論語全章を読む(334)
先進第十一-3. 263.徳行には顔淵
徳行には顔淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓、言語には宰我・子貢、政事には冉有・季路、文学には子游・子夏。
先進第十一 仮名論語142頁1行目です。
伊與田覺先生の解釈です。
徳行のすぐれた者には、顔淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓。言語のすぐれた者には宰我・子貢。政治にすぐれた者には冉有・季路。文学には子游・子夏がいた。
「論語」には、ずいぶん沢山の人の名前が出てきます。
たった1回しか出てこない人もありますし、10回、20回、いやもっと多く出てくる人もあります。子貢は43回、子路は40回、顔淵は24回、総勢250人余り。
孔子と対話した諸侯・貴族・家臣たち、孔子の先輩たちと伝承時代の人々、孔子の同時代の人々、登場人物は本当に多いですよね。
しかし、何と言っても「論語」登場人物の中で、一人一人の出てくる回数は別として、弟子達の名が一番多いことはたしかです。
いったい、孔子はその生涯にどれほどの弟子を教えたのでしょうか。
その数は残念ながらはっきりとしません。普通に言われているのは、孔子の弟子は3000人に及んだが、その中で六芸に通ずるものは70人余り(72人、77人という諸説があります)ということです。
司馬遷は「史記」の仲尼弟子列伝に77人の名前をあげています。
孔子の弟子(ていし)、業を受け身六藝(りくげい)に通ずる者、七十有七人、皆異能(いのう)の士なり。徳行には顔淵(がんえん)・閔子騫(びんしけん)・冉伯牛(ぜんはくぎゅう)・仲弓(ちゅうきゅう)あり。政事には冉有(ぜんゆう)・季路(きろ)あり。言語には宰我(さいが)・子貢(しこう)あり。文学には子游(しゆう)・子夏(しか)あり。
師(し)や辟(へき)、參(さん)や魯(ろ)、柴(さい)や愚(ぐ)、由(ゆう)や喭(がん)。
回や屢々(しばしば)空(むな)し。
賜(し)は命を受けずして貨殖(かしょく)す、億すれば則(すなわ)ち屢々中(あた)る。
史記「仲尼弟子列伝」
解 説 〈仲尼弟子列伝〉論語講師用副読本 論語普及会
孔子の弟子で孔子から学問を習い、六芸に精通した者は、七十七人、いずれも人並みはずれた能力の持ち主である。その中で、行いが道徳にかない正しい者は、顔淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓である。政治の実務にたけた者は、冉有・季路である。言語表現にひいでた者は、宰我・子貢である。学識にすぐれた者は、子游・子夏である。
子張は奇矯、曾参はのろまで、子羔は愚直、子路は強情粗暴で不作法である。
顔回は穀物を入れるおひつがしばしば空になるほど貧しかったが道を楽しんだ。
子貢は、天命に安んずることなく、努めて商売をして財産を増やした。また、彼は何かを推進するとそれがしばしば的中した。
司馬遷は「史記」の仲尼弟子列伝に77人の名前をあげています。
ところでこの70人余りの弟子の中で、よく言われるのが孔門の十哲です。
この章にでてくるのが、孔子の弟子の十哲といわれている人達です。
徳行・言語・政事・文学この四つの分野に通じた、顔淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓・宰我・子貢・冉有・季路・子游・子夏の10人なので「四科十哲」と言われています。
「史記」の中では、続けて子羔(しこう)、曽子、子張、子路も「論語」ではこう表されています。
柴(さい)や愚、参(しん)や魯、師や辟(へき)、由や喭(がん)
先進第十一 仮名論語150頁2行目です。
伊與田覺先生の解釈です。
柴(姓は高、字は子羔)はきまじめ。参(姓は曽、字は子輿)はのろま。師(姓は顓孫(せんそん)、字は子張)は見栄坊。由(姓は仲、字は子路)は粗野でがさつ」
顔回と子貢は次のように表されています。
子曰わく、回や其れ庶(ちか)きか。屢(しばしば)空(むな)し。
賜(し)は命を受けずして貨殖(かしょく)す。億(おもんばか)れば則ち屢(しばしば)中(あた)る。
先進第十一 仮名論語150頁3行目です。
伊與田覺先生の解釈です。
先師が言われた。「回(顔淵)は聖賢の道に近いが、時に貧乏で食糧にもことかくことがある。
賜(子貢)は官命を受けなくとも、金儲けをして、予想したことはよく当たる」
つづく
宮 武 清 寛
論語普及会
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