新幹線 LXX 0系 / 京都鉄道博物館にて
京都鉄道博物館に収蔵展示されている、0系新幹線です。
今回はちょっと趣向が変わって、運転席をメインに写真をUPします。
0系は1964(昭和39)年から1986(昭和61)年までの23年間にわたり、車両メーカー6社で合計3,216両が製造されました。
東海道新幹線開業にあたり製造された1次・2次車は合計で360両、30編成で当時の新幹線電車製作メーカー5社が6編成づつ製作を担当しています。
基本デザインが変わらないので、長い年月ずっと走り続けていたイメージがありますが、実際はマイナーチェンジを繰り返しながら23年間を駆け抜けています。
当初は耐用年数を20年と想定していましたが、連日の長距離高速運転による高負荷は車体と足回りそして各機器の劣化が、想定より早く進行したため初期製造車は12年目の法定検査切れの車両から廃車が始まりました。
0系の運転席は151系による高運転台の実績をベースに設計され、220km/hを安全運転するためのシステムと計器が、当時の日本の技術の結晶として詰め込まれています。
東海道 山陽新幹線において、0系・100系・300系は在来線特急列車と同様に、非常時の2人常務を想定した運転席の設計となっています。
しかし世界最速のタイトルホルダー 500系からは、戦闘機と同様にセンターへシートが配置され、1人常務が通常という設計に変更されました。
現在のN700Sと比べると機器のデザインには時代を感じさせられますが、昔も今も変わらないのは乗務員ドアの狭さでしょうか。
痩せている人でも乗降が難しいほどの狭さは、車掌さんの場合は特に労働環境の改善が必要に思えるものの、それが60年経っても改善される気配は微塵もありません。
在来線の車両に比べて、あれだけ大きいのに乗務員の労働居住性は劣悪であることは••••••••意味が分かりませんよ。
しかし0系は狭いだけでドアを締めてしまえばそこまで苦痛が無いように見えますが、N700AやN700Sは安全確認のために頭を出す窓は、なぜあんなに小さいのかは、空気抵抗やガラス破損を考慮しても、もう少し大きくできそうに感じます。
0系から始まった新幹線ですが、JR東海・JR西日本においては先述のN700Sが、JR東日本では今月のダイヤ改正でデビューするE8系が、最新機種となっています。
しかし0系は新幹線のパイオニアであることは間違いありませんが、鉄道車両としてはやはり旧型電車の集大成 80系電車へと遡ります。
電車による長大編成の成功が151系電車へと発展し、その技術の昇華が0系となりました。
しかしそう言ってしまうと新幹線と言うシステムの凄さは、語れていないことになってしまいます。
新幹線のすごいところは車両だけでなく線路・信号なども含めた「高速鉄道システム」を、1つのパッケージとして開発された点にあります。
車両は車両として、設備は設備として個別に開発したのではなく、全ての分野を総合的に開発した「トータルシステム」であることが、一番重要なポイントです。
明治時代から進化を続けた鉄道技術に、0戦などで培われた空力理論、陸軍で研究されていた遠隔信号システムが、戦争放棄をした日本で結実したものが、新幹線と言うシステムでした。
\変わっている所は、どこ?👀/
— 京都鉄道博物館 (@KyotoUmetetsu) 2024年2月13日
みんなでアハ体験❗やってみよう🙌
画像がどんどん変化しているんだけど、
どこが変わっているか、わかるかな~❓
変化しているのは1箇所じゃないかも✨
よーく見て、探してみてほしいっピ!❤
わかったよー!って人はリポスト🔁で教えてね😉#脳トレ #クイズ pic.twitter.com/1RZAztynli
さて、京都鉄道博物館のプロムナードを、本館から見た景観に103系電車・DD54形機関車・0系新幹線が並んでいます。
そんな風景を利用して、京都鉄道博物館の公式Xでは、アハ体験の動画をUPしてありました。
ちょっと画像が小さいので判り辛いのですが、体験されてみてはいかがかな?とリンクを貼ってみました。
これまで結びつきのなかった脳内の神経細胞間で、情報伝達が行われて脳が活性化するアハ体験を、是非!