広島 原爆記念日 2002 | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

広島 原爆記念日 2002

(ーーこの記事は ジオシティーズ″つばさワールド″ から転載したものですーー)

被爆57周年・原爆死没者慰霊・平和祈念式典2002が行われました。

小泉純一郎総理大臣は昨夜に広島入り。

広島プリンスホテルに宿泊後、今朝早朝に県警と公設警備に護られ、上空からはレスキューヘリの護衛を受けな がら、式典会場の広島平和記念公園へ8時前ころの到着されました。

平和記念式典の前には戦没者供養塔にて6時15分から供養式典が執り行われ、藤田広島県知事や坂口厚生労働大臣、広島市会議員や衆参各議員と柏村武昭議員などが参列していました。

が、広島随一のフリーアナウンサーでありタレントだった柏村議員ですが、今は公約反故や自民党入党で反感を買っているにもかかわらず、一番ナレナレしくてエラそうだったのはナゼだろう???

小泉首相と秋葉広島市長は代理人を出席させていましたが、秋葉市長は社会党派出身のために戦没者供養式典には参加できないから仕方ないカモ知れま せんが、小泉首相は…。

安全のためには仕方ないのかな?代りに坂口厚労相の参列なのか。。。

戦没者供養式典が終わると、既に小泉首相到着ポイントには警官隊が厳重警備を固めていました。

そこへぼくも一人陣取り、小泉首相の到着を待っていました。

やがて黒塗りの車が白バイ隊に先導されて到着、去年に引き続き今年もお目にかかれました。

これは役得?

平和式典は8時に開始、この1年で新たに亡くなられたり死亡が確認された4,977人の死没者名簿を秋葉市長と遺族代表が奉納。

8時15分には遺族代表と中野東小の児童代表が平和の鐘を打ち、約45,000人の参列者が黙祷を捧げ、続いて小泉首相・倉田寛之参議院議員・坂口厚労相らが献花。

その後、秋葉市長が「憎しみと暴力・報復の連鎖を断ち切り、世界は和解の道を忘れてはならない。アメリカ政府は世界の運命を決定する権利を与えら れている訳ではない」と核超大国にクギを刺した内容を含む平和宣言を「57年前の記憶が世界的に薄れつつある。和解の心はかこの過ちを繰り返さず 未来を創ることにある。平和と人道の世紀を創造する努力を誓う」と謳い上げました。

それに続き小泉首相は「人類史上唯一の被爆国であるわが国は、惨禍を再び繰り返してはいけないという決意の下、平和憲法を遵守して非核三原則を堅 持し、この立場は今後とも変わるコトはない。核兵器の無い平和で安全な世界実現を目指し、今後とも国際社会の先頭に立って核軍縮・核不拡散をおしすすめ、核兵器の廃絶に全力で取り組む」と宣言されました。

続いて藤田県知事が「現在、臨界前核実験実施・包括的核実験禁止条約の未発行・弾道弾迎撃ミサイル制限条約の失効など、20世紀に世界が積み上げて来た核軍縮の枠組みが後退しており、南西アジア地域の軍事的緊張によって核兵器開発競争の再来も懸念されている。全世界の人々が等しく平和に暮らす権利を有するコトを確認し、手を携えて飢餓や貧困・災害・環境破壊・人権侵害・地域紛争など、あらゆる脅威の克服に努力することを誓う」と宣言されました。

更に続いて国連アナン事務総長代理の国連大学ラメシュタクール副学長が「国連ミレ二アムサミットでは世界の指導者が、核兵器を始めとする大量破壊兵器棄却への努力を決議したが、昨年9月11日に起きたNYテロ攻撃は、特に大量破壊兵器に関する世界的な軍縮の取り組みに、新たな意味合いと緊急性を齎した。世界中の人々が広島・長崎の惨劇体験を繰り返さないためにも、多大な努力をしなければならない」というアナン事務総長の訴えを代読しました。

この4者が顔を揃えての「人類のとしての記憶を呼び覚ますために広島・長崎を訪問するようアメリカ大統領ブッシュに求める」という公式発言に、アメリカ政府は一体何を思っているだろう。

これらの公式発言は記者会見ではなく、式典屋外ステージ上で公衆の面前で発言されたもので、広島から世界に向けて発信されます。

もちろん、各国の報道関係者も特設されたセンターへ詰めています。

式典終了後、小泉首相は1日にオープンした国立追悼祈念館を見学され、1998年の厚相時代に「屋上屋を重ねる」と発言した経緯があり注目されていましたが、「内容が重複しないように建設され、被爆体験記や映像などの貴重な資料が詰まっています。

時代が経てば経つほど重要さが理解されると思う」と感想を述べられました。

しかし天風録では「秋葉市長ではない。小泉首相でもなかった。式典で一番大きく拍手が起こったのは、こども代表の平和への誓いだった」と切って捨てていました。

平和の誓いは、己斐小と段原小の児童2人が市長・知事・首相に混じって読み上げ、毎年各小学校の生徒が一番平和の願いを的を得て訴えています。

さて、平和式典も無事に終わり、小泉総理も早々に広島を離れました。

今朝の出勤は5時半。終業は22時。

毎年々々、疲れるんだけど、今回が通算10回目の8.6勤務。

8月2日から詰めていた勤務も今日で最後。

また来年です。が…。

10年という節目の今回、来年はもう引退させてもらおうかと考えていたりする。

00・01・02年と3年連続で警備本部隊長職も務めさせて頂いたし、安芸源氏そして広島県人として冥利に尽きたって感慨深く感じています。

00年には隊員や観光客など、バタバタと次々倒れられ往生したよなぁ。

01年では父が体調を崩してしまって、後日検査をしたら中期のガンだったコトが発覚した。

今年は… 今までの夏の中で一番暑かった(湿度も異常に高かった)けど、観光客に至っては2度も救急車の手配があったものの、隊員は誰も体調を崩さずに無事に終了するコトができた。

一種の有終の美が飾れたんじゃないかな?

トラブルや混乱も起こらなかったし。

そうそう、今年は京都の板金手芸社から、金銀銅の折鶴が届けられて、原爆の子の像に奉納されて話題を呼んだな。

一体何羽あるんだろう?って、数えてみたら、ちゃんと1000羽ありました。スゴイ。

1羽が約1000円だそうで、総額にすると1000×1000=1,000,000円。

これが塔に吊るされてたから、これの警護も大変だったよなぁ(笑)

と言うことでそうのこうので、今年も無事に終わるコトができました。

2002/8/6(Tue)AgMo=26.7
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