2390.論語全章を読む(561)陽貨第十七-1.441 陽貨、孔子を見んと欲す | 論語ブログ

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論語全章を読む(561)

 

陽貨第十七-1441 陽貨、孔子を見んと欲す

 

陽貨、孔子を見んと欲す。孔子見(まみ)えず。孔子に豚を歸(おく)る。

孔子其の亡(な)きを時として往(ゆ)きて之を拝(はい)す。諸(これ)に塗(みち)に遇(あ)う。

    孔子に謂いて曰わく、来(き)たれ、予(われ)爾(なんじ)に言わん。

    曰わく、其の寶(たから)を懐(いだ)きて其の邦(くに)を迷(まよ)わす、仁と謂うべきか。

曰(のたま)わく、不可なり。

事に従うを好みて亟時を失う、知と謂うべきか。

曰(のたま)わく、不可なり。日月(にちげつ)逝(ゆ)く、歳(とし)我(われ)と與(とも)にせず。

孔子曰わく、諾(だく)。吾(われ)将(まさ)に仕(つか)えんとす。

  陽貨第十七   仮名論語2611行目です。

 伊與田覺先生の解釈です。

陽貨が先師と会いたいと思ったが、先師は、避けて会われなかった。彼は、先師に蒸豚を贈った。先師は、陽貨の留守を見はからってお礼に行かれた。ところが、途中で出会ってしまった。

    陽貨が先師に話しかけた。「まあ私の家に来てください。私はあなたとゆるゆる話がしたいと思っています」

先師が仕方なしについて行かれると、陽貨は「自分の胸の中に宝を抱きながら国の混乱を傍観している人を仁者と言えましょうか」と尋ねた。

先師は「言えません」と答えられた。

    陽貨は更に「政治に携わろうと願いながら、しばしばその機会を失う人を知者と言えましょうか」と尋ねた。

先師は「言えません」と答えられた。

    陽貨は「月日はどんどん流れ、歳は人を待ってくれませんぞ」と言った。

先師は「よくわかりました。いずれ私も仕えようと思います」と言われた。

*  陽貨 季氏の家臣、名は虎、主人の季桓子を拘禁して、みずから大夫にのし上がり一時国政を専らにした。

 

陽貨第十七冒頭の章、論語に出てくる陽虎の章です。

斉から魯に帰った孔子は、ほぼ四十歳代を曲阜で過ごしているようです。弟子の教育には充実した日々だったかもしれませんが、孔子の買い手は現われません。

政治参加への宿願は果たされぬまま、孔子にとって苛立たしい四十代でもあったのではないでしょうか。ところが、魯の国情にまた変化が生じました。

魯の国では大夫である三桓が政治を左右しており、三桓の中でも季氏の権勢が抜きん出ていました。その季氏の家でも下克上が進んでいたのです。季氏の臣下で陽虎という人物がいます。かつて季氏が魯国の士を招いた時、その宴席に参加しようとした孔子を、「お前などの来るところではない」と、門前払いをくらわした男です。

この陽虎が主人である季氏の当主(季桓子)を拘束して季氏の実験を握り、ついには魯の国政をも専横するようになったのです。

三桓をはじめとする魯国内の旧家の人々からは、政権を力で奪い取った陽虎は反乱者といってよい存在です。陽虎の方も、魯の旧家の者は信頼が出来ません。どうしても有能な側近を新たに求める必要があります。そこで陽虎は、孔子に目を付けたらしいのです。

陽虎はしきりに孔子に接近をはかります。しかし、当初、孔子は陽虎に会おうとしませんでした。

孔子の信条からいえば、陽虎の行為は「周の礼」を踏み外した無秩序にほかなりませんから、孔子が陽虎を避けるのは当然です。

ところが、孔子四十七歳のある日、曲阜の路上で孔子は陽虎と出会ってしまいました。この時、陽虎の言葉は孔子の心を打つものがあったようです。

その時の孔子と陽虎のやり取りが上記の章です。

陽虎「宝をしまいこんだまま、国家の混乱を放置していて、それで仁者といえるでしょうか」。

孔子「いいえ」。

陽虎「政治に参与することを願っていながら、たびたびその機を逸するのは、知者といえるでしょうか」。

孔子「いいえ」。

陽虎「月日は過ぎていきます。歳月は人を待ってくれません」。

孔子「分かりました。お仕えいたしましょう」。

「論語」陽貨篇に記録される二人の会話です。

最後の孔子の返事「諾、吾将に仕えんとす」について、孔子はもとより陽虎の下に出仕する気は毛頭ありませんが、ことを荒立てぬために自然な答えで受け流しておいたものだ、という解釈が通行しています。孔子が反乱者と結託したなどと、後世の孔子信奉者には、どうしても承認できませんからね。

しかし、私はやはり孔子はその場しのぎの返事をしたのではなくて、陽虎の要請に応諾したものと見ています。陽虎の言葉が、「仁」といい、「知」といい、「過ぎ去る歳月」といい、いちいち孔子の胸に響いたように思われるのです。

それに、なによりも孔子は、政治に参与したいとあせっていました。

孔子は、陽虎の招請を受けて、いよいよ政権の場に参画していくつもりでいたことと思います。ところが、やがて陽虎は三桓勢力らの反攻によって失脚してしまいます。

結局、孔子が陽虎に仕えることはありませんでした。

 

つづく

                                                                               宮 武 清 寛

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