DD51 と DE10 / 広島車両所や新山口にて | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

DD51 と DE10 / 広島車両所や新山口にて



2013年のJR貨物フェスティバル・広島車両所公開の記事はUPしていないため、これまでに他の写真と混ぜて少しずつ公開してきましたが。

DE10とDD51の写真はずっと見送っていたので、今回新山口での写真とまとめてUPしてみようかな?と。

冒頭の2枚は、手前からDD51-759号機・DD51-1188号機・DE10-1048号機・DE10-1588号機の4機です。



DD51-759号機は1972(昭和47)年生まれで、熊本区→東新潟区→吹田区と転属し、旋回窓とワイパーとを備えたレア機でした。

DD51-1188号機は1977(昭和52)年生まれで、福知山区→米子所→後藤所→吹田区と転属し、山陰本線時代には"特急出雲"の牽引機でした。

DE10-1048号機は1970(昭和45)年生まれで、広島区→吹田区→広島所と転属し、芸備線で旧客や50系を牽引していたのを覚えています。

DE10-1588号機は1973(昭和48)年生まれで、直方区→香椎区→門司区と転属し、佐世保線時代には"特急さくら"や"特急あかつき"の牽引機でした。




DE10の後ろにはEF67-1号機が、続いてEF66-1号機・EF59-21号機が、この年には列べられていました。

DD51からナナメに撮ると、EF67-1号機・EF500-901号機と見えました。

フィナーレは、恒例のヘッドマーク花飾り・・・・機関車の菊人形みたいに見えます。




オレンジに黄色いラインの機関車はDE10-1049号機で、1970(昭和45)年生まれの広島機関区新製配置→岡山区→吹田区→岡山区と転属しましたが、晩年は車籍は岡山区ながらも米子操車場駅で働いていました。

2018年現在、この5機のディーゼル機関車の内4機は廃車・解体されていて、現存するのはDD51-759号機のみでしたが。

今月に入って5日頃から解体が始まったようです。



このエンジンはDE10のもので、全検で降ろされて整備中だったものです。

型式はDML61ZBで、61,070ccのV型12気筒ディーゼルエンジンです。

350PS / 1550rpmで19,500kgfの最大牽引状態にて85km/hで走ることができます。

ちなみにDD51はこのエンジンへ夕一ボチャージャーとインタークーラーを装備して、1100ps/1500rpmにパワーアップさせたエンジンを2基搭載し、貨物列車なら95km/h・客車列車なら100km/hで走ります。




この3枚は既に"SLやまぐち号"で公開済みですが、テーマ再編で蒸気機関車を独立させたので、ここに再掲載しました。

C56-160号機を従えたDD51-1043号機と、D51-200号機を従えたDE10-1531号機です。

廃車後、現在は下関に留置中の12系レトロ客車も、この日が最後の本線上にいる姿でした。




この3枚は山口支所(小郡区)で開催されたSLフェアで展示されたDD51-1043号機です。

1973(昭和48)年生まれで、亀山区→宮原区→下関所と転属して山口支所に常駐しています。

山間いの扇形線でキハ40系と並んでいる姿は、国鉄時代へタイムスリップできたような風景です。


この機体はDE10-1514号機です。

1970(昭和45)年生まれで、盛岡区→小郡区→厚狭区→下関所と転属しましたが、盛岡からやって来てからは、事実上ずっと山口支所(小郡区)へ常駐しています。

ちなみにDE10-1531号機は1971(昭和46)年生まれで敦賀区→富山所⇔金沢所→下関所と、長い間北陸を中心に働いていました。


最後の写真はDD51-1043号機ですが、12系レトロ客車引退前に新幹線の車内から撮ったものです。

画面の上の方に小さく、まだスハフ12の青い車体が写っています。

そう言えば思い出しましたが、12系客車は一時ですが、50系に混じって芸備線の普通列車にも使われていました。

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確かに3月11日は"パンダ発見の日"ですけど。

そういう平和的な話題は、とても重要だと思いますけど。

私的には、こちらで行きたいです。


8.6の時は、宮城県・福島県にお住まいの方々で、8時15分に黙祷して頂いている方が多くおられると聞きました。

また、被災地から広島へ移住して来られたご家族も、多数おられます。

私も3.11で、テレビの前でですが14時46分に、手を合わせて黙祷させて頂きました。

今日はサイフとサンドイッチの話題はナシで。


復興には、とても長い長い時間がかかります。

原爆ドーム周辺での放射能が自然界標準値まで下がったのは、1982(昭和57)年でした。

核攻撃を受けたのが1945(昭和20)年なので、実に37年要したことになります。

当然、原子力の危険性や人体への影響は、化学的に全く不明な時代であり、戦後の混乱期でもあり、除染などは一切無かった状態でではありました。


被災された方々の、1日も早い心の傷の癒しと、亡くなられた方々の御冥福を、心からお祈り致します。

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