2708.登場人物に対する孔子の評価(197)長沮・桀溺耦して耕すⅰ | 論語ブログ

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登場人物に対する孔子の評価(197)長沮・桀溺耦して耕すⅰ

 

長沮・桀溺耦して耕す。孔子之を過ぐ。子路をして津(しん)を問わしむ。

長沮曰わく、夫(か)の輿(よ)を執(と)る者は誰とか為す。

子路曰わく、孔丘と為す。曰わく、是れ魯の孔丘か。

對えて曰わく、是なり。曰わく、是ならば津を知らん。

桀溺に問う。桀溺曰わく、子は誰と為す。

曰わく、仲由と為す。曰わく、是れ魯の孔丘の徒か。

對えて曰わく、然り。曰わく、滔滔(とうとう)たる者天下皆是なり。而して誰と以(とも)にか之を易(か)えん。且(か)つ而(なんじ)其の人を辟(さ)くる士に従わんよりは、豈(あに)世を辟(さ)くるの士に従うに若(し)かんや。耰(ゆう)して輟(や)まず。

子路行き以て告ぐ。

夫子憮然(ぶぜん)として曰わく、鳥獣は與(とも)に群を同じくすべからず。吾(われ)斯の人の徒と與(とも)にするに非らずして誰と與にかせん。天下道有らば、丘(きゅう)は與に易(か)えざるなり。

   微子第十八   2832行目です。

   伊與田覺先生の解釈です。

長沮・桀溺が並んで耕していた。先師がそこを通られて、子路に渡し場を尋ねさせられた。

    まず長沮が「あの車で手綱を持っているのは誰かな」と尋ねた。

    子路は、「孔丘です」と答えた。長沮が「あの魯の孔丘かな」と言った。子路は「そうです」と答えた。長沮は「それなら渡し場ぐらいは知っている筈だ」とて教えてくれなかった。

    そこで隣の桀溺に尋ねた。桀溺はまず子路に「あなたは誰かな」と尋ねた。子路は「仲由というものです」と答えた。桀溺は「魯の孔丘の弟子かな」と尋ねた。子路は「そうです」と答えた。桀溺は「大河がどんどん流れて止まるところがないように世の中も皆そうだ。そして誰と一緒に世を変えようとするのかな。そんな人がいる筈がない。そこでおまえさんは、人を選んで、人を避けるような人(孔子をさす)に従うよりは、世を避ける人(隠遁者)に従うほうがよいのではないかな」と言って種の土かけをしてやめなかった。子路はその旨を先師に報告した。

先師は、がっかりして言われた。「鳥や獣とは共に生活することはできない。私は、斯の世の人と共に生活しないで誰と共にしようか。もし天下に道が行われてよく治まっておれば、私は何も改めようとしないのだ」

 

長沮・桀溺と言う、ここでも隠者が二人出てきます。兄弟か何だか分かりませんが、「長沮・桀溺」この隠者の名前に隠された暗号がお分かりになるはずです。

長沮というのは、「長」は長いこと何時でも、「沮」は志を失っていること、志を失ってしょんぼりとしていること、だから「長沮」というのは、これは本名ではなくて、世の中から隠れて大きな志を抱くこともなく、何時でも沈んでいる男という意味になります。

それからもう一人「桀溺」「桀」の方は人偏を付ければ「傑」となり、英雄・優れた人物という意味になります。優れた才能があるけれども、世に出ない、水の底に溺れて隠れている男となります。長沮・桀溺という名前の付け方自体にすでに論語の暗号があるのです。

それで、この二人が田畑を並んで耕していたと書いてあります。「耦して耕す」・・・肉体労働をやっています。中国の君子という者は、肉体労働をしないのが建前・立派さです。だから、もう既に君子としての誇り、そういったもの全部捨てて、田んぼ仕事をやっている。肉体労働をこの二人はやっているわけです。だから、沮であり溺であると言われているのです。

志を無くし、世俗の中に沈みこんで隠れている。肉体労働をやるような低級な階級の中へ入ってしまっています。

「長沮・桀溺耦して耕す。孔子之を過ぐ。子路をして津(しん)を問わしむ」・・・

孔子がたまたま、その側を通り過ぎた時に、渡し場に行く道に迷ったんでしょう。川の渡し場へはどうやって行ったらいいのかということを、畑を耕していた二人の男に聞きました。その時に子路を行かせました。

「長沮曰わく、夫(か)の輿(よ)を執(と)る者は誰とか為す」・・・すると、片一方の長沮が、あそこで「輿を執る者は誰だ」孔子の14年間の放浪の時に馬車に乗って旅行をします。その時に、孔子は一行の中心として旅行をしますから、馬車の後ろに乗っています。本来馬車の手綱を取るのは身分の低いお弟子さんがやります。馬車の手綱を取るというのは、これも一種の肉体労働ですから、身分の高い人のやることではありません。おそらくその時の旅では、孔子が後ろに座って、弟子の子路が手綱を取っていたのです。

たまたま道が分からなくなったから、子路に「お前ちょっと、あそこで畑を耕している二人に、道を聞いてこいよ」と指示をした。その間孔子が手綱を握っていました。

御者をやっている子路が道を聞きに行ったので、その間孔子が「手綱を俺が持っていてやるよ」と預かった。だから、道を聞きましたら、片一方の長沮という男が、「あそこで手綱を握っている奴はだれだい」と、嫌な聞き方をしました。

それで、そんな皮肉は子路に通じなかったとみえて、子路はまともに「孔丘と為す」・・・あれは孔丘と申します。と本人は答えた。すると、「是れ魯の孔丘か」・・・あれが魯の国の孔丘か、魯の国の孔丘という男のことを、長沮は知っているんですが、「あれが魯の孔丘か」、「曰わく」・・・はい作用でございます。子路は答えました。「曰わく、是津を知らん」・・・偉そうに「天下国家を導いてやるぞと言っている孔子ならば渡し場の在りかぐらい知らんことはないだろう」と言っているのです。

「渡し場を問う」・・・天下の人を平和な時代に導こうという孔子が、たかがお前一人の渡し場ぐらい知らんことはあるまい。と嫌なことを言います。もうそれっきりこの男は相手にしてくれません。

 

つづく

                                                                                            宮 武 清 寛

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