D51-200"SLやまぐち号"運転再開 | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

D51-200"SLやまぐち号"運転再開


JR西日本の運行情報によると【西日本豪雨の影響でけん引する機関車を回送することができず運転を取り止めていた"SLやまぐち号"ですが、9月29日(土)より山口線で運転を再開いたします。

運転再開日の9月29日(土)には、豪雨災害の1日も早い災害復旧、観光復興に向けてのメッセージを込めて『がんばろう!西日本』ヘッドマークを取り付けて運転します。

また、運転再開日は新山口駅や津和野駅にて運転再開を記念したイベントを予定しております】とあるので、予定通り新山口駅まで行ってみることにしました。


しかしなかなかな強い雨なので、再確認すると【台風24号の接近に伴い、本日9/29(土)の夕方以降、列車に大幅な遅れや運転見合わせが発生する可能性があります。

なお、9/30(日)の"SLやまぐち号"及ぴ"〇〇のはなし"は、運転をとりやめます。

今後の運転計画については、明日の午後以降
にお知らせいたします。

今後の台風情報、運行情報にご注意ください】と、昨日と同じ文面で今朝も更新されていました。


なるほど、明日は運休するのね。

今日は運転するのね。

直前になって、突然『やっぱりやめるよ』って、絶対に言わないのよね。

これだけの雨なので、駅撮りオンリーになってしまうけど、とりあえず行ってみましょうと、只今は新山口駅です。


とにかく、家を出る時には大雨で、仕方ないので広電の電車で西広島駅へ向い。

山陽本線→新幹線と乗り継いで、新山口駅へ着いた時にはまだまだ強い雨が降っていました。

D51-200号機が転線のために1度ホームへ現れた時には、やや小降りになったので。

全て駅撮りの予定を変えて、踏切までは行ってみることにしました。


以前もD51-200号機の"やまぐち号"の発車のタイミングで、雨が降らなかったことがあって、この機体が持つ"運"を信じて。

発車して行った後に大雨となりましたが、今回は傘を持ってるし。

湿度が高いし、気温は低めなので、見事なホワイトアウトになりました。

まぁ、駅でも撮ってるし、これはこれで良いカモ。


と、言うことで、京都鉄道博物館に居るD51-1号機に話しは飛びます。

ボイラー上の煙突から砂箱にかけて、一体化デザインとなっていますが、この中には給水過熱器も入っています。

なので、D51の特徴的な顔立ちを作っている、煙突とヘッドライトの間に、給水加熱器がありません。

このデザインは初期形で、1~85号機と91~100号機の95両が戦前に造られました。


その内22・23号機は運転席キャビンまで繋がった全流形(スーパーナメクジ)をしていました。

86~90号機は初期形ながら、当初からフロント横置きの給水加熱器を搭載していました。

そしてこの1号機は1936(昭和11)年3月22日、川崎車両兵庫工場にて、製造№1643として落成しました。

当初は稲沢機関庫(稲沢機関区)へ新製配置され、それから大垣区→金沢区→上諏訪区などを経て青森区へ。


青森時代には、盛岡鉄道管理局内・東北本線完全無煙化記念と東北本線全通80周年記念として、1971(昭和46)年9月26日にD51-810号機 + D51-866号機と3重連で盛岡~八戸間を、貨物列車の牽引をして。

同日、八戸~青森間にてD51-810号機と重連で記念旅客列車"ぽっぽ号"の牽引をしました。

4日後の30日には奥羽本線北部無煙化記念"SLさよなら列車"を青森~弘前間と秋田~青森間にて牽引。

11月23~24日には国鉄製作映画"蒸気機関車ーその100年"の撮影のため梅小路機関区へ転属となり、1972(昭和47)年8月26日にはD51-1号機動態保存記念号として出雲市~浜田間をC56-108号機 + C57-101号機と3重連で運転され。


出雲市→米子間ではその編成にD51-620を、米子→出雲市間ではD51-674号機を足した4重連で運転されました。

動態保存後は1972(昭和47)年11月5日に京都~奈良間で団臨"でみず号"を牽引、12日には"SLの旅・伊賀忍者号"として京都~奈良線・関西本線・草津線・東海道本線~京都を運転されました。

その後も奈良線・関西本線・東海道本線にて1973(昭和48)年まで団臨を牽引して営業運転を行われていましたが、鉄道ファンによる人身死亡事故が起きたことにより、その後の動態保存機関車(D51-1号機以外も総て)による営業運転は一切行わないこととなり、11月23日を以て最終運行となりました。

1979(昭和54)年の山口線で蒸気機関車による客車列車の復活運転が決定された際、D51-1号機が当初の予定でしたが、特異な煙突形状から集煙装置が取付られなかったため、C57-1号機とC58-1号機が8月1日より"SLやまぐち号"の牽引機となり・・・・。


1986(昭和61)年5月30日付けで廃車となりました。

現在は梅小路運転区の備品となっていて、京都鉄道博物館にて静態保存されています。

もし、山口線での牽引機がD51-1号機だったなら、今頃やまぐち号の重連はD51-1号機 + D51-200号機になっていたかも知れませんね。

上とその上の写真ですが、9600、D50、D51、D52と並ぶと、国鉄貨物機の統一された進化が見て取れるようです。


9月10日の回送を、みなさん撮られています。

数ある中から"あっきぃ⭐ミ"さまの『大竹駅発車』をリンクさせて頂きました。

さて、話を急に変えてしまいましたが、西日本豪雨後のD51-200号機復活つながりで、D51-1号機との"やまぐち号"にまつわるエピソードとして、略歴を紹介したんですけど。

新山口駅での急拵えな記事なので、何か強引な文章でしたね。

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今日の写真は、また明後日にUPします。

何せ、新山口駅のコンコースに座ってのブログの更新してるので。

プライバシーを1番守れる場所?

イラストの通り、心の中かなぁ。

招き猫は、どっかに小さいのがあるんだけど。

玄関には熊手の飾りに付いている招き猫さんがいますよ。

ー追伸ー

国鉄・JRを通して146年、その歴史において唯一SLが4重連で走ったのが、本文で紹介した"D51-1号機動態保存記念号"です。

写真の無い車番だけの記事なのに、ちょっと反響が大きかったので、私自身驚いてます。

前日には公式&非公式の各ハッシュタグで1~3位に入ったり、EF81ー136さまの"Nと車の趣味ブログ"の記事『山陰本線四重連の充当機』にて、リブログして頂いたり。



なので、YouTubeから当時の映像を2つリンクしてみました。

どちらも"DAkirara"さまの作品です。

1つ目のムービーはサイレント作品ですが、出雲市→米子へ向けて走る列車で、D511+C57101+C56108+D51620です。



2つ目のムービーはサイレントにBGMを挿入した作品です。

上り列車と下り列車を収録されていますが、D511+C57101+C56108+D51674の映像はわずかで、3重連がメインの編集です。

ただ1ヶ所勘違いされているようで、下り列車の4両目の蒸気機関車は620号機ではなく、674号機です。

史上最初で最後の伝説の勇姿をご覧下さい。

あぁ、アメブロのハッシュタグランキングは、数学的・集計精度には信用度0%ですけど、やっぱりベスト5に入ると、少しだけ嬉しいものですね。

ー10月4日・追記ー

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