広島平和宣言 2007 / 1960年併載と仏核実験 | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

広島平和宣言 2007 / 1960年併載と仏核実験


> 昨年末から続いている、イスラエルによるガザ自治区への攻撃ですが、イスラエル軍によると、毎日13時から16時までの3時間、攻撃を休止すると発表しました。


> これにより、パレスチナへの食料や医薬品などの支援物資の運搬がスムースに行えると言います。

> そしてイスラエルは、パレスチナ側に死者が700人近くに上り、また一般市民の犠牲者も増える中でも、人道的な配慮をしているとアピールをする積もりらしいのですが。

> 原点に戻って考えれば、そもそも戦争に人道的配慮なるものが存在するのだろうか?

> 無差別な過剰反撃はもはや、防衛でも治安維持でもなく、一方的な大量虐殺です。

> また、ロシアとウクライナも国際紛争が勃発しそうな不穏な空気で、事実関係は分からないものの、イメージ的にはロシアがウクライナへ言いがかりをつけているように感じます。


> 日本での報道をみると、ウクライナがパイプラインから無断でガスを抜き取っているとの理由で、ロシアが天然ガスの供給を停止したようです。


> 実際にはウクライナがガスの横領をしている事実関係は証明されておらず、この背景には、西側へ接近するウクライナとロシアとの根深い対立があるようです。

> これは現実問題として、ロシアとウクライナだけの関係では終わらず、パイプラインの停止によって、ヨーロッパ13ケ国に影響が出ています。

> 寒さが本格的に突入するこの季節に、エネルギー不足が深刻化しており、備蓄燃料温存のために、かなりの供給制限が加えられています。

> また、大量のエネルギーを消費する工場関係では、操業停止も余儀なくされており、日系企業も大打撃を受けています。

> 欧州各国の国民は寒さに凍え、福祉や援助にも手を回す事ができなくなりつつある中、世界大恐慌とエネルギー不足問題に、権益と領土問題、更にアメリカの停滞。

> 第二次世界大戦のが勃発した時と、全く同じ条件が成立しつつある情勢で、人類は果たして、70年前の教訓を活かせる事ができるでしょうか。

> それぞれの国の国民が、それぞれの国をしっかり監視していなければならない時期です☆


と、今年1月の記事から一部抜粋で転載した上の文面なのですが、イスラエルとパレスチナ、ロシアとウクライナ、どちらも根底には領土問題があります。

ウクライナはかつて連邦を構成していた、ソビエト連邦共和国の主要国の1つですが、ロシア民族・ロシア文明の発祥の地でもあります。

ロシア人にとってあれだけの広大な領土を持ちつつも、いつもどこか心の拠り所であるかの土地に、反ロシア派のロシア人が牛耳っている•••••••許せないのかも知れません。

イスラエルも、神に与えられた約束の地であるユダヤの聖地で、亡国の民族となっていた1000年以上の時間の流れの中、既にそこで暮らしていたパレスチナ人がいました。

どちらも自分たちの発祥の地としてのアイデンティティであるものの、新たにそこで長く生活を営む異民族そして分かれた同族。

根深く解決の糸口は永遠に見つからないのかも知れません。

それでもヒロシマは、世界に向けて恒久平和と反戦そして核廃絶を訴えます。



広島平和宣言 2007


運命の夏、8時15分。


朝凪を破るB-29の爆音。


青空に開く純白の落下傘。


そして閃光、轟音——静寂——阿鼻叫喚。


美しい青空に映える白い落下傘に見とれた少女たちの眼は焼かれ、顔は爛れ、助けを求める人々の皮膚は爪から垂れ下がり、髪は天を衝き、衣服は原形を止めぬほどでした。


爆風により潰れた家の下敷になり焼け死んだ人、目の玉や内臓まで飛び出し息絶えた人——辛うじて生き永らえた人々も、死者を羨むほどの「地獄」でした。


14万人もの方々が年内に亡くなり、死を免れた人々もその後、白血病、甲状腺癌など、様々な疾病に襲われ、後遺症と共に今なお苦しんでいます。


それだけではありません。


ケロイドを疎まれ、仕事や結婚で差別され、深い心の傷はなおのこと理解されず、悩み苦しみ、生きる意味を問う日々が続きました。


しかし、その中から生れたメッセージは、現在も人類の行く手を照らす一筋の光です。


「こんな思いは他の誰にもさせてはならぬ」と、忘れてしまいたい体験を語り続け、三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を未来永劫忘れてはなりません。


こうした被爆者の努力にもかかわらず、核即応態勢はそのままに膨大な量の核兵器が備蓄・配備され、核拡散も加速する等、人類は今なお滅亡の危機に瀕しています。


時代に遅れた少数の指導者たちが、未だに、力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけでなく、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けているからです。


しかし21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代です。


かつての植民地は独立し、民主的な政治が世界に定着しました。


さらに人類は、歴史からの教訓を汲んで、非戦闘員への攻撃や非人道的兵器の使用を禁ずる国際ルールを築き、国連を国際紛争解決の手段として育ててきました。


そして今や、市民と共に歩み、悲しみや痛みを共有してきた都市が立ち上がり、人類の叡智を基に、市民の声で国際政治を動かそうとしています。


世界の1698都市が加盟する平和市長会議は「戦争で最大の被害を受けるのは都市だ」という事実を元に、2020年までの核兵器廃絶を目指して積極的に活動しています。


我がヒロシマは、全米101都市での原爆展開催や世界の大学での「広島・長崎講座」普及など、被爆体験を世界と共有するための努力を続けています。


アメリカの市長たちは「都市を攻撃目標にするな」プロジェクトの先頭に立ち、チェコの市長たちはミサイル防衛に反対しています。


ゲルニカ市長は国際政治への倫理の再登場を呼び掛け、イーペル市長は平和市長会議の国際事務局を提供し、ベルギーの市長たちが資金を集める等、世界中の市長たちが市民と共に先導的な取組を展開しています。


今年10月には、地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」総会で、私たちは、人類の意志として核兵器廃絶を呼び掛けます。


唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります。


同時に、国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。


また、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、平均年齢が74歳を超えた被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。


被爆62周年の今日、私たちは原爆犠牲者、そして核兵器廃絶の道半ばで凶弾に倒れた伊藤前長崎市長の御霊に心から哀悼の誠を捧げ、核兵器のない地球を未来の世代に残すため行動することをここに誓います。


2007(平成19)年8月6日

広島市長 秋葉 忠利




イスラエルの建国は1948(昭和23)年5月14日のことで、この年の平和宣言は平和祭の第2回目であり、GHQによる言論統制の下での宣言でした。

既に過去にUPしていますので、1960(昭和35)年2月13日にフランスが、世界で4番目となる初めての核実験を成功させたことから、この年の平和宣言を併載します。


尚、世界で3番目となったイギリス初の核実験成功は、1952(昭和27)年10月3日のことで、この年の平和宣言は既にUPしています。


広島平和宣言 1960


広島に原子爆弾が投下せられてから、すでに15年の歳月が流れた。


あの日、広島市は一瞬にして焦土と化し、無数の生命を失ったが、その惨禍の中からかろうじて生き残った者の心の底に深く根ざしたものは、戦争への強い憎しみと、それをふたたび繰返してはならないという固い決意とであった。


爾来、われわれは、あらゆる機会を通じて、懸命にそのことを訴え続けてきた。


しかるに、最近核兵器の研究と生産はますます進み、国際情勢もまた極度の緊張を加えつつあることは、まことに憂慮にたえない。


今や人々は、原子戦争は勝利の見込みのない戦争であって、それは全人類の自滅を意味するものであることを深く認識しなければならない。


われわれは、すべての民族すべての国家が、人類連帯の精神に立って、小異をすてて大同につき、核兵器の禁止と戦争の完全放棄をなし遂げ、共栄共存のための新しい世界秩序を打ち立てることこそ、喫緊の要務であることを確信するものである。


本日、ここに思い出もあらたに原爆死没者の霊を弔うにあたり、重ねてこれを広く世界に宣言する。


1960(昭和35)年8月6日

広島市長 浜井 信三






-2018年 追記-


フランスが1990年代まで南太平洋で繰り返し行った核実験は人道に対する罪に当たるとして、フランス領ポリネシアの野党指導者らが国際刑事裁判所(ICC)に提訴した。


提訴について代表のオスカー テマル 元ポリネシア大統領は国連の脱植民地化をめぐる委員会会合で「われわれは10月2日、非常に大きな義務感と決意をもってICCに人道に対する罪に関する申し立てを行った」と述べた。 


訴訟の目的について「存命のフランス大統領経験者の全員にわが国で行った核実験に対する責任を負わせることにある」と説明。


そして「核植民地主義の影響で亡くなったすべての人々のためにそうする必要がある」と強調した。 


フランス領ポリネシアには約29万人が暮らし、今ではタヒチ島などの観光地として知られる。


しかしムルロア環礁やファンガタウファ環礁では、1990年代に当時のジャック・シラク大統領が終了を宣言するまで、30年にわたり通算193回の核実験が行われ、環境破壊と核汚染が著しい。


-2021年追記-


フランスはポリネシアの被爆者に対して保障を公約し、日本の被爆者支援を参考に保障体制を整えた。


しかし核実験による健康被害がありながら補償を申請していない住民も多く「補償が不十分だ」と指摘を受けたことから、当局が被害者に働き掛ける、申請支援に取り組む考えを明らかにした。


また、ポリネシアで核実験を実施した理由を「遠い太平洋の真ん中で行えば本土とは影響が異なると考えたからだ」と率直に認めた。


「真実を示し、透明性を保ちたい」と訴え、国防に支障のない関連公文書は全て開示すると述べた。


ただ、支援と情報公開は行うが、人道的な謝罪は行わないとの姿勢は避難されており、フランス本国とポリネシア住民の信頼関係は揺らいでいる。



May the world be filled with peace and happiness.
(世界が平和と幸福で満たされますように)


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