平和宣言 2022 / ヒロシマ・ナガサキ | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

平和宣言 2022 / ヒロシマ・ナガサキ


2022(令和4)年の広島平和記念式典は、安倍晋三元首相が暗殺された7月の銃撃事件以降、国内はともより外国の要人が多数集まる、初めての国内での大規模行事となりました。

事件を受けて以降、主催者の広島市は警備態勢を徹底的に見直し、参列者に対して金属探知機による入場検査を実施するなどの厳戒態勢下での式典となりました。

式典会場一帯の警備に当たる市職員を、2021年の約700人から大幅に増員しつつ、広島県警とも協力を密にして2015年から参列者に対して始めた手荷物検査に加え、今回はハンディータイプの金属探知機が使われました。

ちなみに、当初は参列者席を新型コロナウイルス対策で規模を縮小した2020・2021両年の約4倍となる約3,550席用意したそうですが、COVID-19感染拡大の「第7波」を受けて、約700人が参列を取りやめたようです。

今年も気温は高く騒ぎ立てる蝉の声も汗を促す午前中でしたが、空は薄っすらと雲がかかり陽射しも緩やかで、時おり吹くそよ風が心地好い式典でした。

しかし朝から猛暑であることには変わらず、式典終了後に公園内を散策しておりましたが、売店へ避難してストロベリーのソフトクリームそしてペットボトルのお茶とで、しばらく避暑しながら77年前の夏に思いを馳せます。

平和公園内内の様子は一昨日の8月6日当日に更新した記事で写真をUPしておりますので、併せてご覧頂ければ幸いです。

被爆直後の広島

-広島平和宣言2022-

母は私の憧れで、優しく大切に育ててくれました。そう語る、当日16歳の女性は、母の心尽くしのお弁当を持って家を出たあの日の朝が、最後の別れになるとは、思いもしませんでした。

77年前の夏、何の前触れもなく、人類に向けて初めての核兵器が投下され、炸裂したのがあの日の朝です。

広島駅付近にいた女性は、凄まじい光と共にドーンという爆風に背中から吹き飛ばされ意識を失いました。

意識が戻り、まだ火がくすぶる市内を母を捜してさまよい歩く中で目にしたのは、真っ黒に焦げたおびただしい数の遺体。

その中には立ったままで牛の首にしがみついて炭化した遺体や、潮の満ち引きでぷかぷか移動しながら浮いている遺体もあり、あの日の朝に日常が一変した光景を地獄絵図だったと振り返ります。

ロシアによるウクライナ侵攻では、国民の生命と財産を守る為政者が国民を戦争の道具として使い、他国の罪の無い市民の命や日常を奪っています。

そして、世界中で、核兵器による抑止力なくして平和は維持できないという考えが勢いを増しています。

これらは、これまでの戦争体験から、核兵器のない平和な世界の実現を目指すこととした、人類の決意に背くことではないでしょうか。

武力によらずに平和を維持する理想を追求することを放棄し、現状やむなしとすることは、人類の存続を危うくすることにほかなりません。

過ちをこれ以上繰り返してはなりません。

とりわけ、為政者に核のボタンを預けるということは、1945年8月6日の地獄絵図の再現を 許すことであり、人類を核の脅威にさらし続けるものです。

一刻も早く全ての 核のボタンを無用のものにしなくてはなりません。

また、他者を威嚇し、その存在をも否定するという行動をしてまで自分中心の考えを貫くことが許されてよいのでしょうか。

私たちは、今改めて、「戦争と平和」で知られるロシアの文豪 トルストイが残した「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ」ということばを噛みしめるべきです。

今年初めに、核兵器保有の5ヶ国は「核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない」「核兵器不拡散条約(NTP)の義務を果たしていく」という声明を発表しました。

それにもかかわらず、それを着実に履行しようとしないばかりか、核兵器を使う可能性を示唆した国があります。

なぜなのでしょうか。

今、核兵器保有国がとるべき行動は、核兵器のない世界を夢物語にすることなく、その実現に向け、国家間に信頼の橋を架け、一歩を踏み出すことであるはずです。

核保有国の為政者は、こうした行動を決意するためにも、是非とも被爆地を訪れ、核兵器を使用した際の結末を直視すべきです。

そして、国民の生命と財産を守るためには、核兵器を無くすこと以外に根本的な解決策は見いだせないことを確信して頂きたい。

とりわけ、来年、ここ広島で開催されるG7サミットに出席する為政者には、このことを強く期待します。

広島は、被爆者の平和への願いを原点に、また、核兵器廃絶に生涯を捧げられた坪井直氏の「ネバーギブアップ」の精神を受け継ぎ、核兵器廃絶の道のりがどんなに険しいとしても、その実現を目指し続けます。

世界で8,200の平和都市のネットワークへと発展した平和首長会議は、今年、第10回総会を広島で開催します。

総会では、市民一人一人が「幸せに暮らすためには、戦争や武力紛争がなく、また、生命を危機にさらす社会的な差別がないことが大切である」という想いを共有する市民社会の実現を目指します。

その上で、平和を願う加盟都市との連携を強化し、あらゆる暴力を否定する「平和文化」を振興します。

平和首長会議は、為政者が核抑止力に依存することなく、対話を通じた外交政策を目指すことを後押しします。

今年6月に開催された核兵器禁止条約の第1回締約国会議では、ロシアの侵攻がある中、核兵器の脅威を断固として拒否する宣言が行われました。

また、核兵器に依存している国がオブザーバー参加する中で、核兵器禁止条約がNTPに貢献し、補完するものであることも強調されました。

日本政府には、こうしたことを踏まえ、まずはNTP再検討会議での橋渡し役を果たすとともに、次回締約国会議に是非とも参加し、一刻も早く締約国となり、核兵器廃絶に向けた動きを後押しすることを強く求めます。

また、平均年齢が84歳を超え、人身に影響を及ぼす放射線により、生活面で様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩に寄り添い、被爆者支援を充実することを強く求めます。

本日、被爆77周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地 長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。

2022(令和4)年8月6日
広島市長 松井一実



-岸田首相挨拶-

本日、広島は被爆から77年となる朝を迎えました。

真夏の太陽が照りつける暑い朝、一発の原子爆弾が、広島の街を一瞬にして破壊しつくし、10数万とも言われる人々の命を、未来を、そして人生を奪いました。

川では数多の人が倒れ、街中には水を求めてさまよう人々の姿。そうした惨状の中で、何とか一命をとりとめた方々も長く健康被害に苦しまれてきました。

内閣総理大臣として、ここに犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠をささげますとともに、今なお後遺症に苦しむ方々に対し心からお見舞いを申し上げます。

77年前のあの日の惨禍を決して繰り返してはならない。これは、唯一の戦争被爆国であるわが国の責務であり、被爆地広島出身の総理大臣としての私の誓いです。

核兵器による威嚇が行われ、核兵器の使用すらも現実の問題として顕在化し、核兵器のない世界への機運が後退していると言われている今こそ、広島の地から私は核兵器使用の惨禍を繰り返してはならないと声を大にして世界の人々に訴えます。

我が国はいかに細く険しく、難しかろうとも、核兵器のない世界への道のりを歩んでまいります。このため、非核三原則を堅持しつつ、「厳しい安全保障環境」という「現実」を、「核兵器のない世界」という「理想」に結びつける努力を行ってまいります。

そうした努力の基礎となるのは、核兵器不拡散条約(NPT)です。その運用検討会議がまさに今、ニューヨークで行われています。

私は先日、日本の総理大臣として初めてこの会議に参加をし、50年余りにわたり世界の平和と安全を支えてきたNPTを国際社会が結束して維持強化していくべきである旨訴えてまいりました。

来年はこの広島の地でG7サミットを開催します。核兵器使用の惨禍を人類が二度と起こさないとの誓いを世界に示し、G7首脳とともに平和のモニュメントの前で平和と国際秩序、そして自由民主主義、人権、法の支配といった普遍的な価値観を守るために結束していくことを確認したいと考えています。

核兵器のない世界の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍を語り伝え、記憶を継承する取り組みです。

我が国は、被爆者の方々をはじめ、核兵器のない世界を願う多くの方々とともに被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。

被爆者の方々には、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受けとめ、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも総合的な援護政策を推進してまいります。

結びに、永遠の平和が祈られ続けているここ広島市において、核兵器のない世界と、恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを改めてお誓い申し上げます。

原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに参列者広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして私の挨拶といたします。

2022(令和4)年8月6日
内閣総理大臣 岸田文雄


8月6日の憲法9条改正反対のデモで、拡声器にて「岸田首相は帰れぇぇぇ~っ!」て言うセリフもあって、いやいやいや「岸田総理は地元に帰って来てるんですけど」と、嘲笑が起こった一コマもあった平和公園。

さて平和宣言の中にある核兵器禁止条約ですが、アメリカの核の傘の下にいる日本はその傘から外れなければ、核兵器を違法とする条約には批准できません。

核の傘から外れるには憲法9条の改正は最低限必要な条件ですが、改正反対の方々の考えはいかがなのかと思いつつ、広島出身の岸田総理のビジョンも知りたいところです。



-追記-


-長崎 平和宣言-

核兵器廃絶を目指す原水爆禁止世界大会が初めて長崎で開かれたのは1956年。このまちに15万人もの死傷者を出した原子爆弾の投下から11年後のことです。

被爆者の渡辺千恵子さんが会場に入ると、カメラマンたちが一斉にフラッシュを焚きました。学徒動員先の工場で16歳の時に被爆し、崩れ落ちた鉄骨の下敷きになって以来、下半身不随の渡辺さんがお母さんに抱きかかえられて入ってきたからです。

すると、会場から「写真に撮るのはやめろ!」「見世物じゃないぞ!」という声が発せられ、その場は騒然となりました。

その後、演壇に上がった渡辺さんは、澄んだ声でこう言いました。「世界の皆さん、どうぞ私を写してください。そして、二度と私をつくらないでください」

核保有国のリーダーの皆さん。この言葉に込められた魂の叫びが聴こえますか。「どんなことがあっても、核兵器を使ってはならない!」と全身全霊で訴える叫びが。

今年1月、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の核保有5カ国首脳は「核戦争に勝者はいない。決して戦ってはならない」という共同声明を世界に発信しました。しかし、その翌月にはロシアがウクライナに侵攻。核兵器による威嚇を行い、世界に戦慄を走らせました。

この出来事は、核兵器の使用が“杞憂”ではなく“今ここにある危機”であることを世界に示しました。

世界に核兵器がある限り、人間の誤った判断や、機械の誤作動、テロ行為などによって核兵器が使われてしまうリスクに、私たち人類は常に直面しているという現実を突き付けたのです。

核兵器によって国を守ろうという考え方の下で、核兵器に依存する国が増え、世界はますます危険になっています。

持っていても使われることはないだろうというのは、幻想であり期待に過ぎません。「存在する限りは使われる」。核兵器をなくすことが、地球と人類の未来を守るための唯一の現実的な道だということを、今こそ私たちは認識しなければなりません。

今年、核兵器をなくすための二つの重要な会議が続きます。

6月にウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議では、条約に反対の立場のオブザーバー国も含めた率直で冷静な議論が行われ、核兵器のない世界実現への強い意志を示すウィーン宣言と具体的な行動計画が採択されました。また、核兵器禁止条約と核不拡散条約(NPT)は互いに補完するものと明確に再確認されました。

そして今、ニューヨークの国連本部では、NPT再検討会議が開かれています。この50年余り、NPTは、核兵器を持つ国が増えることを防ぎ、核軍縮を進める条約として、大きな期待と役割を担ってきました。

しかし条約や会議で決めたことが実行されず、NPT体制そのものへの信頼が大きく揺らいでいます。

核保有国はこの条約によって特別な責任を負っています。ウクライナを巡る対立を乗り越えて、NPTの中で約束してきたことを再確認し、核軍縮の具体的プロセスを示すことを求めます。

日本政府と国会議員に訴えます。「戦争をしない」と決意した憲法を持つ国として、国際社会の中で、平時からの平和外交を展開するリーダーシップを発揮してください。

非核三原則を持つ国として、「核共有」など核への依存を強める方向ではなく、「北東アジア非核兵器地帯」構想のように核に頼らない方向へ進む議論をこそ、先導してください。

そして唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に署名、批准し、核兵器のない世界を実現する推進力となることを求めます。

世界の皆さん。戦争の現実がテレビやソーシャルメディアを通じて、毎日、目に耳に入ってきます。戦火の下で、多くの人の日常が、いのちが奪われています。

広島で、長崎で原子爆弾が使われたのも、戦争があったからでした。戦争はいつも私たち市民社会に暮らす人間を苦しめます。だからこそ、私たち自らが「戦争はダメだ」と声を上げることが大事です。

私たちの市民社会は、戦争の温床にも、平和の礎にもなり得ます。不信感を広め、恐怖心をあおり、暴力で解決しようとする“戦争の文化”ではなく、信頼を広め、他者を尊重し、話し合いで解決しようとする“平和の文化”を、市民社会の中にたゆむことなく根づかせていきましょう。

高校生平和大使たちの合言葉「微力だけど無力じゃない」を、平和を求める私たち一人ひとりの合言葉にしていきましょう。

長崎は、若い世代とも力を合わせて、“平和の文化”を育む活動に挑戦していきます。

被爆者の平均年齢は84歳を超えました。日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と被爆体験者の救済を急ぐよう求めます。

原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します。

長崎は広島、沖縄、そして放射能の被害を受けた福島とつながり、平和を築く力になろうとする世界の人々との連帯を広げながら、「長崎を最後の被爆地に」の思いのもと、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

2022年(令和4年)8月9日
長崎市長 田上富久