、美しい食べ方、指先の使い方、口角の上がった表情など、毎日のちょっとした注意を続けることで手に入れることができます。美しい所作を身につけるためには、自分磨きを続けることも大切です。

美しい所作に必要なのは、美しい立ち居振る舞いだけではなく、正しい知識や美意識も持つことです。

 

つづく

                                                                                           宮 武 清 寛

                                                                                             論語普及会 

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