原爆忌 2005 / ラッセル•アインシュタイン宣言 | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

原爆忌 2005 / ラッセル•アインシュタイン宣言

(ーーこの記事は 魔法のiらんど から移設したものですーー)

2005(平成17)年は、相対性理論発表100周年、アインシュタイン没後50周年、そして人類史上初の核兵器実戦使用60周年、第1回 原水爆禁止大会開催から50周年という、節目の重なる年です。

なので、ちょっとこんな記事としてみました。

アルベルト アインシュタイン博士を、よく原子力の父または核兵器の生みの親のように、そう言ったり扱ったりする人も多いのですが。

アインシュタイン博士が発見した「質量とエネルギーの等価性」の公式 E=mc2 は、あくまでも静止座標系における質量とエネルギーの関係を証明したものです。

すなわち、この公式で核兵器が発明できる訳ではなく、1933(昭和8)年に理論物理学者 レオ ジラード博士が「核の連鎖反応」を思いついたことによって、核兵器の実用化が現実の理論となります。

しかし当時のドイツの政権を握っていたナチス党は、E=mc2と言う公式によって核分裂による大量破壊兵器を思いつきます。

そこで1934(昭和9)年、シラード博士は連鎖反応に関する自分の特許を、全て軍事機密にするようイギリス政府を説得し、ドイツには伝わらないよう工作をしました。

これにより当時、世界最高水準で最先端を行っていたドイツ科学であっても、核分裂をさせても爆発的なエネルギーを生み出せなかったり、実験で核分裂そのものが発生しなかったり、安定的な化学反応を起こせずにいました。

しかしアメリカへは、ドイツが核分裂の実用化に成功したとの誤報が伝わり、都市ごと消滅させられる新兵器の脅威に震撼します。

これに対抗すべく企てられたのが、アメリカによる新兵器の開発で、複数国家が核分裂による新兵器を保有することで、使用されない抑止力を堅持させるパワーバランスの構築でした。

中でも特に力を発揮したのがジラード博士たちで、ウォール街の金融マンでルーズベルト大統領の側近スタッフ(アドバイザー)の1人だったアレキサンダー ザクス、理論物理学者のエドワード テラー博士たちの計略で、アメリカは核開発に大きく舵を切ります。

ジラード博士とテラー博士が、そしてジラード博士とザクス氏で、ルーズベルト大統領宛の手紙を作り上げ、アインシュタイン博士を説得して単名で署名させました。

手紙はザクス氏によってルーズベルト大統領へ届けられ、練りに錬り挙げられた文面とアインシュタイン博士の署名から、大統領は決断することになります。

これが有名な「アインシュタインの大統領宛の手紙」ですが、実際に核開発と言ってもこの時点では机上の空論で、実験はどのようにするのか、ウランやプルトニウムはどう手に入れるのか、どこから始めれば良いのか、まるで雲をつかむような状態から始まりました。


ただドイツが先に完成させてしまうのは世界的危機なので、開発は急がなければならないという緊迫感だけが高まり、焦りだけが先行していました。

研究と開発はロバート オッペンハイマー博士を中心に、ナチスから逃れアメリカへ移民して来たユダヤ系の化学博士・物理科学者たちによって進められ、マンハッタン計画と名づけられました。

アインシュタイン博士はE=mc2の公式を発見したことと、大統領宛の手紙に署名させられただけで、反戦そして平和主義者だった彼は、開発には携わりませんでした。

マンハッタン計画は失敗と頓挫の連続で、実験に使うウランやプルトニウムも安定供給が追いつかず、その内にヒトラー総統の自害そしてドイツが降伏という世界情勢となりました。

残すは日本一国ですが日本の敗戦も目前まで迫っており、莫大な予算を投入して未完成 = 失敗とする訳にもいかなかったアメリカは、戦後の新秩序でイニシアチブを握るため、原子爆弾の開発は成功しなければなりませんでした。

本来はドイツとの核兵器使用の未然防止 = 核抑止力が目的ながら、ドイツの開発が遅れるようなら実戦使用も計画に入っていましたが。

ドイツの降伏という結果を受けて、使用対象が喪失してしまったため、とにかく日本へ落とそうという計画へ変わります。

日本へ投下して失敗なら失敗で、成功なら成功で新世界秩序の構築に、核分裂による新兵器を組み入れさえすれば、同盟国や連合国に対してアメリカの一人勝ちを宣言できるとしています。

かくして人類史上初の核実験は1945(昭和20)年7月16日に成功し、同年8月6日に広島へ、9日には長崎へ実戦使用されました。

使用に対しては軍需工場や軍事施設ではなく、民間人を対象に使用したことは!昨年の記事で記した通りです。

爆弾の爆風や火力で瞬間的に亡くなった人よりも、その後の放射線障害で亡くなった人の方が多く、生き長らえてもそこには後遺症と差別という地獄が待ち受けていました。




アルベルト・アインシュタインのことば

トルーマン新大統領へ
「科学技術の進歩とは病的犯罪者の手の中にある斧のようなものだ」

勝利宣言をした連合国へ
「われわれは戦いに勝利したが、平和まで勝ちとったわけではない」

「たとえ国家が要求しても良心に反することはしてはいけない」


湯川秀樹博士へ
「原爆で何の罪もない人々を傷つけてしまった。こんな私を許してください」

インタビュー または 友人へ
「こうした実験が成功すれば、全人類にとって恐ろしい危険となることを十分認識していた」

「わたしは日本に対する原爆の使用を常に非難してきたが、わたしはあの運命の決断を阻止するために何もできなかった」

「自分自身を原子エネルギー解放の父とは考えていない。わたしが果たした役割は非常に間接的なものだ」

「ドイツが爆弾を開発する恐れがあったため、正当性がなかったわけではない。とは言え、それでもなお自分のルーズベルトへの手紙は、わが人生において唯一の大きな誤りだった」
「ドイツ軍が原爆の開発に成功しないことが分かっていたら、私は何もしなかっただろう」
「もし私が、あのヒロシマとナガサキのことを予見していたなら、1905年に発見した公式を破棄していただろう」





ラッセル・アインシュタイン宣言とは

世界初の核実験成功そして人類初の核攻撃──原爆投下から10年後、イギリスの哲学者バートランド ラッセル卿と、アメリカの物理学者アルベルト アインシュタイン博士が発表した声明文です。

この声明文は、核兵器の廃絶・科学技術の平和利用・世界連邦の創設などを提唱したものであり、米ソの水爆実験競争そして核開発競争という世界情勢に対して提示された宣言文です。

当時世界を代表する科学者ら11人の連名で決議した、全人類に対しての提唱でした。


1955(昭和30)年4月11日、アインシュタイン博士は自らラッセル•アインシュタイン宣言に署名します。

日本人初のノーベル賞を受賞した物理学者の湯川秀樹は渡米中に、アインシュタイン博士から面会の申し入れがありました。


その後にアインシュタイン博士の元へ馳せ参じ、ラッセル=アインシュタイン宣言へ署名した後、他の科学者10名と共に、宣言文の共同声明の場に列席。


その直後の13日、アインシュタイン博士は心臓付近の激痛で倒れ、入院治療の甲斐も無く18日に、腹部動脈瘤破裂で76年の生涯に幕を下ろしました。


宣言文はアインシュタイン博士最期の訴えとなり、総人類への遺言書、アインシュタインの遺言状などと呼ばれます。





ラッセル・アインシュタイン宣言

私たちは人類が直面する悲劇的な情勢の中で、科学者たちが会議に集まって、大量破 壊兵器の発達の結果として生じてきた危険を評価し、ここにそえられた草案の精神にお いて決議を討論すべきであると感じている。

私たちがいまこの機会に発言しているのは、あれこれの国民や大陸や信条の一員としてではなく、その存続が疑問視されている人類、人という種の一員としてである。

世界は紛争にみちみちている。

そしてすべての小さな紛争の上にかぶさっているのは、共産主義と反共産主義との巨大なたたかいである。

政治的な意識をもつ者はほとんど皆、これらの問題のいくつかに強い感情をいだいている。

しかし、もしできるならば、皆さんにそのような感情をしばらくわきに置いて、ただ、すばらしい歴史を持ち、私たちのだれ一人としてその消滅を望むはずがない生物学上の種の成員として反省してもらいたい。

私たちは、1つの集団に対し、他の集団に対するよりも強くうったえるような言葉は、 一言も使わないようにこころがけよう。

すべての人がひとしく危機にさらされており、 もしこの危機が理解されれば、皆さんがいっしょになってそれを避ける望みがある。

私たちは新たな仕方で考えるようにならなくてはならない。

私たちは、どちらの集団をより好むにせよ、その集団に軍事上の勝利をあたえるためにどんな処置がとられうるかを考えてはならない。

なぜなら、もはやそのような処置はないのだから。私たちが考えなくてはならないのは、どんな処置をとればすべての側に悲惨な結末をもたらすに違いない軍事的な争いを防止できるかという問題である。

一般大衆は、そしてまた権威ある地位にある多くに人々でさえ、まだ核爆弾による戦争によって起こる事態を自覚していない。

一般大衆はいまでも都市が抹殺される位に考えている。新爆弾が旧爆弾よりも強力だということ、原子爆弾1発で広島を抹殺できたのにたいして水素爆弾なら1発でロンドンやニューヨークやモスクワのような最大都市を抹殺できるだろうということは理解されている。

疑いもなく、水爆戦争では大都市が抹殺されてしまうだろう。

しかしこれは、私たちの直面しなければならない小さな悲惨事の1つである。

たとえロンドンやニューヨークやモスクワのすべての市民が絶滅したとしても2、3世紀の間には世界は打撃から回復するかもしれない。

しかしながら今や私たちはとくにビキニの実験以来、核爆弾は想像されていたよりもはるかに広い地域にわたって徐々に破壊力を広げることができることを知っている。

信頼できる権威ある筋から、今では広島を破壊した爆弾の2500 倍も強力な爆弾を作ることができるということがのべられている。 

もしそのような爆弾が地上近くまたは水中で爆発すれば、放射能をもった粒子が上空へ吹き上げられる。

そしてこれらの粒子は死の灰または雨の形で徐々に落下してきて、地球の表面に降下する。

日本の漁夫たちとその漁獲を汚染したのは、この灰であった。

そのような致死的な放射能をもった粒子がどれほど広く拡散するのか、だれも知らない。

しかし最も権威ある人々は一致して水素爆弾による戦争は実際に人類に終末をもたらす可能性が十分にあることを指摘している。

もし多数の水素爆弾が使用されるならば、全面的な死滅がおこる心配がある。

瞬間的に死ぬのはほんのわずかだが、多数の者はじりじりと病気の苦しみをなめ、肉体は崩壊してゆく。 

多くの警告が著名な科学者や権威者たちによって軍事戦略上から発せられている。

しかし、最悪の結果がかならずくるとは、彼らのうちのだれもいおうとしていない。

実際彼らがいっているのは、このような結果がおこる可能性があるということ、だれもそういう結果が実際おこらぬとは断言できないということである。

この問題についての専門家の見解が少しでも彼らの政治上の立場や偏見に左右されたということは今まで見たことがない。

私たちの調査で明らかになったかぎりでは、それらの見解はただ専門家のそれぞれの知識の範囲にもとづいているだけである。

一番よく知っている人が一番暗い見通しをもっていることがわかった。 

さて、ここに私たちがあなたがたに提出する問題、きびしく、おそろしく、そして避けることのできない問題がある

私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか?

人々はこの二者択一という問題を面とむかってとり上げようとしないであろう。

というのは、戦争を廃絶することはあまりにもむずかしいからである。 戦争の廃絶は国家主権に不快な制限を要求するであろう

しかしおそらく他のなにものにまして事態の理解をさまたげているのは、「人類」という言葉が漠然としており、抽象的だと感じられる点にあろう。

人々は、危険は自分自身や子どもや孫たちに対して存在し、単にぼんやり感知される人類に対してではないということを、はっきりと心に描くことがほとんどできない。

人々は個人としての自分たちめいめいと自分の愛する者たちが、苦しみながら死滅しようとする切迫した危険状態にあるということがほとんどつかめていない。

そこで人々は、近代兵器さえ禁止されるなら、おそらく戦争はつづけてもかまわないと思っている。 

この希望は幻想である。

たとえ水素爆弾を使用しないというどんな協定が平時にむすばれていたとしても、戦時にはそんな協定はもはや拘束とは考えられず、戦争がおこるやいなや双方とも水素爆弾の製造にとりかかるであろう。

なぜなら、もし一方がそれを製造して他方が製造しないとすれば、それを製造した側はかならず勝利するにちがいないからである。 

軍備の全面的削減の一部として核兵器を放棄する協定は、最終的な解決をあたえはしないけれども、一定の重要な目的には役立つであろう。 

第一に、およそ東西間の協定は、これが緊張の緩和をめざすかぎり、どんなものでも有益である。

第二に、熱核兵器の廃棄は、もし相手がこれを誠実に実行していることが双方に信じられるとすれば、現在双方を神経的な不安状態におとしいれている真珠湾式の奇襲への恐怖をへらすことになるであろう。

それゆえ私たちは、たんに第一歩としてではあるが、そのような協定を歓迎すべきである。 

私たちの大部分は感情的には中立ではない。

しかし人類として、私たちはつぎのことを銘記しなければならない。

すなわち、もし東西間の問題が誰にでも――共産主義者であろうと反共産主義者であろうと、アジア人であろうとヨーロッパ人であろうと、または、アメリカ人であろうとも、また白人であろうと黒人であろうと――可能な満足をあたえうるようななんらかの仕方で解決されなくてはならないとすれば、これらの問題は戦争によって解決されてはならない。

私たちは東側においても西側においても、このことが理解されることを望む。 

私たちのまえには、もし私たちがそれをえらぶならば、幸福と知識と知恵の絶えまない進歩がある。

私たちの争いを忘れることができぬからといって、そのかわりに、私たちは死をえらぶのであろうか? 

私たちは、人類として、人類にむかってうったえる――あなたがたの人間性を心にとどめ、そしてその他のことを忘れよ、と。

もしそれができるならば、道は新しい楽園へむかってひらけている。

もしできないならば、あなたがたの前には全面的な死の危険が横たわっている。 

-決議-

私たちは、この会議を招請し、それを通じて世界の科学者たちおよび一般大衆に、次の決議に署名するようすすめる。

「およそ将来の世界戦争においては必ず核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続をおびやかしているという事実からみて、私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然とみとめるよう勧告する。

したがってまた、私たちは彼らに、彼らのあいだのあらゆる紛争問題の解決のための平和的な手段をみいだすよう勧告する。」 


1955(昭和30)年7月9日 ロンドンにて
署名11名
〇マックス・ボルン教授(ノーベル物理学賞)
〇P・W・ブリッジマン教授(ノーベル物理学賞) 
〇アルバート・アインシュタイン教授(ノーベル物理学賞) 
〇L・インフェルト教授 
〇F・J・ジョリオ・キュリー教授(ノーベル化学賞) 
〇H・J・ムラー教授(ノーベル生理学・医学賞) 
〇ライナス・ポーリング教授(ノーベル化学賞) 
〇C・F・パウェル教授(ノーベル物理学賞) 
〇J・ロートブラット教授 (ノーベル平和賞)
〇バートランド・ラッセル卿(ノーベル文学賞) 
〇湯川秀樹教授(ノーベル物理学賞) 


一文へ
①ジョリオ・キュリー教授は、「国家間の確執を解除する手段として」の言葉を付け加えることを希望する。 
②ジョリオ・キュリー教授は、「これらの制限はすべての国家によって合意され、すべての国家の利益にかなうべきものである」と付け加えることを希望する。 
③ムラ―教授は、このこと(軍備の全面的削減)は、「すべての軍備の並行的均衡 削減」を意味するととるべきであるという留保条件をつける。

(原文和訳引用 = 飯島宗一/豊田利幸/牧二郎 編著「核廃絶は可能か(岩波新書)」より)


追記

2005(平成17)年は″ラッセル アインシュタイン宣言″50周年の節目の年でした。

2021(令和3)年には、日本パグウォッシュ会議による新和訳が発表されました。

パグウォッシュ会議は1955(昭和30)年から続く公式の団体で、日本では第1回で署名した湯川秀樹博士から続いている、由緒正しい団体です。

新和訳は──21世紀を迎えた現在においても核兵器は無くなっておらず、人類の生存を脅かすさまざまなリスクも現れている状況下、「ラッセル=アインシュタイン宣言」は新しい役割を果たすのではないか。


このような考えの下、日本パグウォッシュ会議では「ラッセル=アインシュタイン宣言」を見直し、新たな和訳を公開することといたしました──とあります。



2005/08/06(土)00:00:00
【初記事は2007年3月30日です】







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