227系 RedWing and Urara / 糸崎駅 三原駅にて -02
227系 RedWing & Urara の2回目です。
今回も糸崎駅から旧 糸崎機関区に広がる電留線の風景をUPします。
かつてはC62・C59・D51・D52といった大型機が留置そして往来していた、伝説の糸崎機関区。
前回はその追憶的に227系を撮った写真をUPしました。
今回もかつての栄華を偲ぶ感じの写真ではありますが、やはり広島エリアと岡山エリアのセクションです。
RedWingとUraraが同居し、その合間に見える115系は去り行く老兵の風格と、やはり約50年君臨したことから来る、侘しさを垣間見せているようです。
あくまでも227系の0番台と500番台の共演がメインなので、115系共演の写真は今回は少ないのですけど。
1892(明治25)年7月20日、糸崎機関区が開業した1番最初の住人は蒸気機関車の4形(後の国鉄5400形)で、他の入替機などと共に配属されました。
それから132年。
山陽鉄道は国に買収され現在は再び民間鉄道となり、JR西日本の所轄となっていますが、数多の形式の車両がこの地の住人となり。
数多の形式の車両が歴史の彼方へ逝ってしまいました。
糸崎へ配属される車両はもうありませんが、新しい住人となる227系 RedWing と Urara は、また新しい時代の1頁を刻み続けるのでしょう。
ホームからは見られないエリアを、三原行きの電車の中から撮ってみました。
これまではホームから見える景色しか撮影したことのなかった旧 糸崎機関区ですが、こうして列車の中から撮ると、その歴史の重さに浸りつつも、新鮮な感覚にもなります。
噂によると、まだ港湾線や臨港線の跡にレールが残っているらしいので、いつかこの裏手(海側)も歩いてみたいなと感じます。
が•••••••,そこまでこの腰は回復するのか? なかなか疑問と言うか悶々と、問答を繰り返しそうな難問です(笑)
それと、ラストは山陽鉄道4形 後の 国鉄 5400形を貼ってみました。
132年の歴史の臨場感が伝わるかな?
書いてる本人が希薄だから(爆)伝わらないかもね~(笑)