RedWing-227系 / 向洋駅線路切替について | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

RedWing-227系 / 向洋駅線路切替について


写真出しの順序がテレコとなっている、広島の227系0番台です。

まぁ雪の写真だけは、リアルタイムで出しておかないと、単に冬と写真ならともかく夏にはちょっと出し辛いものです。

まずは間もなく役目を終える現 向洋駅での写真から。



ところで岡山エリアにデビューする227系は500番台と区分されるみたいで、その愛称はUraraと決まったようです。

「うらら」と言えば山本リンダさんの狙い撃ちをイメージしてしまうのですが、頭の中ではロボコンが出てきたりします(笑)

がんばれ!ロボコンには1期生から3期生までたくさんのロボットが出てきましたが、やっぱり忘れられないのは、ロボパー(笑)



何かショッキングなことがあるとバラバラになってしまう「あっショックのパー」は、子ども心にセンセーショナルでした。

そしてもう1人、子ども心にウルトラセブンのアンヌ隊員以来となる、恋心を抱いて見ていたロビンちゃん。

彼女は実はロボット(アンドロイド)ではなく、バレリーナ星からやって来た異星人でした。



ロビンちゃんを演じていたのは、当時11歳だった島田歌穂(しまだかほ)さんで、ロボコンは1974(昭和49)年10月4日から1977(昭和52)年3月25日まで放送されたので、バレリーナ星へ帰える時には14歳。

山陽新幹線が博多まで全通したのが1975(昭和50)年3月のダイヤ改正で、特急安芸が廃止となったのが1978(昭和53)年10月ダイヤ改正でした••••••••関係ないけど。

その後もドラマや舞台で活躍されつつ音楽活動も精力的に活躍され、1988(昭和63)年と1989(平成1)年にはNHK紅白歌合戦に2年連続で出場されています。



そう、国鉄分割民営化そしてJRグループ誕生の頃で、青函トンネル開通や瀬戸大橋開通で一本列島と言われていた時代です。

2006(平成18)年にサウンド・オブ・ミュージックの マリア役、2017(平成29)年は美女と野獣のブリュメット役、2019(令和1)年にメリー・ポピンズ リターンズのトプシー役の吹き替えや、東京ディズニーシーの スペシャルイベントのテーマ曲「Thanks to You Welcome to Christmas We Go On」を歌われています。

現在は大阪芸術大学 芸術学部・ 舞台芸術学科にて教授を勤められています。



岡山の227系 Urara からロボコンの話しに脱線してしまいましたが、主人公のロボコンではなく島田歌穂さんの話しがメインとなってしまったものの。

私と同世代の諸氏! ロビンちゃんのその後が気になるでしょ?と、ちょっと調べて脱線ついでに語ってしまいました。

さて、向洋駅でのRedWing-227系ですが、あと2ヶ月でこの風景も見納めになります。




この写真を撮影したのは昨年のお盆 8月14日で、写っている風景とはかなり変わっており、工事はかなり進捗しています。

仮設ホームは上り線用のみが完成していて、山陽本線と貨物線の上り線が今回の切り替え対象のようです。

仮線へ切り替え後は向洋駅開業以来、79年間に渡って使われできた、現 上りホームの解体工事が始まります。



そうすると、あの複々線を跨ぐ風靡な跨線橋も、いよいよその役目を終えます。

1894(明治27)年6月10日、神戸から延伸して来た山陽本線は、糸崎~広島間が開業し、1903(明治36)年12月1日に海田市~広島間の複線化が完成。

1920(大正9)年8月1日、海田市~広島間の現在地に新設駅として向洋駅は開業しますが、1944(昭和19)年2月1日に海田市~広島間が複々線化され、その工事中に上りホームが現在地へ移設されました。



4月16日20時頃から上下列車の運転を取り止めて、仮設線路への切り替え工事が行われますが、そうすると向洋駅上りホームは2回目の移転となります。

何らトラブルなどが発生せず、予定通りに切り替え工事が完了すると、翌17日の始発から三代目となる仮設ホームに列車は停車することになっています。

20時頃以降は西側は全て広島駅で運転打ち切りで、東側は山陽本線も呉線も海田市駅で折り返し運転となり、終電時刻までは海田市~広島間で代行バスが運行されます。



と、話しは向洋駅について続いていましたが、JR西日本の公式案内「山陽本線 広島駅~海田市駅間 一部列車の運転取り止めについて」の画像で、向洋駅の写真は終わっていたりします。

西広島駅へ入線するRedWing-227系の写真1枚を挟んで、後半は糸崎駅での写真です。

糸崎駅では、115系をメインに撮っているのですが、RedWing-227系でもかつてD51やD52、C62やC59がひっきりなしに往来していた糸崎機関区の面影を偲べる風に撮ってみました。



まるで通信の電波塔のような避雷針や、かつての賑わいが強者どもが夢の跡的な、広大な構内を感じられるように撮りました。

115系の写真をUPする時には、もう少し風情を込めて撮影しているので、今日よりは伝説の糸崎機関区を感じられると思います。

糸崎駅での写真を記事にする度に貼ってしまうリンクカードですが、今回も参考資料として過去の記事にリンクを貼っておきます。


今日の記事で向洋駅の略歴を記しましたが、これはこの糸崎機関区物語の微補足にもなります。

山陽本線が糸崎まで延伸したのが1892(明治25)年7月20日で、広島までの延伸開業が1894(明治27)年6月10日となります 。

当時は山陽本線は山陽鉄道株式会社という民間企業でしたが、鉄道が広島までしか開業していなかったことから、日清戦争では広島へ明治天皇が御在坐され、臨時首都が広島城へ置かれました。


記事の始めの方では227系 Urara について触れているものの、それ以降は一切話題にしていませんが、鉄道新聞の記事と、新製配置回送のTwitterにリンクを貼ってみました。

本格的な運用が始まれば、糸崎駅・三原駅で227系 RedWing とも顔を揃えるはずで、それは今から楽しみです。

ただどうして″うらら″のスペルが Urara なんだろう、文字からくるイメージ的には Ulala の方が好きなんですけどね。



と言うことで、ラストにオマケと言っては失礼ですが、Twitterへリンクを2つ貼ってみました。

通勤型SLって面白い発想で、思わず微笑んでしまいましたが、コメント欄にも気の利いた返しがチラホラあって楽しいです。

そして偶然見つけたロボパーのショックのパー••••••••しかもダブル ショックのパー バージョンです。



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