広島平和記念日 2024 / 差別と人権について
被爆2世が語る平和記念日と世界史シリーズ |
家族や友人たちと過ごした思い出も、大好きな人・大切な人を思う心も、将来の夢そして希望、明日と言う時間も、今日のお昼ご飯「何食べよう」も。
一瞬のうちに、あなたの体と一緒に蒸発して、無かったことに変わります。
あなたが無かったことになっても、生き残った人はあなたを覚えていて、自分に急速に忍びよる死を乗り越えても一生、その記憶は苦しみと悲しみを授け続けます。
その日は気圧1018hPaで湿度は80%、北の風 0.8m/sの薄曇りでしたが、午前8時の時報前には風速2~3m/sとなり、雲は流されて快晴になりました。
気温は26.7℃まで急上昇していて、最高気温は30℃を超える見込みの朝でした。
そして8時15分、上空580mでさく裂した爆弾は、核分裂の連鎖を起こして半径260mの火の玉を形成します。
その温度は約1,000万℃、100万hPaのプラズマの火球へと姿を変えた後、地上へ6,300℃の熱波をもたらしました。
この火球は爆発直後の0.5~2秒の間に、コンクリートや鉄、アルミニウムの合金、土や砂そして河川の水などを気体に化し、大気と混合されて様々なガラスを生み出しました。
人間の体は炭素で組成されているので、0.5秒もかからず燃え尽きてしまいますが、資料館で展示されているヒロシマガラス•••••••。
ひょっとしたら、自分が死んだことも知らずに無かったことになった人たちの、体の一部が溶け込み融合しているのかも知れません。
ヒロシマガラスは超高温で生成された化学反応による結晶で、それらは非常に小さい物質ですが、ガラス製品とそれら生成結晶が融合した物は、比較的大きな物となっています。
平和公園や袋町小学校などの資料館に展示されているものは、そうした窓ガラスやビンなどのガラス製品と融合した物です。
また、西向寺などにある被爆した墓石に、ラメのようにキラキラとしているものは、墓石が1度気化した後に再結晶化する折、一部がガラス質に変異した生成結晶体です。
これら原爆による生成結晶 = ヒロシマガラスは、意外なところですが宇宙誕生の謎を、解明する一助にもなっているようです。
しかし原爆使用の遺物が科学の発展にどんなに寄与しようとも、核兵器はやはり使われることが無いのが一番です。
一瞬で蒸発して自分が死んだことも知らずに、消えて無くなった人の中には、あまりにな高温と強烈な光によって、影だけを遺した人もいました。
そして•••••••生き残り、永遠の苦しみを漂って一生を全うした人も、数多くいます。
「生きていて ごめんなさい」
生きていることが罪である存在──被爆者。
生まれてきた罪、食事をする罪、楽しく過ごす罪、幸せを感じる罪、安らかでいる罪、眠る罪、笑う罪、そして呼吸をする罪。
被害者でありながら、ある日突然、差別される身となった被爆者。
話しは少し逸れるのですが、皆さんは″癩(らい)″と言う病気を ご存知でしょうか。
皮膚や末梢神経が「らい菌」によって侵される感染症で、皮膚の変色から始まり体の変形を伴い、悪化すると歩行や指先を動かす自由も奪われる病気です。
古くは「日本書紀」や「今昔物語集」にも「らい」の記述があり、古代を描いた「ベン・ハー」やイエスを描いた映画などでも、必ず登場する らい病。
その症状の進行から、太古の時代から患者は差別の対象となり迫害されてきましたが、日本では明治時代に入って、国による強制隔離政策がとられるようになり、法によって患者の人権が大きく侵害そして剥奪されました。
この疾患は前述のように″癩(らい)″病と長らく呼称されてきましたが、現在は偏見と差別を助長するものとして使用せず、″ハンセン病″が正式病名となっています。
ハンセン病と言う名称の由来は、1873(明治6)年にノルウェーの医師 ハンセンによって発見されたことからですが、当初から近年までハンセン氏病とも呼ばれていました。
このハンセン病ですが、原因となる らい菌は結核菌と同じ抗酸菌の仲間で、末梢神経に障害を起こすことから恐れられていましたが、らい菌には毒性が無く、ハンセン病によって死に至ることはありません。
感染から発病までには、その人の免疫能力、栄養状態、衛生状態、経済状態、菌量、 環境要因など種々の要因が関与するため、長期間(数年~数10年)を要します。
日本では菌に感染しても発病せずに一生を終えることがほとんどであり、遺伝病でもないために、仮に発症しても簡単な治療で快癒します。
しかし昔、ハンセン病を発症した人の中には、施設へ隔離されたものの、病状がどんどん進行して後遺症や障害を残した人もいます。
小説で描かれ映画やドラマにもなった「砂の器」は、らい病を患う父とその子が主人公の物語ですが、村八分を忌嫌したり近隣や家族への迷惑を心配し、放浪の旅に出る「放浪癩」と呼ばれる人がたくさんいました。
古来から人々は感染力が弱いことを知っており、神の怒りを買った不徳な者が発症すると考えられていましたが、国による隔離政策によって らい患者を知らない人たちは、死をもたらす恐い病気として認識されます。
1929 (昭和4)年には、各県が競ってハンセン病患者を見つけだし、強制的に入所させるという「無らい県運動」が全国的に進められました。
1931(昭和6)年には従来の法律を改正して「癩予防法」を成立させ、強制隔離によるハンセン病絶滅政策という考えのもと、在宅の患者も療養所へ強制的に入所させるようにしました。
1948(昭和23)年に成立した「優生保護法」では、その対象としてハンセン病が明文化されました。
1951(昭和26)年、全国国立らい療養所患者協議会(全患協)が発足し、法の改正を政府に要求していきますが•••••••。
1953(昭和28)年、患者たちの猛反対を押し切って「らい予防法」は成立してしまいます。
この法律の存在が、世間のハンセン病に対する偏見や差別をより一層助長し、患者はもとよりその家族も結婚や就職をこばまれるなど、偏見や差別はエスカレートの一途を辿ります。
1996(平成8)年になってようやく「らい予防法」は廃止されましたが、優生保護法 = 優生上の見地から、不良な子孫の出生を防止するため、強制的に避妊手術が施された男女が既に数多くいました。
1998(平成10)年、熊本地裁に「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟が提訴され、翌年には東京、岡山でも訴訟が提訴されました。
2001(平成13)年5月11日、熊本地裁で原告(患者・元患者)が勝訴すると、政府は控訴を行わなかったことから、6月には衆参両院で「ハンセン病問題に関する決議」が採択され、新たに補償を行う法律もできました。
2002(平成14)年には、療養所退所後の福祉増進を目的として、「国立ハンセン病療養所等退所者給与金事業」を開始、啓発活動を積極的に行うなど、名誉回復のための対策を進めているのですが。
後遺症による重い身体障害を持っている人も多く、迫害差別法が失効してから未だ年月が浅いことから、未だに一般社会における偏見・差別が残っていることなどもあって、療養所の外で暮らすことに不安があり、安心して退所することができないという人が大瀬います。
約150年の間、国策によって差別していた誤解や偏見を、現在 急務で名誉回復、社会復帰支援策が採られているものの、やはりそこには汚い者として差別が根強くあります。
おおよそ2週間ぐらい前──7月25日、ハンセン病の後遺症がある方が、ただ西広島駅近くのスーパーで買い物をしていただけで、他のお客さんから警察に通報されていました。
警察官も不審者の通報があれば行かざるを得なく、その方へ職務質問を長い時間をかけて、行っていました。
他のお客さんの目もあり、その人たちの目にはどう映っているのかは分かりませんが、ハンセン病を発症して、治療も医学的処置も行われない施設へ隔離され•••••••。
長年、橋の無い川の向こうで非人間扱いを数十年も受けて、法的に自由の身となって一般社会で生きていこうとしても。
ただ、そこにいるだけでやはり今でも差別を受ける•••••••そんな生活。
父 武治が生前に「被爆したけぇいろんな医療費がタダで、病気の治療をしてもらえるんじゃが、もし被爆しとらんかったらこんな身体にはなっとらんかったカモ知れんよのぉ」と言っていました。
その頃に、同じく原爆で放射線障害となり、末期がんだった人と知り合ったのですが、その人は「わしらは若い頃、よう差別されたわ。でももうすぐ死ねるんよのぉ。らいの人らは死ぬ病じゃないけぇ、ずっと一生苦しまんといけん」と、ポツリとこぼされたのを聞きました。
ずっと「生きていてごめんなさい、生まれてきてごめんなさい」と言う、お互いの関係に思いを寄せたのかも知れません。
ハンセン病は99%以上の確率で移らない病気ですが、それでも感染症であることには変わりませんが。
原爆が落ちた後、身体中がヤケドそしてケロイドだらけで生きた人々は、外的な炎による裂傷ではあるものの、多量の放射線を浴びたことから、傍に寄って来た人を被爆させます。
そう「ピカは移る」のです。
4歳で亡くなった私の叔母は倭子(かずこ)と言う名前でしたが、叔母は直接被爆したのではなく、家で匿った知り合いから放射線被爆をして亡くなりました。
福島原発事故の記憶もまだ新しいところですが、ニュースで大地や家屋を洗浄していたのを、覚えている人も多いでしょう。
放射能汚染の洗浄••••••もちろん、人体も多量の放射線を浴びれば、放射能汚染となり肉体が放射線を発するようになります。
原爆の衝撃波と熱戦そして放射線を受けて、見るも無惨な姿となった被害者とは別に、核被害を受けておらず、美しい本来の姿のままある日突然死に至る。
被害者が見た目も醜く、そして死をもたらす者として、忌み嫌われるだけでなく、差別の対象となったのは、ある意味 自然な流れでした。
ハンセン病患者の差別問題は、この21世紀になってから解放されたがゆえに、差別問題はこれからでありながら、殆どの被害者が高齢である問題を抱えています。
↑ステレオグラフ・交差法↑
人生の終焉を迎える前に差別は無くなるのか、それとも残りの人生をずっと差別され続けて生きていかざるを得ないのか。
被爆者は核兵器廃絶と世界恒久平和の旗印の下、表だって差別を受けることは″無い″と言っても過言ではないほどな現在です。
それでも心に見下す思いを秘めた輩は存在し、今でも昔の「生きていてごめんなさい」が、心の奥深くに鋭い刃となって、突き刺さったまま日々を生きています。
それは生きている限り永遠に影を落として、心からの安らぎの訪れを妨げ続けています。
悪意の無い差別、悪意を持った差別、他人から汚されられ続けた心の傷は、一生涯消えることが無いばかりか、延々と生きている限り苦しみを訴え続けます。
原爆で刻まれたケロイド、差別でえぐられた心、拳と言葉の暴力に耐えた日々、それは今も刻まれる被爆と差別の痛み──「無知の土壌には必ず偏見や差別意識が育つ」•••••••だからこそ「非人道的」な核兵器は廃絶しなければなりません。
日本人に限らず人類は、受け入れがたい容姿や状態の者を、忌避し遠ざけ拒絶と見下しをしてしまいます。
もちろん、警戒することは本能ですが、必要以上の排斥行為や無関心は、国際連合の言うところの性差別や人種差別などと同罪になります。
差別とは、特定の状態にある個人、病傷や性別などの属性を有する個人・集団に対して、その状態や属性を理由に異なる扱いをする行為です。
国際連合は「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為が根源である」としています。
合理性の欠けた拾捨、正当な理由無き区別は、不当な差別であると断定され、法治国家において違憲そして違法である故、犯罪であると。
それを踏まえて、以下の訴えを読んで頂けると幸いです。
「サイバーエージェントにしてアメブロは
毎年の抗議を無視し続けて
原爆死没者をハムだと差別する
なのになぜ
沖縄の慰霊の日だけは
ブログスタンプにしたのだろう
その真意が判らない
不思議だ
沖縄の慰霊の日は
ブログスタンプが始まった当初から
ある訳ではない
2020年に差し替えたものだ
ハムの日のブログスタンプは
ブログスタンプ開始当初からのもの
2年目に質問状を送り
回答が無かったため抗議文を送り始めた
その経緯の下での慰霊の日への差し替え
当然ながら8月6日にも期待する
しかし未だに変更される兆しは無い
どうせ被爆者には何もできないだろう
アメブロがそう考えている
そう推測されても仕方あるまい
ハムの日のブログスタンプ
これ自体は差別には当たらない
問題があるのはアメブロの態度である
燃えながら歩く近所の人
焼けただれた皮膚を引きずって歩く人
上記文面は今年、沖縄の″慰霊の日″のブログスタンプで、記事上で訴えたものを転載したものです。
原子爆弾の投下直後から、被爆者は同じ広島市民から差別され、爆弾としての怪我、核兵器としての放射線影響に加え、心に傷を負わされ続けてきました。
人権とは、単に人間であるということに基づく普遍的権利であり「人間の生存にとって欠くことのできない権利および自由」です。
それは生きていることは罪ではない幸せ。
祝福されて生まれ楽しく過ごせる日々、食事をする楽しさ、安らかでいる暮らし、安心して眠れる時間、家族や友人そして恋人と笑い合うひと時──幸せを希求する権利と自由です。
しかし世の中には、他人を否定することでしか自分を存在させられない人間もいます。
-日本国憲法における国民の権利及び義務-
●日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
●国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。
●この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。
●この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。
●又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。
●すべて国民は、個人として尊重される。
●生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
●すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
人権とは総ての人間が、人間の尊厳に基づいて持っている固有の権利であると、日本の憲法は保障しています。
法律なのでちょっと難しい説明になりますが、人権は社会を構成する総ての人々が、個人としての生存と自由を確保し、社会において幸福な生活を営むために、欠かすことのできない権利であるものの、それは人間固有の尊厳に由来しています。
日本の憲法において人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であり、侵すことのできない永久の権利として、現在そして遠き未来の国民へ、永久に与えられたものです。
そう、ここ大事なんですよ。
未来の国民へも与えられるのではなく、生まれて来る以前から既に与えられているんです。
総ての日本国民は個人として尊重され、自由であることも保障されていますが、その権利には濫用禁止であり、常に″単に自分と他人の幸福のために!″が条件として義務を背負わせています。
お互いさま お陰さま で、思いやりと親切を基とした言動をしていれば、差別はそもそも起こりません。
が、悪意を持った差別よりも、殆どのケースでは″たいてい悪意の無い人が差別をする″ものです。
ある書籍には「あらゆる差別は見えるマジョリティには″ない″」と訴えていて、日常の中にありふれた排除の芽に気づき、真の多様性と平等を考える感性を身につける必要があります。
私はこれが″相手との距離感″と認識しました。
そもそも″穢れ″という世界観の中で生きていることは、アメーバプロフィールで記しているところではありますが、それ故に距離感という感性は重要なアイテムです。
距離感をコントロールできれば、他人を否定したり見下したりすることもなく、差別につながることも無くなります。
ハンセン病を患い差別されるその瞬間から一連を目撃してしまったことから、今日の記事は被爆から逸れて長い文章となってしまいました。
しかしかつては被爆者も人間ではない扱いを受けた時代があり、現在も心の中で蔑んで見ている人がいる事実もあり、昭和99年の記事としては相応しい内容にはできたのではないかと、ちょっとだけ自負しています。
サイバーエージェント、アメーバブログ、スタンプ担当者──こんな苦しみを内抱している被害者たちを、どうか人間扱いをして欲しいと訴えているのに、声は間違いなく届いているのに、聞こえていないフリを貫くのはどうしてでしょう。
「無知の土壌には必ず偏見や差別意識が育つ」と記しましたが、常識の薄い人、知識や見識の低い人、教養の無い人ほど、他人を否定したがるのも体験的に事実のように感じます。
妄想と現実の境界が曖昧で、嘘を呼吸するかのように当たり前に騙り、他人の名誉や信用を著しく傷付けるものの、その話しを自分が作った自覚が無い人••••••長く生きてきて、結構たくさん知っています。
-追伸-
このユーチューブのリンクは、翌7日に公開された HTB 北海道ニュースの公式番組です。
母の言葉といじめ──被爆者であることを隠してきた女性が、自らの体験を伝える語り部になった訳とは•••••••。
「あんたさえいなきゃ ね」って母親に言われて、小学校6年生で、なんの言葉も返すことができなかった」
総ての被爆者が抱える闇の部分を、金子廣子さんが淡々と語ります。
語り部が語る体験──そこは真実の宝庫ではありますが、それは辛く悲しく苦しく悔しい人生です。
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辛く悲しく苦しく悔しい人生•••••••その言いたいこと全てを噛み殺して、無言で逝ってしまったハンセン病患者。
その無念を曾孫の女性が晴らそうと、まずは取材を受けました。
ハンセン病差別のほんの一部でも、垣間見れて体験として記憶に留めて欲しく思います。
☆被爆2世が語る平和記念日と世界史☆
May the world be filled with peace and happiness.
(世界が平和と幸福で満たされますように)
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