今日は竹島の日 と 新幹線 Lll 700系ー⑯ | 安芸もみじ ─ Photographs, Historys, Railways,-JAPAN┃広島

今日は竹島の日 と 新幹線 Lll 700系ー⑯

被爆2世が語る平和記念日と世界史シリーズ
Shinkansen.the 700 series,N700A


 TODAY'S
 

Shinkansen Vol.52, The 700 series No.16


今日は記事の抱き合わせとなります。

まずは久しぶりの新幹線です。

今回UPしたのはN700Aですが、広島の115系が引退したら、次は500系をまた撮り始めないと。

来年、2020年は区切りとされていた年ですし。

Shinkansen.the 700 series,N700A

Shinkansen.the 700 series,N700A

さて、写真は全て新山口駅での撮影です。

待ち時間に撮っただけなので、枚数は少ないんですけど。

しかも天気悪いし。

Shinkansen.the 700 series,N700A

Shinkansen.the 700 series,N700A

700系もOriginalは完全引退間近となりましたが、その後のN700Sとの釣り合いは、どのような運用になるのか気になるところです。

500系の代わりに直接投入なのか、九州新幹線の編成と入れ換えるのかなどなど。

500系の2編成を1本にして、東北新幹線を走らせてみたい・・・・廃車前提だから、チューンアップして当所の予定通り350km/hでさ。

Shinkansen.the 700 series,N700A

夏期限定の臨時列車で、北海道まで・・・・でも似合う列車名がないねぇ。

ま、夢物語ですよ。

たまにはそんな、絵空事も言わないと、今の旅路とか鉄道趣味界ってロマンが少ないですからね。

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2月22日は竹島の日


2月22日は竹島の日

  明治政府の大迷走


2月22日は竹島の日。

2月は建国記念の日・北方領土の日・竹島の日と、意義の深い記念日が続きます。

北方領土に関しての事実認識は、日本とロシアで一致していますが、国防上の問題や単に解釈が異なるために、国境線の確定の合意できないのに対して。

竹島は、韓国側に占領地であるとの自覚がありながら、固有の領土だと主張し、小学校からそのように教育しているところに、問題の根の深さがあります。

実はこの竹島という名称の島は、日韓国境線付近へ、歴史的に2つ存在します。

これが韓国のツッコミ所となってしまい、竹島は韓国固有の領土だと主張する理由の1つにつながります。

Liancourt,독도,竹島

1つは北緯37度30分・東経130度49分に位置する竹島で、現在の名称は鬱陵(ウルルン)島です。

もう1つは北緯37度14分・東経131度52分に位置する竹島で、旧称を松島と言います。

日本の固有の領土であり、現在韓国が占領して不法占拠を行っているのが、この旧称・松島です。

この日韓国境線問題(竹島領有問題)は、江戸時代にも存在していましたが、鎖国政策を摂っていた日本では"違反は死刑"だったため、重大な懸念事項となっていました。

そして1696(元禄9)年に日本幕府と朝鮮王朝との間で、国境線の確定をする協定が結ばれ、竹島(鬱陵島)は朝鮮領・松島(竹島)は日本領となりました。

鳥取・米子の商人は幕府へ漁業の申請をし、許可状を受けて松島(竹島)でアワビやアシカの漁を行い、干したアワビやアシカの油を幕府に献上していました。

Liancourt,독도,竹島

明治時代になると国民の生活水準が向上し、油脂の消費が増加の一途で、アシカ漁が一層盛んになる一方、乱獲も懸念され始めました。

ところが、幕府は松島(竹島)と竹島(鬱陵島)の区別をちゃんとしていたのに対して、明治新政府はこの2島の詳細を認識できていなかったようです。

1883(明治16)年の閣議決定では「日本称松島(一名竹島)、朝鮮称欝陵島は以前より両国政府間で話合っているので、むやみに日本人を渡航させない様に」と通達を出します。

ここで問題なのは この通達では、松島・竹島・鬱陵島の3つの名称を、1つの島として扱っています。

島根・鳥取両県の漁師や海事従事者は、国に対して「何を訳分からない事を言っているのか」との抗議をしつつ、操業を続けていました。

しかし日清戦争、日露戦争と日本海全域での軍事行動を経験する内に、日本政府も軍部からの報告で「どうも違うぞ」と気付くこととなります。

1904(明治37)年に島根県隠岐諸島の中井養三郎(なかいようざぶろう)氏が日本政府に「領土編入並ニ貸下願」を提出したことを受けて。

1905(明治38)年2月22日付けで明治政府は、元々日本領だった松島を、あらためて竹島として領有を宣言しました。

Liancourt,독도,竹島

この時点で、元々松島(竹島)は日本と朝鮮の間で領有権が既に確立していた領土だったので、諸外国からは日本の国内問題であり、国際法による実効支配に基いて処理していたため、異議の申し立てはどこからもありませんでした。 

しかしこの宣言が、戦後になって韓国から揚げ足を取られて、松島(竹島)の不法占拠の正当性創作に使われました。

松島(竹島)が日本領となったのは徳川幕府初期に、鎖国を実施した時代でしたが、明治政府が領有権の宣言を再び行ったのが、1905(明治38)年2月22日。

そしてこの時に松島を竹島に改名したことで、戦後の混乱期に韓国によって実効支配されてしまうことになります。

明治時代のこの当時、日本政府は90km離れた位置に島が2つあることは認識したものの、松島・竹島・鬱陵島の名称が混乱しており、島根県へ編入する際に誤解して竹島と命名したものと推測されます。

ここで一旦整理しますが、韓国が現在"独島"と呼んでいる島は"松島"であり、本来"竹島"と日本で呼ばれていたのは、韓国領の"鬱陵島"のことでした。

しかし日本政府は島根県へ編入する際、松島に竹島という名称を与えてしまったことから、戦後、韓国は堂々と竹島 = 独島は韓国固有の領土だと、主張することになった訳です。

そんな未来のことを知る由もなく、1910(明治43)年8月29日、「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて、日本は大韓帝国となっていた朝鮮を併合することになってしまいます。

大韓帝国併合(日韓併合)については、 2006年7月11日の記事 で少し触れているので、ご参考ください。

Liancourt,독도,竹島


  終戦後の大韓民国


日本による朝鮮半島の統治は元々、国際法上は侵略ではなく合法であったため、ポツダム宣言による無条件降伏後も、治安の維持と共産思想の拡大阻止を理由に。


連合国の委託の下に管理は厳格には続き、1945年(昭和20)9月9日に朝鮮総督府が降伏文書に調印するまで継続されました。


その後、1948(昭和23)年8月15日に大韓民国(韓国)が、同年9月9日に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が、それぞれ建国されます。

すると韓国の初代大統領・李承晩は、1951(昭和26)年9月のサンフランシスコ講和条約会議に出席することを連合国へ要求しました。

朝鮮人は約35年間、日本に統治されたという苦悩があるゆえ、韓国を戦勝国のリストに加えて欲しいと主張をしたのですが、その折りにアメリカの国務長官に対して「竹島と対馬を韓国領にして欲しい」という申し入れも行っています。

しかしアメリカは、日本による朝鮮併合は国際法に鑑みて合法であるとし、また竹島と対馬は日本幕府と朝鮮王朝との国際文書などの資料や、江戸時代の地図を元に『対馬も竹島(松島)も日本固有の領土である』と、韓国の嘆願を却下しました。

その前年となる1950(昭和25)年6月25日、中国とソ連の支援を受けた北朝鮮が、事実上の国境と化していた38°線を超えて、韓国を突然侵攻しています。

朝鮮戦争の勃発です。

韓国はアメリカとイギリスによって支援されましたが、直接戦闘には参加していないものの台湾や日本も韓国を後方支援しています。

朝鮮戦争は1953(昭和28)年7月27日に休戦協定が結ばれ、現在に至っています。

この当時、竹島(松島)は連合国によって警備されていましたが、休戦によって警備が手薄となったその隙に、韓国が軍を派遣して侵略し占領してしまいました。


Liancourt,독도,竹島



  韓国による武力侵攻


韓国軍による実効支配は1954(昭和29)年からですが、それ以前にサンフランシスコ条約が発効する1952(昭和27)年4月を睨んだ作戦に出ます。

1952年(昭和27)年1月18日、韓国大統領・李承晩が勝手に国境線を策定した"李承晩ライン"を宣言し、韓国側水域に竹島(松島)を含ませました。

日本政府は同月28日に「公海上の線引きに抗議するとともに、竹島に領土権を主張しているかのように見えるがそのような僭称または要求を認めない」と抗議します。

Liancourt,독도,竹島


Liancourt,독도,竹島


また、アメリカ政府も李承晩ラインは韓国が一方的に宣言したものであり、国際法上不当なものと宣告しました。

7月26日には、サンフランシスコ条約発効と同時に"日米安保条約"を発効させた日米両政府は、竹島(松島)近海をアメリカ軍の訓練地として日本が提供する協定を締結。

ところが島根・鳥取両県の漁業関係者から、爆撃演習に反対する抗議が上がり、この区域での演習は中止されました。

このアメリカ軍の対応に対して韓国政府は、アメリカ政府が竹島(松島)を韓国領土として認めて配慮したものと宣伝します。

そして1953(昭和28)年1月12日、韓国は日本漁船の徹底拿捕を強行し、2月4日には船長が韓国軍から銃撃を受け死亡するという第一大邦丸事件が発生。

4月20日には独島義勇守備隊が竹島(松島)へ上陸して駐屯するようになります。

6月に島根県は隠岐島漁協に漁業権の免許を与え、島根県と海上保安庁が共同で竹島(松島)を調査し、韓国人6名を退去させた上で、「日本島根県隠岐郡五箇村」という日本国領土標識を建立します。

しかし7月には、再び竹島(松島)へ上陸した韓国守備隊から、海上保安庁の巡視船が90mの距離から機関銃弾200発を撃ち込まれる事件が発生。

10月15日、韓国山嶽グループの代表たちが海軍の海防艇で竹島に渡り、日本が建てた「島根縣隠地郡五箇所村竹島」の領土標識を投棄した上で、「독도(独島)」と書かれた石碑を設置。

石碑の裏面には「한국산악회(韓国山嶽会)」「KOREA」「ALPINE ASSOCIATION」「15th AUG 1952」等と刻まれています。

その後も韓国による日本人襲撃は続き、1965(昭和40)年に日韓基本条約と漁業協定が締結されるまで、拿捕された日本の漁船は328隻。

拉致された船員は3929人、死傷者は44人にのぼり、損害額は当時の金額で90億円を超えたとされています。

韓国が竹島(松島)を占有したい理由のもう1つは漁場としての利益で、近海漁業の独占が目的であったとされる一方で。

北朝鮮に海から侵攻される危険があり、日本海を監視するためだったと言われています。

Liancourt,독도,竹島


  反日のシンボル化


しかし現在では、反日・愛国のシンボルに仕立て上げられ、マスコミを先頭に“独島ファシズム”といった世論が支配しているのは、誰もが認識している通りです。

尚、1962(昭和37)年10月の大平正芳外相との会談で金鍾泌中央情報部長は、国際司法裁判所への付託を拒否しましたが、アメリカ務省外交文書集によれば、金情報部長は日本側に竹島問題の解決策として"竹島破壊"を提案していました。

領海の国境線は変わらないものはの、島が無くなれば領土問題は解決できるから、いっそのこと爆発してしまおうとの提言でした。

しかし韓国政府は、「日本の領土を占領して自分たちの領土としていることに価値がある」と、しばらくしてこの提案は取り下げられます。

ちなみに、竹島(松島)が韓国の固有の領土でないことは、李氏朝鮮にとって宗主国として君臣関係にあった清国の書類からも判ります。

1882年に作成した朝鮮の歴史や地理などをまとめた「東藩(とうはん)紀要」には竹島(松島)だけでなく松島(鬱陵島)をも、李氏朝鮮の領土と認識していなかったことが伺えます。

この東藩紀要という書物は、李氏朝鮮の内乱後に、清国が支配を強化するために、李氏朝鮮の地理、歴史、制度などの資料を集めて編纂したものです。

このように、各国の資料から竹島(松島)は日本の固有の領土であることは、韓国政府も分かっているにもかかわらず。

反日のシンボルとして占領し続け、韓国固有の領土だと訴え続けるしか、民族のアイデンティティーが保てないのが現状です。

しかし、韓国併合を違法行為であり、日本による侵略だと非難しながら、自分たちは日本の領土を侵略し民間人を殺傷し、不法占拠を続けている自己中心で自分勝手な行ないを、日本人として許容する訳にはいきません。

【日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する】

私は改憲反対派ではありませんが、この条文は素晴らしいものだと思います。

日本は武力によって韓国により民間人が殺されましたが、私達からは武力ではなく非暴力によって、領土の奪還ができるよう政府や省庁に粘り強く努力して頂きたいと思います。


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