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1925 ☆☆☆昭和100年記念☆☆☆ 2025 |
1945☆☆☆戦後80周年記念☆☆☆2025 |
元安川遊歩道のお散歩 その6となりました。
ここからは遊歩道でありながらも、平和公園の敷地内ですが、それ故に遊歩道へは慰霊碑がありません。
今回は平和公園入口の左右に固まる慰霊碑・記念碑群から、元安川側の碑をUPします。
今日はその中から3つを掲載しました。


まず最初は平和大通りからも見える″平和の塔″です。
平和の塔は見る方向によってデザインが、全く変わってしまう不思議なモニュメントなのですけど、これは反核ではなく反戦の記念碑です。
「戦争なき一つの世界」を合言葉に、世界連邦広島県 広島市宣言が行われ、その記念として建立されました。
世界連邦広島県 広島市宣言は1974年10月30日に宣言され、同日 記念碑の除幕式も実施されました。


私もまた 被爆者です ── そう大きく直筆で書かれ、顔写真も載っているこの碑はバーバラ レイノルズ記念碑です。
バーバラさんはアメリカ人で、原爆傷害調査委員会の研究員でだった夫のアール レイノルズさんと一緒に、1951年に来日そして広島へ滞在しました。
それ以来、母国アメリカの犯した罪の大きさを悟り、核兵器の無惨さをアメリカや各先進国へ発信しました。
1965年に広島市へNPO ワールド フレンドシップ センターを設立し、アメリカによるマーシャル諸島 エニウェトク環礁 水爆実験を始め、世界の核実験に向けて抗議活動を実施。


これらの功績が認められ1975年に広島市特別名誉市民に選ばれ、それ以降も精力的に核兵器廃絶運動を推進しましたが、1990年に亡くなりました。
そしてその直ぐ近くにある碑は、ノーマン カインズ記念碑で、こちらは碑文を転載します。
「世界平和は努力しなければ達成できるものではない。
目標を明確に定め責任ある行動をとることこそ 人類に課せられた責務である」


そしてこの記念碑の説明文の転載です。
「ノーマン・カズンズ (1915~1990)・米国ニューヨークの文芸誌「土曜文学守台」の編集長として1949年に広島を訪れ、ルポ「4年後のヒロシマ」を表。
これを契機に、 流川教会の谷本清 牧師らとともに、原爆により家族を失った子どもに対する「精神養子運動」を行い、400名を超える子どもたちに、 米国から物心両面で支援した。
さらに1956年、谷本牧師や原田東岷医師らが取り組んでいた原爆後遺症のケロイド治療に関わり、25名の女性の渡米治療に尽力し、彼女たちに将来に対する希望と自信を与えた。
1964年、広島市特別名誉市民の称号を得る。
カズンズ氏のヒューマニズムに富んだ活動を称え、日米市民の相互理解と協力を永遠に心へとどめるため、これを建てる。
2003年8月2日 ノーマンカズンズ氏記念碑建設委員会
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