袋町小学校・広島市中区袋町 | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

袋町小学校・広島市中区袋町



今日も暑い8月下旬です。

中区の大手町まで用事があり、電車で行くか自転車で行くか。

で、カスタマイズ終了後、通勤にしか使っておらず、ちゃんとしたテストランをしていないので。

用事を済ませたら、広島機関区神社まで、片道約10kmのテストランをすることにしました。



大手町では、自転車をどこに止めるか考えて。

袋町小学校地下駐輪場に止めることにしました。

袋町小学校は、広島が人類史上初の核攻撃を受けた際、爆心地から約450mで、当時甚大な被害を受けました。

上の写真は、袋町小学校平和資料館です。



こちらは、被爆直後の袋町小学校。

この入口と建物の一部を利用して、資料館として一般公開されています。

爆心地ということもあり、救護所として使用されましたが、男たちの大和など被爆直後を映像化する際には、セットモデルにもなります。



あの有名な、救護所に保護された被災者が消息や伝言を記した黒板も、当時のままこちらにあります。

また、歴史が好きな方には有名なジュノー博士が滞在したのも、こちらの救護所でした。

マルセル・ジュノーはスイスの医師で、ジュネーブ大学で麻酔科学を専攻した人です。

赤十字国際委員会の派遣員を第二次エチオピア戦争・スペイン内戦・第二次世界大戦の期間に渡って務めました。



第二次世界大戦後、赤十字国際委員会副委員長も務めた方です。

1944(昭和19)年に赤十字国際委員会駐日主席代表に任命されましたが、日本政府からの入国許可を得られずジュネーブに留まらざるを得ないでいましたが。

1945(昭和20)年6月にジュネーブを出発し、カイロ~テヘラン~シペリアを経て満州国に到着。

連合国の捕虜訪問活動を行いながら、8月9日にやっと東京へ着任。

連合国捕虜の収容状況の確認作業を開始するも、その最中に広島の惨状の報告を受けて、GHQより 15トンの医薬品(包帯、乾燥血漿など)の提供を受けることに成功し、広島へ輸送。

これは1万人の被災者を1ヶ月治療できる量
だったそうです。



ジュノー博士当人の広島入りが叶ったのは、来日一ヶ月後の9月9日。

広島を視察して原爆の惨状を目の当たりにして、その後の赤十字員として彼の進路を決定づけました。

石垣は広島城のもので、地下街工事の折りに地中から出土したものです。

ジュノー博士の記念碑は平和公園内にもありますが、袋町小学校にも広島城元石垣に記念レリーフが取り付けられています。



こちらは、被爆した旧元安橋の欄干です。

県外の方が広島へお越しの際には、観光コースに是非、袋町小学校も加えてみて頂きたく思います。



May the world be filled with peace and happiness.
(世界が平和と幸福で満たされますように)



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