サロンカー晴れの国おかやま -②/ 岡山駅にて | 安芸もみじ ─ Photographs, Historys, Railways,-JAPAN┃広島

サロンカー晴れの国おかやま -②/ 岡山駅にて


  サロンカー岡山と呼ばれて


サロンカーなにわのラストランです。

40年に渡って走り抜けた名車でもあるので、ファイナルランと呼んでも、差し支え無いグレートプレーヤーでした。

冒頭の写真は、ハリーポッターのボグワーツ特急風に、AIで加工してみました。

サロンカー晴れの国おかやま号なので、もっと伝統的な和風調なデザインも考えたのですが、ちょっとミステリアス調を選択しました。



列車名は略称でサロンカー岡山とも呼ばれ、JR西日本からの公式発表は無かったものの、これがラストランとしての可能性が濃厚でした。

それ故に注目度は高く、鉄道ファンのみならず一般の人たちからも意識され、早くから検索キーワードでは、サロンカー岡山の呼び名が上位に入っていました。

サロンカーなにわは、1983(昭和58)年に登場した欧風客車で、ブルートレインの一角を担っていた14系客車の、座席車を改装しての誕生でした。

当時はジョイフルトレインと呼ばれたジャンルの車両群でしたが、サロンエクスプレス東京に次いで2本目の編成で、先駆けとされている列車です。



欧風客車はそれまでのお座敷列車と同様に、団体輸送用に適した車両として製作されたものでしたが、その豪華な内装でありながら汎用性も高い車両なので。

年末年始や春夏秋の増発特急列車にも投入され、国鉄時代はオールグリーン車ながら、比較的 乗れやすい列車でもありました。

しかしJR化後は、夜行列車は縮小そして廃止の方針が取られて、多客期の季節列車は運転されなくなり、貸切団体列車としての需要そのものも失せてしまっていました。

近年の鉄道車両は、一般的な車両と異なる設備を持つものは少なくないものの、そのほとんどは個人旅行をターゲットとした観光列車的なものに変化しています。



かつて日本全国を駆け巡った団体輸送用に製作されたジョイフルトレインでしたが、現代まで残った車両はサロンカーなにわが最後の1編成でした。

サロンカーなにわは展望車を備えた7両編成の車両でしたが、他のジョイフルトレインとは異なり、御料車としての機能を有していたことから、現代まで生き長らえたとも言えます。

実際に天皇皇后両陛下の足として お召し列車 としても運転され、その栄光の歴史を歩んできましたが。

形あるものはいずれは滅びる ── 諸行無常は世の常であって必衰の理りな通り、老朽化から逃れることは叶いませんでした。

  ラストランは発車した




6月21日、サロンカーなにわは、団体臨時列車「サロンカー晴れの国おかやま号」としてラストランを迎えました。

大阪を8時30分に発車し、岡山へ11時30分に到着すると、乗客を降ろした後に里庄へ折り返し時刻まで、退避疎開します。

その後16時20分に今度は大阪を目指して、岡山駅へ入線しました。

土曜日の午後4時過ぎと言うこともあり、非常に大勢のお見送りの方々が集まり、ホームは熱気を帯びていました。



発車は16時30分なので10分間の停車ですが、恐らく最後の時となるであろうその時間を、それぞれがそれぞれの星霜を過ごします。

オリジナルの14系客車として誕生したのは1974(昭和49)年で、サロンカーなにわに改造されるため、品川から宮原へ転入してきたのが1983(昭和58)年でした。

品川客車区では波動輸送用の予備編成でしたが、首都圏から中京や信州などへ稼働率は高く、多客期には特急出雲へ増結されることもありました。

サロンカーなにわとなってから42年、14系として誕生してから51年、約半世紀の時代を駆け抜けて来た列車との、最後の10分間のふれあいです。



そして定刻 ── 機関車 EF65-1124号機は、控え目ながらも長い汽笛を吹呼し、ゆっくりと最後の旅路に歩みを進め始めます。

大阪には19時15分の到着で、2時間45分の旅情は、乗客となることができた人たちだけの、最後の特別な時間となりました。

が•••••••,ただそこからは性急過ぎて違和感を感じるほどで、6月23日には中間車5両が吹田へ、25日~27日には展望車の1両が後藤へ、それぞれ廃車回送されています。

その上で、JR西日本の公式発表はマスコミの取材によって、7月2日に公表されました。


  お別れ記念SpecialPhotography




何か、忌避する物を直ちに廃棄したい•••••••,そんなイメージを抱く最後だったのは、どう言った理由からだったのでしょう。

裏の事情は知る由もありませんが、実は知れるとヤバイ状態でのラストランだった?などと、邪推を思わずしてしまいます。

さて、ラストはサロンカーなにわの勇退を記念して、思いを馳せるための写真展のようにしてみました。

廃車回送されていない1両は、今後どのような形で保管されるのかも気になるところです。



ては、ここでサロンカーなにわとなったオハ14とスロ14の、ナンバー対比を簡易資料として記しておきたく思います。

1号車:スロフ14-703 ← スハフ14-312

2号車:オロ14-706 ← オハ14-177

3号車:オロ14-707 ← オハ14-178

4号車:オロ14-708 ← オハ14-179

5号車:オロ14-709 ← オハ14-170

6号車:オロ14-710 ← オハ14-180

7号車:スロフ14-704 ← スハフ14-52


定員はオロ14で39人ですが、オリジナルのオハ14では88人でした。

尚、スロフ14-703はラウンジカーとなっており、定員数は設定されているものの、季節列車及び団体列車ともに、指定席券の発売はされていません。


Railway, Locomotive, Special passenger car limited exhibition,Salon Car Naniwa towing engine, EF58-150 and EF81-103,Kyoto Railway Museum, Japan


6月23日の廃車回送ですが、前日にはテールマークが外されていたスロフ14ですけれど、この日に回送されたのは中間車5両でした。

宮原を6時3分に出発すると、向日町へ7時9分に到着。

向日町を11時51分に出発して、吹田貨物東には12時31分に到着。

7月6日現在も、吹田区内へいる姿を遠くから見ることができるようです。

特急さくら100周年



後藤へ回送されたのはスロフ14-704で、ラウンジカーではない方の展望車です。

Google検索によるAIの回答によると、サロンカーなにわのラウンジカーは、スロフ14-703とスロフ14-704の2両ありますが、それぞれ特徴が異なります•••••••,と答えてきます。

これは嘘で、展望車は2両ありますが、ラウンジカーはスロフ14-703の1両のみです。

AI回答って、検索結果を基に情報を提供しているくせに、間違いが多すぎてまだ信用に価しないところが難点です。




1号車のラウンジカーは防弾ガラスをはめ込むなど、要人輸送も可能な仕様となっていて、お召し列車として天皇陛下が御乗車されたこともあります。

お召し編成を持たないJR西日本にとっての御乗車として、これまでも運用されてきた由緒正しき車両となっています。

この車両•••••••,宮原または向日町などで秘匿的保管されるのか、京都鉄道博物館の扇形庫へ収蔵されるのか。


マイテ49-2の現状を考えると、博物館入りは危険な感じもするので、虎の子保存になる公算も大きいとの予想が強いようです。



尚、サロンカーなにわの廃車回送ですが、中間車5両の牽引はトワ釜のEF65-1124号機が担当しましたが。


スロフ14-703はDD51-1192号機が宮原~米子間を、米子~後藤間はDE10-1161号機が、それぞれ牽引しています。


DE10-1161号機と言えば、元 奥出雲おろち号の専用機ですが、廃止となってからもまだおろちカラーをまとっています。


国鉄直流機とは違う真調のブルーに近いカラーリングなので、直に見た人は青と濃緑のコラボの美しさに、きっと見とれたことでしょう。

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