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2010年は過去最高の参列国となり、特にアメリカ合衆国の大使、国連事務総長が代読ではなく直接メッセージを話されるなど、これまでにない希望の平和祈念式典となりました。
が、ちょっとその前に•••••••。
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きょう源真琴と潘国連事務総長は、予定するはずだったみたい。
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安芸もみじのブログペットは、更新するとことばを覚えて、自分で記事を更新していきます。
こうして見ていると、AIの時代は案外早く訪れるのかも知れません。
人間はいつまで愚かでいるつもりなのでしょうね。
さて、本題に戻りますが、今年の広島平和宣言は、ブログペットが書いた記事に追記で記していきます。
2010年の平和宣言に併載するのは、ローマ教皇 ヨハネ パウロ2世が来日した1981(昭和56)年の平和宣言、そしてローマ教皇が広島平和記念公園で語った「平和アピール」を記します。
-広島平和宣言 2010-
「ああやれんのう、こがあな辛い目に、なんで遭わにゃあいけんのかいのう」
―――65年前のこの日、ようやくにして生き永らえた被爆者、そして非業の最期を迎えられた多くの御霊と共に、改めて「こがあないびせえこたあ、ほかの誰にもあっちゃあいけん」と決意を新たにする8月6日を迎えました。
ヒロシマは、被爆者と市民の力で、また国の内外からの支援により美しい都市として復興し、今や「世界のモデル都市」を、そしてオリンピックの招致を目指しています。
地獄の苦悩を乗り越え、平和を愛する諸国民に期待しつつ被爆者が発してきたメッセージは、平和憲法の礎であり、世界の行く手を照らしています。
今年5月に開かれた核不拡散条約再検討会議の成果がその証拠です。
全会一致で採択された最終文書には、核兵器廃絶を求める全ての締約国の意向を尊重すること、市民社会の声に耳を傾けること、大多数の締約国が期限を区切った核兵器廃絶の取組に賛成していること、核兵器禁止条約を含め新たな法的枠組みの必要なこと等が盛り込まれ、これまでの広島市・長崎市そして、加盟都市が4000を超えた平和市長会議、さらに「ヒロシマ・ナガサキ議定書」に賛同した国内3分の2にも上る自治体の主張こそ、未来を拓くために必要であることが確認されました。
核兵器のない未来を願う市民社会の声、良心の叫びが国連に届いたのは、今回、国連事務総長としてこの式典に初めて参列して下さっている潘基文閣下のリーダーシップの成せる業ですし、オバマ大統領率いる米国連邦政府や1200もの都市が加盟する全米市長会議も、大きな影響を与えました。
また、この式典には、70か国以上の政府代表、さらに国際機関の代表、NGOや市民代表が、被爆者やその家族・遺族そして広島市民の気持ちを汲み、参列されています。
核保有国としては、これまでロシア、中国等が参列されましたが、今回初めてアメリカ合衆国大使やイギリス・フランスの代表が参列されています。
このように、核兵器廃絶の緊急性は世界に浸透し始めており、大多数の世界市民の声が国際社会を動かす最大の力になりつつあります。
こうした絶好の機会を捉え、核兵器のない世界を実現するために必要なのは、被爆者の本願をそのまま世界に伝え、被爆者の魂と世界との距離を縮めることです。
核兵器廃絶の緊急性に気付かず、人類滅亡が回避されたのは私たちが賢かったからではなく、運が良かっただけだという事実に目を瞑っている人もまだ多いからです。
今こそ、日本国政府の出番です。
「核兵器廃絶に向けて先頭に立」つために、まずは、非核三原則の法制化と「核の傘」からの離脱、そして「黒い雨降雨地域」の拡大、並びに高齢化した世界全ての被爆者に肌理細かく優しい援護策を実現すべきです。
また、内閣総理大臣が、被爆者の願いを真摯に受け止め自ら行動してこそ、「核兵器ゼロ」の世界を創り出し、「ゼロの発見」に匹敵する人類の新たな一頁を2020年に開くことが可能になります。
核保有国の首脳に核兵器廃絶の緊急性を訴え核兵器禁止条約締結の音頭を取る、全ての国に核兵器等軍事関連予算の削減を求める等、選択肢は無限です。
私たち市民や都市も行動します。
志を同じくする国々、NGO、国連等と協力し、先月末に開催した「2020核廃絶広島会議」で採択した「ヒロシマアピール」に沿って、2020年までの核兵器廃絶のため更に大きなうねりを創ります。
最後に、被爆65周年の本日、原爆犠牲者の御霊)に心から哀悼の誠を捧げつつ、世界で最も我慢強き人々、すなわち被爆者に、これ以上の忍耐を強いてはならないこと、そして、全ての被爆者が「生きていて良かった」と心から喜べる、核兵器のない世界を一日も早く実現することこそ、私たち人類に課せられ、死力を尽して遂行しなくてはならない責務であることをここに宣言します。
2010(平成22)年8月6日
広島市長 秋葉 忠利
-広島平和宣言 1981-
「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」
これは原爆の犠牲者に捧げる人類の誓いの言葉である。
この誓いのもとに、われわれは核兵器の廃絶と戦争の否定を訴え続けて来た。
しかし、米・ソを頂点とする果てしのない核軍拡競争は、益々対決の姿勢を強め、今や人類を破滅の淵に立たせるに至った。
この緊迫した情勢を憂えて、ローマ法王、ヨハネ・パウロ二世は、本年2月この地に立ち、過去を振返えることは将来に対する責任を担うことであり、広島を考えることは、核戦争を拒否し、平和に対しての責任をとることであると述べ、すべてをさしおいて、平和が追求され、保持されねばならないことを全世界に訴えられた。
核兵器は競って高度化・多様化し、地に空に、或は海に配備され、互に対峙しながら、その破壊力は広島型原爆の百数十万発分にも達している。
われわれ人類はまさに「恐怖の均衡」下に置かれている。
加えてこの均衡を破る先制核攻撃の兆しも見られ、核戦争の危機は高まっている。
ひとたび核戦争が勃発すれば、人類が絶滅することは明らかである。
もはや核兵器で安全を保障することはできない。
核兵器の廃絶こそが安全を保障し、平和への道に通じることを人類は悟らねばならない。
今こそ人類は、この現実を直視し、人類生存を最優先課題として、地球的視野に立ち、思想、信条、国家体制の対立を克服し、協調と相互依存の精神に基づく平和への大道を拓くときである。
来る第2回 国際軍縮特別総会において全加盟国は、この精神に立脚し、核兵器保有国率先の下に、核兵器の不使用・非核武装地帯の拡大・核実験全面禁止など、核兵器廃絶と全面軍縮に向けて具体的施策を合意し、すみやかに実行に移すべきである。
平和国家の理念を掲げ、非核三原則を国是とするわが国がその先導者となることを期待する。
本日、被爆36周年の8月6日を迎え、原爆犠牲者の御霊を弔うに当たり、われわれ広島市民は一層平和への責任と義務を自覚し、国家補償の精神に基づく原爆被爆者及び遺族への援護対策の拡充強化を求めるとともに、世界に強く平和への努力を訴えるものである。
1981(昭和56)年8月6日
広島市長 荒木 武
-ローマ教皇 広島「平和アピール」-
戦争は人間のしわざです。
戦争は人間の生命の破壊です。
戦争は死です。
この広島の町、この平和記念堂ほど強烈に、この真理を世界に訴えている場所はほかにありません。
もはや切っても切れない対をなしている2つの町、日本の2つの町、広島と長崎は「人間は信じられないほどの破壊ができる」ということの証として、存在する悲運を担った、世界に類のない町です。
この2つの町は「戦争こそ、平和な世界をつくろうとする人間の努力を、いっさい無にする」と、将来の世代に向かって警告しつづける、現代にまたとない町として、永久にその名をとどめることでしょう。
広島市長をはじめ、ここに集まられた友人の皆さん、私の声に耳を傾けているすべてのかたがた、私のメッセージが届くすべてのかたがたに申します。
1.本日、わたしは深い気持ちに駆られ、「平和の巡礼者」として、この地にまいり、非常な感動を覚えています。
わたしがこの広島平和記念公園への訪問を希望したのは、過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことだ、という強い確信を持っているからです。
この地上のありとあらゆるところに、戦争のもたらした惨事と苦しみのゆえに、その名の知られている場所が数多く、あまりにも数多く、存在しています。
それは、人類の犯した悲しむべき行為だといわねばなりません。
戦勝記念碑──それは一方の側の勝利の碑であると同時に、数多くの人々の苦しみと死を物語るものです。
国のために命を落とした人々、崇高な目的に命をささげた人々が横たわる墓地があります。
同時に、戦争のもたらす破壊の嵐の中で命を失った、罪のない一般の人々が横たわる墓地もあります。
強制収容所や死体処理場の跡──そこでは、人間と侵すべからざる人権とがいやしめられ、野卑と残酷とが最も強く表されたところでした。
戦場──そこでは、自然が慈悲深く地上の傷をいやしていますが、人間の憎悪と敵意の歴史を消し去ることはできません。
こうした数多くの場所や記念碑の中でも、特に広島、長崎は、核戦争の最初の被災地として、その名を知られています。
あの陰惨な一瞬に生命を奪われた、数多くの男女や子供たちのことを考えるとき、私は頭をたれざるをえません。
また、身体と精神とに死の種を宿しながら、長い間生き延び、ついに破滅へと向った人々のことを思うときにも、同様の気持ちに打たれるのであります。
この地で始まった人間の苦しみは、まだ終わっていません。
人間として失ったものが、全部数え尽くされたわけではありません。
人間の考えやものの見方、ないし人間の文明に対して、核戦争がもたらした実害を目のあたりにし、将来の危険性を考えるとき、特にそうした想いに駆られるのであります。
2.過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです。
広島市の皆さんは、最初の原子爆弾投下の記念碑を、賢明にも平和の記念碑とされました。
わたしは、この英断に敬意を表し、その考えに賛同します。
平和記念碑を造ることにより、広島市と日本国民は「自分たちは平和な世界を希求し、人間は戦争もできるが、平和を打ち立てることもできるのだ」という信念を力強く表明しました。
この広島でのできごとの中から「戦争に反対する新たな世界的な意識」が生まれました。
そして平和への努力へ向けて新たな決意がなされました。
核戦争の恐怖と、その陰惨な結末については、考えたくないという人がいます。
当地でのできごとを体験しつつも、よく生きてこられた人々の中にさえ、そう考える人がいます。
また、国家が武器を取って戦い合うということを、実際に経験したことのない人々の中には、核戦争は起こりえないと考えたがる人もいます。
さらに、核兵器は力の均衡を保ち、恐怖の均衡を保つため、いたし方のないものだとする人もいます。
しかし、戦争と核兵器の脅威にさらされながら、それを防ぐための、各国家の果たすべき役割、個々人の役割を考えないですますことは許されません。
3.過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです。
1945年8月6日のことをここで語るのは、われわれがいだく「現代の課題」の意味を、よりよく理解したいからです。
あの悲劇の日以来、世界の核兵器はますますふえ、破壊力をも増大しています。
核兵器は依然として製造され、実験され、配備されつづけています。
全面的な核戦争の結果がいかなるものであるか、想像だにできませんが、核兵器のごく一部だけが使われたとしても、戦争は悲惨なものとなり、その結果、人類の滅亡が現実のものとなることが考えられます。
わたしが国連総会で述べたことを、ここに再び繰り返します。
「各国で、数多くのより強力で進歩した兵器が造られ、戦争へ向けての準備が絶え間なく進められています。
それは、戦争の準備をしたいという意欲があるということであり、準備がととのうということは戦争開始が可能だということを意味し、さらにそれは、あるとき、どこかで、なんらかの形で、だれかが世界破壊の恐るべきメカニズムを発動させるという危険を冒すということです。」
4.過去をふり返ることは、将来に対する責任を担うことです。
広島を考えることは、核戦争を拒否することです。
広島を考えることは、平和に対しての責任をとることです。
この町の人々の苦しみを思い返すことは、人間への信頼の回復、人間の善の行為の能力、人間の正義に関する自由な選択、廃虚を新たな出発点に転換する人間の決意を信じることにつながります。
戦争という人間がつくり出す災害の前で「戦争は不可避なものでも必然でもない」ということをわれわれはみずからに言い聞かせ、繰り返し考えてゆかねばなりません。
人類は、自己破壊という運命のもとにあるものではありません。
イデオロギー、国家目的の差や、求めるもののくい違いは、戦争や暴力行為のほかの手段をもって解決されねばなりません。
人類は、紛争や対立を平和的手段で解決するにふさわしい存在です。
文化、社会、経済、政治の面で、さまざまな発展段階にある諸国は、多種多様の問題をかかえており、そのために、国家間の緊張や対立が生じています。
こうした問題は、国家間の正当な協定や、国際機関のよって立つ、平等と正義という倫理原理に添って、解決されねばなりません。
それは、人類にとって肝要なことです。
国内秩序を守るために法が制定されるように、世界の国々には、国際関係を円滑にし、平和を維持するための法制度が作り上げられなくてはなりません。
5.この地上の生命を尊ぶ者は、政府や、経済・社会の指導者たちが下す各種の決定が、自己の利益という狭い観点からではなく「平和のために何が必要かが考慮してなされる」よう、要請しなくてはなりません。
目標は、常に平和でなければなりません。
すべてをさしおいて、平和が追求され、平和が保持されねばなりません。
過去の過ち、暴力と破壊とに満ちた過去の過ちを、繰り返してはなりません。
険しく困難ではありますが、平和への道を歩もうではありませんか。
その道こそが、人間の尊厳を尊厳たらしめるものであり、人間の運命を全うさせるものであります。
平和への道のみが、平等、正義、隣人愛を遠くの夢ではなく、現実のものとする道なのです。
6.35年前、ちょうどこの場所で、数多くの人々の生命が、一瞬のうちに奪い去られました。
そこで、わたしはこの地で、「人間性のため、全世界に向けて生命のためのアピール」を、人類の将来のためのアピールを、出したいと考えます。 各国の元首、政府首脳、政治・経済上の指導者に次のように申します。
正義のもとでの平和を誓おうではありませんか。
今、この時点で、紛争解決の手段としての戦争は、許されるべきではないというかたい決意をしようではありませんか。
人類同胞に向って、軍備縮小とすべての核兵器の破棄とを約束しようではありませんか。
暴力と憎しみにかえて、信頼と思いやりとを持とうではありませんか。
この国のすべての男女、全世界のすべての人々に次のように申します。
国境や社会階級を超えて、お互いのことを思いやり、将来を考えようではありませんか。
平和達成のために、みずからを啓蒙し、他人を啓発しようではありませんか。
相対立する社会体制のもとで、人間性が犠牲になることがけっしてないようにしようではありませんか。
再び戦争のないように力を尽くそうではありませんか。
全世界の若者たちに、次のように申します。
ともに手をとり合って、友情と団結のある未来をつくろうではありませんか。
窮乏の中にある兄弟姉妹に手をさし伸べ、空腹に苦しむ者に食物を与え、家のない者に宿を与え、踏みにじられた者を自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところには平和をもたらそうではありませんか。
あなたがたの若い精神は、善と愛を行なう大きな力を持っています。
人類同胞のために、その精神をつかいなさい。
すべての人々に、私はここで預言者の言葉を繰り返します。
「彼らはその剣を鋤に打ちかえ、その槍を鎌に打ちかえる。国は国に向かいて剣を上げず、戦闘のことを再び学ばない」(イザヤ2・4)。
神を信じる人々に申します。
われわれの力をはるかに超える神の力によって勇気を持とうではありませんか。
神がわれわれの一致を望まれていることを知って、団結しようではありませんか。
愛を持ち自己を与えることは、かなたの理想ではなく、永遠の平和、神の平和への道だということに目覚めようではありませんか。
最後に、わたしは自然と人間、真理と美の創り主である神に祈ります。
神よ、わたしの声を聞いてください。
それは、個人の間、または国家の間でなされた、すべての戦争と暴力の犠牲者たちの声だからです。
神よ、わたしの声を聞いてください。
それは人々が武器と戦争に信頼をおくとき、いの一番に犠牲者として苦しみ、また苦しむであろうすべての子供たちの声だからです。
神よ、わたしの声を聞いてください。
わたしは、主がすべての人間の心の中に、平和の知恵と正義の力と兄弟愛の喜びを注いでくださるよう、祈ります。
神よ、わたしの声を聞いてください。
わたしはすべての国、またすべての時代において戦争を望まず、常に喜んで平和の道を歩む無数の人々にかわって、話しているからです。
神よ、わたしの声を聞いてください。
わたしたちがいつも憎しみには愛、不正には正義への全き献身、貧困には自分を分かち合い、戦争には平和をもってこたえることができるよう、英知と勇気をお与えください。
おお、神よ、わたしの声を聞いてください。
そして、この世にあなたの終わりなき平和をお与えください。
1981(昭和56)年2月25日
ローマ教皇 ヨハネ パウロ2世
広島「平和アピール」全文和訳
いつの日か、淀みなく心から「ハレルヤ」と笑顔で叫べる時が訪れますように。
核兵器の無い世界で。
父と子と生霊と御名によって、アーメン。