長崎 原爆忌 2000 | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

長崎 原爆忌 2000

(ーーこの記事は ジオシティーズ″つばさワールド″ から転載したものですーー)

今日は長崎の平和式典を、NHKで見ていた。

被爆者や遺族の方など、年々高齢化している今、その式典の設備が問題視されているが、長崎では参列席全てを覆う、三角テントを張っていた。

あれは広島でもできないものだろうか…。

さて、そんな長崎の原爆記念日の今日、甲子園では長崎:富山戦が行われた。

長崎代表は「日大高長崎」、富山代表は「富山商業」。

個人的な思い入れでは、広島長崎県人会さんとの付き合いもあるし、8月9日という事もあって、長崎に勝って欲しいと思ってはいたものの、試合は長崎の一方的な展開。

終盤で富山にチャンスが訪れた時には、何とか点が取れないものかと、どうにもならない作戦を思案してしまう。

勝負には、勝者がいる限り、必ず敗者が存在する。

厳しい世界なのは判ってはいるものの、そのせつなさに、富商の球児たちを見ながら泣いてしまった。

ちなみに今日の試合で、富商と同じように1回戦敗退してしまった高校の中で、岩手代表の「専大北上」のある球児が印象に残った。

畠田和洋選手3年生。

彼は2年前に甲子園の土を踏んでいる。

しかし当時1年生の彼は、彼自身のエラーでチームを敗退させてしまった。

今年はそのリベンジでもある。

試合は結果的に負けてしまったが、何とか自分が突破口となるよう、執念のバッティングを見せる。

内角高めの球を、ムリせずレフトへ打ち返したり、外角低めに決まるフォークをライトへ流したり、そのバッティングセンスと技術は、目を引く魅力があった。

そう、まるでイチローの高校時代を見ているかのような、美しき天性と、絶対に勝つんだという執念。

3年生の彼には、来年の春も夏ももう存在しない。

がしかし、できる事ならこのまま野球を続けて欲しい。

大学野球へ行くか、社会人野球へ行くか…。

できる事なら、プロで彼の姿を見てみたい!! 

そう思うのは、ただの一視聴者の勝手なワガママなのは承知してはいるのだが…。

2000/8/9(Wed)
【アメブロの初記事は2007年3月30日です】



May the world be filled with peace and happiness.


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