2680.登場人物に対する孔子の評価(168)孟敬子、曽子の疾を問う | 論語ブログ

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登場人物に対する孔子の評価(168)孟敬子、曽子の疾を問う

 

曽子、疾(しつ)有り。孟敬子(もうけいし)、之を問う。

曽子言いて曰わく、鳥の将(まさ)に死なんとするとき、其の鳴くや哀し。

人の将に死なんとするとき、其の言うや善し。

君子道に貴ぶ所の者三。容貌(ようぼう)を動かして、斯(ここ)に暴慢(ぼうまん)に遠ざかり、

顔色を正しくして、斯に信に近づき、辭気(じき)を出して斯に鄙倍(ひばい)に遠ざかる、籩豆(へんとう)の事は有司存す。

   泰伯第八   仮名論語1002行目です。

   伊與田覺先生の解釈です。

曽先生の病気が危篤に陥ったとき、孟敬子(魯の太夫)が見舞いに行った。曽先生が言われた。「鳥が死ぬ前には、哀しげな声で鳴く。人が死ぬ前には、その言葉は善いと申します。(私の最後の言葉をよくお聞きください)およそ為政者の在り方に大事なことが三つあります。

  立居振舞はあらっぽくなく、また人を見下したりしないように、顔色を正してまことの心を表すように、言葉に気をつけて俗悪にならないようにすることが大切でございます。祭りの事はそれに明るい役人がおりますのでお任せなさるがよいと存じます」

 

魯の国の三桓氏、四人目は孟敬子(もうけいし)です。

孟敬子は魯の大夫で仲孫氏の第八世、第十一代目で、孟武伯の子にあたります。名は捷(しょう)、字は儀(ぎ)です。敬子は諡になります。

「論語」には一度しか出てきません。曽子が病気が重くなった時に見舞いに行っています。

「論語」には書かれていませんが、魯国の昭公が前517年に斉に亡命する引き金となったのは「闘鶏の変」と言われる一大事件です。その時に孟孫氏が関わっています。

魯の昭公25年、すなわち孔子35歳の時に魯の司徒(しと)季平子(きへいし)と魯の孝公の子孫郈昭伯(こうしょうはく)が闘鶏を行いました。季平子は鶏に革の鎧を着せ、郈昭伯は鶏に金属の爪を付けました。これはどちらもルール違反です。しかし、位権力共に上位だった季平子は非常に腹を立て、郈昭伯を非難しました。さらに、郈昭伯の土地に自分の屋敷を建てたために郈氏(こうし)との間に怨恨が生じました。

季平子はそれ以前に、家族内部の紛糾から公若(こうじゃく)と不仲となり、叔仲子(しゅくちゅうし)の讒言を信じて叔孫氏と対立し、臧氏(ぞうし)の家族内部の紛糾に介入しては臧昭伯(ぞうしょうはく)と対立し、宗廟で踊り舞う人々を自分の家で舞わせ、襄公を祭祀するのに礼に従わず人々の怒りを買い、しかも公室を四分した事によって君主昭公の激しい怒りを買っていました。

魯の昭公と息子の公為(こうい)・公果(こうか)・公賁(こうほん)は臧孫氏、郈氏と連絡して連合して出兵して季氏を攻撃しました。

季平子は少しも防備をいておらず、武子の台に取り囲まれました。焦眉の急・危険が差し迫っている状況を救うために、要求・条件を出しました。

①   都城の南の沂水(きすい)のほとりで君主が罪を調べるのを待ちたい。

②   季孫氏の都城である費邑(ひゆう)で軟禁されたい。

③   五輛(ごりょう)の兵車を連れて国外に逃亡したい。

と願いました。東門氏(ひがしもんし)の子家懿伯(しかいはく)は季平子の外国へ逃亡する要求を受け入れるように建議しました。

季孫氏は執政の期間が非常に長く、仲間が多いので、彼らの反撃を防ぐ必要があったのです。しかし、昭公は聞き入れませんでした。郈昭伯(こうしょうはく)と共に絶対に季平子を殺すと頑張ったのです。

そこで、叔孫氏が動きました。「季氏の無きは、是れ叔孫氏の無きなり」叔孫氏の家臣たちは「唇亡べば歯寒し」という事をよく知っていたのです。叔孫氏の家の兵を率いて魯公の連合軍を攻撃し、魯公の部隊を追い払いました。

三桓氏のもう一つの孟孫氏は元々傍観していましたが、叔孫氏が出兵したのを見て、孟孫氏を迎えに魯公が派遣してきた郈昭伯を殺害し、兵を起こして、叔孫氏を助けたのです。三桓の三家が連合して昭公を打ち破ったので、昭公は斉の国に逃亡するしかありませんでした。

昭公は亡命を余儀なくされた悲劇の君主なのです。

この章の説明をしましょう。

顔回には葬儀の記録が残されましたが、曽子はその遺言らしい言葉が残されています。この章がそれです。

曽子は幸いに長生きして70歳過ぎまで生きました。しかし、孔子の道を後世に伝えるのに大いに貢献した曽子も今は病の床に伏しています。

そこに孟敬子が見舞いに行きました。「曽子言いて曰わく」・・・孟敬子が言葉もなく黙って座っていると、曽先生がおっしゃいました。

「鳥の将に死なんとするとき、其の鳴くや哀し」・・・鳥が死を迎えるとき、その絶命の鳴き声はまことに哀しい。「人の将に死なんとするとき、其の言うや善し」・・・人も同じです。亡くなる時、臨終の言葉には心がこもっています。

だから、私の最後の言葉をよくお聞きください。

「君子道に貴ぶ所の者三」・・・貴方のような、為政者・教養人には人の道において貴ぶものが三つあります。「容貌を動かして、斯に暴慢に遠ざかり」・・・第一は、行動を起こす時に礼儀通りにし、立居振舞はあらっぽくなく、また人を見下したりしないように。

「顔色を正しくして、斯に信に近づき」・・・第二は、顔色を正して真面目な顔で話せば、うそがつけなくなり真の心を表すようになります。

「辭気を出して斯に鄙倍に遠ざかる」・・・第三は、言葉を発する時も礼儀に気をつけて下品・俗悪にならないようにすることが大切でございます。

「籩豆の事は有司存す」祭りの事はそれに明るい役人がおりますのでお任せなさるがよいと存じます。

人の上に立つ者として、礼が大切です。儀礼的なことは担当者に任せておけば良い。「人の将に死なんとするとき、其の言うや善し」・・・死に臨んだ人間の言うことは、実がこもっているのです。

 

つづく

 

                                                                                           宮 武 清 寛

                                                                                             論語普及会 

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