D52ー1 | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

D52ー1


JR 貨物フェスティバル 2016 広島車両所公開の時に撮りました。

準鉄道記念物に指定されている文化財保存機 D52-1号機です。

第二次世界大戦中、日本国内の物流は、貨物船の軍への供出や、アメリカ軍による機雷封鎖などの事情により、慢性的に不足していました。


自然と一本の貨物列車の輸送量が増えるのですが、輸送量がふえれば重量も増え、機関車の性能を越えてしまいます。

重連で運転したり、運転本数を増やすと、機関車が足りなくなります。

D52は、そうした中で1200tの貨物列車を牽引でき、東海道・山陽本線、函館・室蘭本線で運用するため、ボイラ一を可能な限り巨大化し、日本のSLの中で最大パワーを誇り誕生しました。


話しは一旦逸れますけど、これはEF61-4号機で、D52のナナメ前に置いてあります。

左奥にD52が見えますが、右奥には以前EF58-113号機が置いてありました。

今は撤去されて、ご覧の通り空地です。


ここに展示されていたEF58は、休車になってからずっと広島に放置されており、廃車解体の折りに、先端部分のみここへ保存されたのですけど。

残念ながら傷みが激しくなり、撤去せざるを得なくなりました。

現在はジェイアール貨物・北陸ロジスティクスへ搬入され、36号機・42号機と一緒に修繕工事が施されています。

EF58-113 D52-1

この写真は2010年のJR 貨物フェスティバルの時のものですが、こんな風に見てえいました。

交差法なので、右目で左側の写真を、左目で右側の写真を、より目にして見て頂くと、立体画像になります。

では、懐かしみはこの辺にして、本題に戻ります。



1945(昭和20)年に戦争が終り国内体制の復旧を整えるため、鉄道の主要幹線が電化され始めると、D52は失業して余剰車が発生しますが、支線に残る古典機や旧型機を代替させるにも、D52はその巨大さから使用できる路線が限定されます。

広島には"東の碓井峠・西の瀬野八"と呼ばれる鉄道の難所が瀬野~八本松間に存在し、明治・大正時代に製造された古典機が運用されていました。

碓井峠は長野行新幹線の開業でその歴史を閉じましたが、瀬野八は今も日本に残る唯一のシェルパが活躍する線区です。



余剰となったD52の一部は、瀬野八の峠を攻めるための"ヒルクライム"に特化した運用を始めます。

とは言え、たった1機で峠に挑む訳ではありません。

その列車を牽引して来た本務機の、急勾配を登坂するのを手助けする補機・・・・言うなれば、巨大なブースターです。



戦後の復興が進むにつれ、国内物流の量が増え続け、C59からも補機仕業をこなすものも現れました。

山陽本線の電化までD52のヒルクライムは続き、その後輩が古豪電機のEF59やEF67で、更に最新型のEF210-300が今日も活躍しています。

では、ここまではD52という機関車の概要を説明しましたが、ここからは1号機の経歴を記したいと思います。



瀬野八のシェルパとして活躍したD52ですが、実はこの1号機はヒルクライム仕業を経験していません。

1943(昭和18)年12月19日、鉄道省浜松工機部にて、品番№89として落成し、浜松機関区へ12月28日付けで新製配置されました。

1944(昭和19)年9月6日付けで稲沢機関区へ転属し、そのまま終戦を迎えました。

D52-1

D52-1

1952年(昭和27)年6月に、浜松工場で製造された戦時設計の改装工事が施されて、テンダー(炭水車)をD52-414号機のストーカ一(自動給炭器)装着車と交換されました。

1953(昭和28)年2月7~14日の1週間、米原機関区へレンタル移籍がありますが、1954(昭和29)年4月まで稲沢機関区で勤務します。

そして4月15日付けで吹田機関区へ転属します。

D52-1

D52-1

1956(昭和31)年、東海道本線全線電化を目前に吹田機関区が分割され、D52-1号機は吹田第1機関区の所属となります。

しかし11月の完成を待たず10月21日付けで小郡機関区へ転属となります。

1958(昭和33)年1月に、国鉄広島工場(現JR貨物広島車両所)にてボイラーを新缶に交換され、リニューアル工場完了後に小郡機関区へ返却されます。

D52-1

D52-1

1965(昭和40)年9月4日、第一種休車指定となります。

そのまま約1年間、保留車として保管され、1966(昭和41)年7月11日付けで廃車となりました。

廃車事由は余剰で、生涯の走行距離は181万5,350kmでした。

D52-1

d52-1,運転席

1号機と言うことで小郡機関区にて保管状態が続き、1966(昭和41)10月4日に準鉄道記念物に指定されました。

10日後の14日、広島工場(JR貨物広島 車両所)で保存のため、小郡機関区より回送。

1967(昭和42)年10月14日に、保存整備を完了して、現在地に静態保存となりました。

d52-1,運転席

d52-1,運転席

国鉄分割民営化により、1987(昭和)4月1日0時をもってJR貨物に引き継がれ、現在もIR貨物広島車両所にて保存展示されています。

2015年まではナンバープレートがグリーンでしたが、テンダーを除いたプレートはレッドに戻されました。

と、ここまで車歴を記しましたが、山陽本線にて重量級貨物の先頭に立って働きましたが、瀬野機関区へ所属したことはありません。

D52-1

最後に余談ですが、ヒルクライム機にならなかったD52の内、45両が高速用の駆動装置に交換され、戦後復興のシンボル"特急つばめ"や"特急はと"などを牽引したC62となりました。

SF(アニメ)では、宇宙超特急(999)も牽引していましたね。

貨物機として重い物を引くためのパワーは、高速で走るためのパワーへとシフトされ、日本最大・最速の旅客機として"永遠の名機"となりました。

it is the festival of the Japan freight railroad.
There are 20 pieces of photographs today.
Today's photograph is D52 stored cultura]
assets.
it is the steam locomotive of the strong
person most in Japan.

これまでの機関車file
蒸気機関車Subd
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一日スマホどのぐらい触ってる?
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う~ん・・・・。

分からん(笑)

合計すると平均4~5時間じゃないかねぇ。

▼本日限定!ブログスタンプ
家できしめん食べる事、ある?
あなたもスタンプをGETしよう
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あるけど。

名古屋まで食べに行った回数の方が多いな。

ラーメン版のきしめんなら・・・・きしめんとは呼ばないけど。

広島と言うか、呉の名物だよね。

呉の冷麺やお好み焼きは、平麺(かなり巾広)なんですよ。

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