1879.論語全章を読む(50)為政第二 39.百世と雖も知るべきなり | 論語ブログ

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論語全章を読む(50

 

為政第二 39百世と雖も知るべきなり

 

子張問う、十世(じゅつせい)知るべきや。

子曰わく、殷(いん)は夏(か)の禮に因(よ)る、損益(そんえき)する所知るべきなり。周は殷の禮に因る、損益する所知るべきなり。其れ或は周を継ぐ者は、百世と雖(いえど)も知るべきなり。

 為政第二 仮名論語21頁7行目です。

伊與田先生の解釈です。

子張が尋ねた。「十代の先までも知る事ができますか」

先師が答えられた。「殷の礼制は夏を本にして改変したものであり、周は殷の礼制をいくらか改変したものである。そこで若しも周を継ぐ者があれば、百代の先までも知ることができるよ」

 

 最も若い弟子の一人である子張が、尋ねました。「十世知るべきや」・・・現在の周の王朝の後に、つぎつぎと出現するであろう十の王朝の様子も、予知出来ましょうか。それに孔子は答えます。「殷は夏の禮に因る、損益する所知るべきなり」・・・現在の王朝の一つ前の王朝である殷王朝は、その前の王朝である夏王朝の制度を、そのまま受け継いでいる。いろいろと変更して損(へ)し益(ふや)したところもあるけれども、それらはみな、その理由を察知しうるものである。「周は殷の禮に因る、損益する所知るべきなり」・・・周の、殷王朝に制度に対する関係も同じである。「其れ或は周を継ぐ者は、百世と雖も知るべきなり」・・・現在の周王朝の後には、それを継承するものとして、いろいろの王朝が出現するかも知れないが、百先の時代のことでも、大体は予知しうる。

 この言葉は、文明の法則は、それが文明である限り、永遠のものをもち不変なものを持つという確信を語ったものでしょう。子張が二十歳の時だとすると、孔子はすでに七十歳になっています。

 

子曰わく、斉一変せば魯に至らん。魯一変せば道に至らん。

雍也第六 仮名論語765行目です。

伊與田先生の解釈です。

先師が言われた。「斉が一寸変われば、今の魯のようになり、 

魯が一寸変われば、道の行われるうるわしい国になるであろう」

 

 斉は臨淄(りんし)を首都として、山東省の半ば以上を領有する、東方の大国でした。魯の都曲阜は、臨淄の西南二百キロにあり、山東南部の小国でした。孔子がこの両国のことを言う時には、反射的にそれぞれの国の歴史が必ず頭にひらめいたに相違ありません。魯は周王朝の政治と文化の基礎をつくった聖人、周公旦の後裔(こうえい)であり、かつ周公旦は文王の子、武王の弟ですから、王朝と同姓の親藩でした。それに対し、斉の君主は、姜(きょう)を姓とする譜代大名ですが、その始祖はやはり、周王朝創業の際の第一の功臣、太公望でした。

 この章は、この二国によせた孔子の期待を示すものであって、斉は少しその政治を変化させれば、魯の程度に到達し、魯の政治は少し変化させれば、道・完全な道徳政治に到達する。というものです。

 

つづく

                 宮 武 清 寛

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