長崎平和祈念日 2024 / 広島 長崎 平和宣言 2024 | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

長崎平和祈念日 2024 / 広島 長崎 平和宣言 2024

被爆2世が語る平和記念日と世界史シリーズ
Nagasaki Maiden Statue

8月9日、79回目の平和祈念日を迎えた長崎です。

人類史上初となる核兵器による都市破壊は、民間人を大量殺戮するのが目的の、アメリカ合衆国の必殺兵器でした。

それから79年。

広島も長崎も、その核攻撃によって蒸発して無くなった被害者、炎に呑まれて炭となった被害者、そして急迫する死を振り払ったものの、放射能に体を蝕まれて亡くなった被害者。

戦後を生き長らえて、少しずつ崩壊して行く身体機能の中、天寿をまっとうできなかった、多くの被爆者。

そしてまだ、生命をつなぎ止めている被爆者の方々もおられます。

79年の年月は、放射線障害と時間が取り囲むように、既にたくさんの命を奪ってきました。

来年は昭和100年を迎えますが、あと20年強で戦後100年も迎えます。

もう誰も戦争のこと核被爆のこと、その体験をしたことの無い人だけの、未知の世界が訪れます。

「被爆者なき時代」まで残された時間は10年それとも5年──1957(昭和33)年に交付開始された被爆者健康手帳。


37万2,264人と最多だった1981(昭和56)年から減少を続け、2024(令和6)年3月末の時点で、被爆者の数は10万6,825人と11万人を切りました。


毎年、平均しておよそ8,600人の被爆者が亡くなっているので、来年には10万人を切る見込みとなっています。


世界唯一の被爆国──それは世界の中で日本だけに核攻撃を受けた被害者がいると言うこと。

そして1945(昭和20)年8月6日・9日で核兵器が使用されて、それ以降に地球上のどこにも実戦で使用された事実が無いことでもあります。

捉え方によれば、それは確かに素晴らしいことではありますが、裏を返すと最後の被害者が逝去されると、もう歴史上の過去の出来事に移ってしまうということ。

それは学校の歴史で習う、源平合戦や戦国時代そして明治維新などと同列となってしまうということです。

どれだけ生のことばを残せるのか•••••••これはとても重要なことではありますが、どれだけ残せてもそれはデータでしかないことも現実です。

声を上げず、ことばを残さず、体験を封印したまま逝ってしまわれた方々が、遥かに多くを占めており、それは甚大な差別がそこにあった由が大きな理由ですが。

その恐怖から思い出したくない、語りたくないと言う、心の負荷からの自己防衛・人間の本能──PTSDも大きなウエイトを占めています。

そんな中、現状で当時の惨状を記憶している体験者となると•••••••。

広島大学平和センターの川野徳幸センター長によれば「これまで色んな調査をしたんですが、いわゆる記憶があって、被爆体験8月6日あるいは8月9日の様子を語るっていう年齢層というのは、やはり5歳とか学童に入ってからの年齢になる。

ということは84歳くらい以上の被爆者が被爆体験を語れる年代なのかもしれない」と、インタビュー記事で語られています。

2024(令和6)年夏の時点で、被爆者の平均年齢は85.58歳です。

「被爆者なき時代」は間違いなく近づいていて、今年4月、新たに自らの被爆体験を伝える「証言者」と、被爆者や家族の体験を受け継ぐ「伝承者」に委嘱書が新たに交付されました。

原爆資料館に登録されている「証言者」は2015(平成27)年には49人いましたが、ことしは32人にまで減ったとあります。

あの凄惨で悲惨な経験をしたことを、直接体験者本人から聞くことは不可能な時代が訪れる──それは核なき世界という思いを、未来に渡って継承できるのかが不透明になることと、間違いなく言えます。


そこにはAI技術やバーチャルリアリティによる3D表現など、その体現を垣間見せる技術はますます発展し、伝え残すことは科学的には可能かも知れません。

しかしかつて広島平和資料館(原爆資料館)にあった、被爆直後の原寸大ジオラマが、訪れた人から悪夢を見るなどのクレームから撤去された経緯もあります。

あのジオラマの中にいた被害者の人形、いかにも作り物感が満載で、もっと精巧に作ればいいのに•••••••との声があった一方、心に傷を受けるほどのインパクトを受けた人も大勢いた現実。

必ずしも目で見る資料が完璧な訳ではなく、文字から得られる知識も限界が低いのも事実で、やはり生のことばの強さに勝るものはありません。

来年は昭和100年の節目の年、そこから被爆者のいない現実世界までの数年間、平和を希求し核兵器廃絶を願う人々にとって、1人1人に何ができるのか正念場の時代が訪れました。


World Cultural Heritage Hiroshima Atomic Bomb Dome

広島平和宣言 2024


皆さん、自国の安全保障のためには核戦力の強化が必要だという考え方をどう思われますか。


また、他国より優位に立ち続けるために繰り広げられている軍備拡大競争についてどう思いますか。


ロシアによるウクライナ侵攻の長期化やイスラエル・パレスチナ情勢の悪化により、罪もない多くの人々の命や日常生活が奪われています。


こうした世界情勢は、国家間の疑心暗鬼をますます深め、世論において、国際問題を解決するためには拒否すべき武力に頼らざるを得ないという考えが強まっていないでしょうか。


こうした状況の中で市民社会の安全・安心を保つことができますか。


不可能ではないでしょうか。


平和記念資料館を通して望む原爆死没者慰霊碑、そこで祈りを捧げる人々の視線の先にある原爆ドーム、これらを南北の軸線上に配置したここ平和記念公園は、施行から今日で75年を迎える広島平和記念都市建設法を基に、広島市民を始めとする平和を願う多くの人々によって創られ、犠牲者を慰霊し、平和を思い、語り合い、誓い合う場となっています。


戦後、我が国が平和憲法をないがしろにし、軍備の増強に注力していたとしたら、現在の平和都市広島は実現していなかったのです。


この地に立てば、平和を愛する世界中の人々の公正と信義を信頼し、再び戦争の惨禍が起こることのないようにするという先人の決意を感じることができるはずです。


また、そうした決意の下でヒロシマの心を発信し続けた被爆者がいました。


「私たちは、いまこそ、過去の憎しみを乗り越え、人種、国境の別なく連帯し、不信を信頼へ、憎悪を和解へ、分裂を融和へと、歴史の潮流を転換させなければなりません。」


これは、全身焼けただれた母親のそばで、皮膚がむけて赤身が出ている赤ん坊、内臓が破裂して地面に出ている死体…生き地獄さながらの光景を目の当たりにした当時14歳の男性の平和への願いです。


1989年、民主化に向けた市民運動の高まりによって、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊しました。


かつてゴルバチョフ元大統領は、「われわれには平和が必要であり、軍備競争を停止し、核の恐怖を止め、核兵器を根絶し、地域紛争の政治的解決を執拗に追求する」という決意を表明し、レーガン元大統領との対話を行うことで共に冷戦を終結に導き、米ソ間の戦略兵器削減条約の締結を実現しました。


このことは、為政者が断固とした決意で対話をするならば、危機的な状況を打破できることを示しています。


皆さん、混迷を極めている世界情勢をただ悲観するのではなく、こうした先人たちと同様に決意し、希望を胸に心を一つにして行動を起こしましょう。


そうすれば、核抑止力に依存する為政者に政策転換を促すことができるはずです。


必ずできます。


争いを生み出す疑心暗鬼を消し去るために、今こそ市民社会が起こすべき行動は、他者を思いやる気持ちを持って交流し対話することで「信頼の輪」を育み、日常生活の中で実感できる「安心の輪」を、国境を越えて広めていくことです。


そこで重要になるのは、音楽や美術、スポーツなどを通じた交流によって他者の経験や価値観を共有し、共感し合うことです。


こうした活動を通じて「平和文化」を共有できる世界を創っていきましょう。


特に次代を担う若い世代の皆さんには、広島を訪れ、この地で感じたことを心に留め、幅広い年代の人たちと「友好の輪」を創り、今自分たちにできることは何かを考え、共に行動し、「希望の輪」を広げていただきたい。


広島市は、世界166か国・地域の8,400を超える平和首長会議の加盟都市と共に、市民社会の行動を後押しし、平和意識の醸成に一層取り組んでいきます。


昨年度、平和記念資料館には世界中から過去最多となる約198万人の人が訪れました。


これは、かつてないほど、被爆地広島への関心、平和への意識が高まっていることの証しとも言えます。


世界の為政者には、広島を訪れ、そうした市民社会の思いを共有していただきたい。


そして、被爆の実相を深く理解し、被爆者の「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」という平和への願いを受け止め、核兵器廃絶へのゆるぎない決意を、この地から発信していただきたい。


NPT(核兵器不拡散条約)再検討会議が過去2回続けて最終文書を採択できなかったことは、各国の核兵器を巡る考え方に大きな隔たりがあるという厳しい現実を突き付けています。


同条約を国際的な核軍縮・不拡散体制の礎石として重視する日本政府には、各国が立場を超えて建設的な対話を重ね、信頼関係を築くことができるよう強いリーダーシップを発揮していただきたい。


さらに、核兵器のない世界の実現に向けた現実的な取組として、まずは来年3月に開催される核兵器禁止条約の第3回締約国会議にオブザーバー参加し、一刻も早く締約国となっていただきたい。


また、平均年齢が85歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩に寄り添い、在外被爆者を含む被爆者支援策を充実することを強く求めます。


本日、被爆79周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、改めて被爆者の懸命な努力を受け止め、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。


皆さん、希望を胸に、広島と共に明日の平和への一歩を踏み出しましょう。


2024(令和6)年8月6日

広島市長 松井 一實



 ※なお、宣言の中で引用しているゴルバチョフ元大統領の言葉の出典は、次のとおりです。


ミハイル・ゴルバチョフ著、読売新聞社外報部訳『ゴルバチョフ演説集』読売新聞社、1991年、25ページ


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United Nations Geneva Headquarters

首相あいさつ

今から78年前の今日、一発の原子爆弾により、十数万ともいわれる貴い命が失われました。


街は焦土と化し、人々の夢や明るい未来が一瞬にして奪われ、一命をとりとめた方々にも、言葉では言い表せない苦難の日々をもたらしました。


内閣総理大臣として、ここに犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。


そして、今なお、後遺症に苦しむ方々に対し、心からのお見舞いを申し上げます。 


核兵器によってもたらされた広島、長崎の惨禍は、決して繰り返してはなりません。


我が国は、引き続き非核三原則を堅持しながら、唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力をたゆまず続けます。


現在、核軍縮を巡る国際社会の分断の深まりやロシアによる核の威嚇等により、その道のりは一層厳しいものになっています。


しかし、このような状況だからこそ、「核兵器のない世界」の実現に向け、国際的な機運を今一度呼び戻すことが重要です。 


「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを進める上で原点となるのは、被爆の実相への正確な理解です。


本年5月のG7広島サミットでは、世界のリーダーたちに、被爆者の声を聞いていただき、被爆の実相や平和を願う人々の思いに直接触れていただきました。


また、世界の指導者のみならず、若者等による広島、長崎訪問を促しました。


各国首脳による胸襟を開いた議論や「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」の発出を通じ、核軍縮の進展に向けた国際社会の機運を今一度高めることができました。


既に始まっている国際賢人会議の議論も踏まえながら、「核兵器のない世界」の実現に向け、引き続き積極的に取り組んでまいります。


また、被爆者の方々の平和への思いを次の世代へとしっかりとつないでいくための取組については、今後とも、「ユース非核リーダー基金」のプログラムなども通じ、積極的に行ってまいります。 


被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、引き続き、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、総合的な援護施策を推進してまいります。 


結びに、国際平和文化都市として、見事に発展を遂げた、ここ広島市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを改めてお誓い申し上げます。


原子爆弾の犠牲となられた方々の御冥福と、御遺族、被爆者の皆様、並びに、御参列、広島市民の皆様の御平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。


2024(令和5)年8月6日

内閣総理大臣 岸田 文雄



Nagasaki Peace Prayer Statue

長崎平和宣言 2024


"原爆を作る人々よ!


しばし手を休め 眼をとじ給え


昭和二十年八月九日!あなた方が作った 原爆で幾万の尊い生命が奪われ家 財産が一瞬にして無に帰し平和な家庭が破壊しつくされたのだ


残された者は無から起ち上がらねばならぬ血みどろな生活への苦しい道と明日をも知れぬ”原子病″の不安とそして肉親を失った無限の悲しみがいついつまでも尾をひいて行く″


これは23歳で被爆し、原爆症と闘いながらも原爆の悲惨さを訴えた長崎の詩人・福田須磨子さんが綴った詩です。


家族や友人を失った深い悲しみ、体に残された傷跡、長い年月を経ても細胞を蝕み続け、様々な病気を引き起こす放射線による影響、被爆者であるが故の差別や生活苦。原爆は被爆直後だけでなく、生涯にわたり被爆者を苦しめています。


それでも被爆者は「世界中の誰にも、二度と同じ体験をさせない」との強い決意で、苦難とともに生き抜いた自らの体験を語り続けているのです。


被爆から79年。


私たち人類は、「核兵器を使ってはならない」という人道上の規範を守り抜いてきました。


しかし、実際に戦場で使うことを想定した核兵器の開発や配備が進むなど、核戦力の増強は加速しています。


ロシアのウクライナ侵攻に終わりが見えず、中東での武力紛争の拡大が懸念される中、これまで守られてきた重要な規範が失われるかもしれない。


私たちはそんな危機的な事態に直面しているのです。


福田さんは詩の最後で、こう呼びかけました。


原爆を作る人々よ!今こそ ためらうことなく手の中にある一切を放棄するのだそこに初めて 真の平和が生まれ人間は人間として蘇ることが出来るのだ 


核保有国と核の傘の下にいる国の指導者の皆さん。


核兵器が存在するが故に、人類への脅威が一段と高まっている現実を直視し、核兵器廃絶に向け大きく舵を切るべきです。


そのためにも被爆地を訪問し、被爆者の痛みと思いを一人の人間として、あなたの良心で受け止めてください。


そしてどんなに険しくても、軍拡や威嚇を選ぶのではなく、対話と外交努力により平和的な解決への道を探ることを求めます。


唯一の戦争被爆国である日本の政府は、核兵器のない世界を真摯に追求する姿勢を示すべきです。


そのためにも一日も早く、核兵器禁止条約に署名・批准することを求めます。


そして、憲法の平和の理念を堅持するとともに、北東アジア非核兵器地帯構想など、緊迫度を増すこの地域の緊張緩和と軍縮に向け、リーダーシップを発揮することを求めます。


さらには、平均年齢が85歳を超えた被爆者への援護のさらなる充実と、未だ被爆者として認められていない被爆体験者の一刻も早い救済を強く要請します。


世界中の皆さん、私たちは、地球という大きな一つのまちに住む「地球市民」です。


想像してください。今、世界で起こっているような紛争が激化し、核戦争が勃発するとどうなるのでしょうか。


人命はもちろんのこと、地球環境にも壊滅的な打撃を与え、人類は存亡の危機に晒されてしまいます。


だからこそ、核兵器廃絶は、国際社会が目指す持続可能な開発目標(SDGs)の前提ともいえる「人類が生き残るための絶対条件」なのです。


ここ長崎でも、核兵器のない世界に向けて、若い世代を中心とした長年の動きがさらに活発になっています。


今年5月には、若者版ダボス会議と呼ばれる国際会議「ワン・ヤング・ワールド」の平和をテーマとした分科会が、初めて長崎で開催されました。


世界の若い世代が主役となって連帯し、行動する輪が各地で広がっています。


それは、持続可能な平和な未来を築くための希望の光です。平和をつくる人々よ!


一人ひとりは微力であっても、無力ではありません。


私たち地球市民が声を上げ、力を合わせれば、今の難局を乗り越えることができる。


国境や宗教、人種、性別、世代などの違いを超えて知恵を出し合い、つながり合えば、私たちは思い描く未来を実現することができる。


長崎は、そう強く信じています。


原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の誠を捧げます。


長崎は、平和をつくる力になろうとする地球市民との連帯のもと、他者を尊重し、信頼を育み、話し合いで解決しようとする「平和の文化」を世界中に広めます。


そして、長崎を最後の被爆地にするために、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けてたゆむことなく行動し続けることをここに宣言します。


2024(令和6年8月9日

長崎市長 鈴木 史朗


Four days that Japan must remember.
memorial service day,Hiroshima
memorial service day,Nagasaki
memorial service day,Okinawa
memorial service day,JAPAN
Peace symbol
ICAN symbol mark
SDGs


米英など長崎不参加

8月9日、長崎市が開催する平和記念式典に、少なくとも6カ国の駐日大使が欠席する意向を示していることに、様々な声が寄せられている。

 ガザでは今もイスラエルによる軍事侵攻が続いている 。

「広島市は6日の式典にイスラエルを招待しましたが、長崎市は現在、パレスチナ自治区ガザを攻撃するイスラエルを招待しないことを判断しました。

この対応に不満を示したアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、カナダの6カ国の駐日大使が一斉に欠席する意向を示しているのです。

鈴木史朗長崎市長は、今回の決定について、「あくまでも政治的な理由ではなく、平穏かつ厳粛な雰囲気の下で円滑に式典を実施したいという中で、不測の事態の発生のリスクなどを総合的に勘案し、判断した」とコメントしています。

日本政府や外務省などと相談しての判断ではなく、あくまでも長崎市としての判断と語っています。

ただ、7月19日には、日本を除くG7の主要7ヶ国とEU(ヨーロッパ連合)の駐日大使が連名で、長崎市長に対して「式典にイスラエルを招かないことはロシアなどと同列に扱うようなものだ」として、招待するよう呼びかけていました。

長崎市の判断によって、結果的に、原爆を投下した当事国である米国の大使が来ないという異例の事態となったことで、X上では賛否が巻き起こっています(政治記者)

各国の相次ぐ出席拒否に対して、X上のコメントを観てみると、

《全く問題ありません。長崎市を全面的に支持します。被災地が批判される筋合いなど全くない。特にアメリカから》 

《むしろ欧米諸国がイスラエル擁護に回っていることの方が問題だ。特に米国の欠席は原爆投下への無反省を物語る》 

《長崎市が平和祈念式典に招待したのにG7各国やEU大使たちが欠席するのは長崎市の責任ではない。相手の判断なので長崎市に何も非はない。原爆を投下した当事国の態度が一番非礼ではあると思う。毅然としていたら良い》  

と、長崎市の対応を評価するコメントが目立つ。 

「一方では、戦争当事国やG7が参加しない平和祈念式典に意味はあるのか、といった疑問の声も多く寄せられており、長崎市は非常に難しい立場に立たされています。

背景にあるのは、日本とイスラエルの心理的な距離感でしょう。

日本では「イスラエルによるガザへの軍事侵攻は、やりすぎだ」という意見はごく普通に飛び交っています。

一方で、欧米諸国としては、パレスチナにおける“人道危機”に懸念を示すことはできても、表立ってイスラエルを否定することが難しく、特にイスラエルをウクライナ侵攻におけるロシアと同列に扱うような事態に対し、非常に神経を尖らせているのでしょう。

長崎市は何度も、イスラエルを招待しない理由を“政治的な理由ではない”と語っていますが、欧米諸国としては敏感にならざるを得ないのでしょうね」(政治部記者)

出席しなくても、“平和への祈り”を理解していると信じたいが……。

8月8日 Yahoo! NEWS ″FLASH″より転載

どう声を世界に届け、どう姿勢を世界に見せるのか。

広島と長崎の考え方の差であるものの、それは日本が内包する矛盾そのものであるとも言えます。


何はともあれ声を世界に届けるんだ!の広島と、やはり反戦の視点からロシアとイスラエルは同一だと言う姿勢を示した長崎。

かつて国連総会へ招待されて、平和スピーチを行った長崎と、不参加とした広島。

思いは同じであっても、それぞれがそれぞれの姿勢で挑むべき″世界へのアピール″です。


被爆2世が語る平和記念日と世界史
May the world be filled with peace and happiness.
(世界が平和と幸福で満たされますように)

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