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ギフテッドから見た社会の諸問題。


IQが高いことは善のように語られますが、実際の社会では忌み嫌われる存在 です。


私が小学生の時代、知能が高いと言うことは、勉強がよくできると言う意味にしか捉えられていませんでした。


知能の差は認識力の差であり考察力の差であるのですが、それは人格の形成に多大な影響を及ぼすものの、性格の形成には全く関与しないものでもあります。


しかしIQが通常の人間にはそれが理解できず、話していること自体が意味を理解できないので、結局、この子どもは″性格がひねくれている″や″屁理屈を言う″と言って虐げることになります。


IQの高い人が入れるMENSAですが、この入会試験を受けることは、実は誰でも可能です。


しかし合格できるのは、おおよそスコアが130以上の人だと言われていますが、テスト内容は難しいものではありません。


高校受験や大学入試のテストの方が、よっぽど難しい設定で、受験者の能力よりは暗号解読力で篩いにかけるシステムのため、そうなるのも仕方がないところです。




裏を返せば、勉強を頑張った分だけ努力が報われると言う訳で、まさに積土成山の極みでありますが、現実社会では努力が報われるかどうかは運次第なところが大きいのも事実です。


MENSAの入会試験は受験者の純粋な能力 = 性能だけなので、反対に運で左右されることはありません。


但し同じ文章で書かれた質問がその人の知能によって、質問内容の意味が変わったり、質問されていることは分かっても何を質問されているのか理解できなかったり、質問であることそのものが認識できなかったり••••••••。


もう文字の羅列にしか見えない人は、境界知能に近い能力なので、上の説明はあくまで″通常″と括られる能力の人のものです。


で、何の話しだったかと言うと、ギフテッドの子どもは″通常″の人たちとコミュニケーションを取ることは、多大な労力を要すると言うこと。


私の場合、小4で親がついて来られなくなり、小5で教師がついて来られなくなりました。


これは学業で「ついて来られなく」なったのではなく、普段の会話••••••••雑談程度が、同級生や両親・学校の先生と成立しなくなると言う現象です。


 今ほど高IQがどのようなものか日本では研究されておらず、インターネットも無かった時代なので、ギフテッドの子どもは性格が悪い役立たず・無能者として忌み嫌われた時代です。




学期末に行われる親と担任の二者面談では、教師が母に「バカにされているように感じる」と相談し、帰宅後に「先生を見下すとはどういうことだ」と、いきなり怒られ叩かれる小学校高学年時代でした。


子どもは子どもなりに、好かれていないことは肌で感じていて、いい子になろうと努力すればするほど、親と担任から嫌われると言う悪循環を生んでいました。


私のスコアは世界上位2%と言われていますが、広島市の人口は100万人以上なので、パーセントで言われると稀少性が高く感じますが、実際には2万人以上いるということになります。


ただこの数字は老若男女一括であって、男女別・年齢別に分けて人口密度を勘案すると、知人・友人として出会える確率はほぼ無いのも現実です。


ただ、もう少し裾野を広げて150や130のスコアの人を含めると約10万人となるので、稀にですが話していて楽な人として出会うことがあります。


しかしそれだけの人数が実はいると言うことは、私みたいにカミングアウトする人間は稀少で、殆どの人は辛い人生体験から触れないでいる人が多くいると言うことで。


中には心を病んでしまっている人や閉ざしてしまっている人も多く、私が小~中学生だった頃には、小学生の自殺者が急増したとのニュースで、社会が震撼した時代でもありました。


今の子どもの自殺者は隠れたイジメによるものが多数ですが、この当時はとにかく「人生に疲れた」とメンタル過労によるものが多かったのも特長でした。




IQが高いことによるイジメなど、恐らく今と当時と重複する原因も、ある一定数はあるのでしょうが、ギフテッドには味方がいない = 親と担任が敵と言うケースが多いのも問題です。


インターネットが普及し情報が溢れていても、テレビで高IQタレントがもてはやされても、今も昔もギフテッドは辛く当たられる存在なのは変わりません。


岸田総理が就任した頃、ギフテッドの命を守りたいとの発言をして、何らかの対策をしようとはしたのですが、文部科学省や教育委員会そして有識者会議に呼ばれる面々が、結局は1番何も理解できていなくて。


これまで述べた通りなのですが、理解しようにも能力が追いつかない••••••••自分たち日本のトップ頭脳を超えた天才児たちの扱いをどうするべきかなど、想像すらできないのですから、計画は空中分解してしまったことも仕方がないのでしょう。


そもそも論点がズレているのですが、これも説明しても伝わらないと思われます。


私もね、若い頃、昔は信じていたんですよ、 人間 話せば分かり合えると。


でも60年生きてきて1つ言えることは、聞く側に聞く意思があっても、聞く能力が無ければ伝わらない。


噛み砕いて丁寧に優しく説明しても、聞く人に能力が足りなければ、ますます混乱して何を言われているのか訳分からなくなる、そんなことはしばしば。




アメリカ合衆国ではギフテッドに対する様々な制度が世界最先端となっていますが、それでも救われる人はごく一部の人だけなのも現実。


日本では永久に「人権における平等」が訪れることが、無いのだろうなぁと憂うばかりなんですけど。


ことばが伝わらないなら、伝わる人にだけ私の体験を残しておこうかな?とも、最近思い始めました。


実は還暦迎えたらやりたいことと言う思いがあって、人生振り返って思い出話しをメインにしたテーマとかいいかな?と、漠然としたものだったのですが。


明確に、ビジョンと化してきたのが、未だに迫害されるギフテッドの人へ、少しでも心の救いとなればなぁとの企画です。


こうなると難しいのが、差別をする 積もりが無くても、そう捉えられ兼ねない表現もケースによっては避けられないと言うこと。


なので、ジオシティーズの日記帳システムをアメブロへ引越させたアドレスがあるので、趣味を目的とした″安芸もみじ″とは、一線を画して展開しようかな?とも考えています。


まぉ人権そして人命と言った大切なお話しでもあったので、長々と認書めてきましたが、アメブロに「#今の日本について語ろう」と「#日本を見ていて憂うこと」が、投稿ネタとしてあるのも利用してみました。


まぁまだどうなるかは分かりませんし、いつから始めるかも決めていないのですが、取り急ぎ?そういう思いがあることを表明した次第です。



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今日は百人一首の日。


百人一首は小学生の頃に、学校の授業で出てきた時には、非現実的な存在だったのですけれど。


ある日、親戚の家で百人一首を発見して、1度だけ触れたことがあります。


句を覚えないといけないので、カルタみたいに遊ぶことは叶わなかったんですけどね。


私にとっての百人一首は、名探偵コナンの″から紅の恋歌″でしょうか(笑)



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